山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
国会は18日に閉会する。森友(もりとも)・家計(かけ)の学園疑惑や共謀罪で揺れた国会の陰で、上程されることもなく消えた法案がある。厚生労働省が模索した受動喫煙防止法案だ。「オリンピックは禁煙で」という世界の潮流を受け市民団体や、がん患者の会が後押しする法案だった。
◆日本の受動喫煙対策は「最低」
立ちはだかったのが、自民党のたばこ議員連盟。大蔵省OBの野田毅(のだ・たけし)・前党税制調査会長が会長を務める議員集団である。野田氏は「タバコを考える時、三つの目配りが必要だ」と常々言っている。たばこ農家の事情、タバコを愛する人の気持ち。たばこ消費がもたらす税収、である。これは、たばこ産業の立場でもある。
厳しい風当たりを意識する議員たちは、禁煙拡大を抑えようと法案骨抜きへと動いた。
たばこが健康に悪影響を及ぼすことは広く知られている。それでも嗜好(しこう)品であるため、吸うのは「自己責任で」となっているが、そばにいて煙を吸わされる人たちの迷惑がいま問題になっている。
「受動喫煙による死者は年間1万5千人」。日本がん研究センターは昨年、推計値を公表した。肺がんだけではない。脳卒中や急性心疾患、乳幼児突発死症候群の誘因にもなっている。たばこの煙は妊婦や子供の健康まで脅かす。受動喫煙を防止するには「屋内の禁煙ゾーン」を広げること。それが国際的な理解となっている。
日本では「屋外のポイ捨て」が問題にされ、歩きタバコには冷ややかの目が注がれるが、屋内の喫煙には寛容だ。飲食店や娯楽施設で喫煙がまかり通っている。喫煙席が設けられていても空気に境目はない。
世界保健機構(WHO)は各国の受動喫煙対策を4段階に分け「格付け」している。禁煙が望ましい公共施設を8分類(病院、学校、大学、行政機関、事業所、バー、飲食店、交通機関)し、8施設すべてに禁煙が行き渡っている国が最高位、0―2施設でしかない国を最低と評価。日本は「最低ランク」だった。
◆世論から遊離した自民党内の力関係
このままでは東京五輪は「タバコの煙で、お・も・て・な・し」となってしまう。
安倍首相は施政方針演説で「東京五輪に向けて受動喫煙防止対策を進める」と宣言。塩崎恭久(しおざき・やすひさ)厚労相は「国際的に恥ずかしくない法制度を作る」と意欲を示した。
塩崎大臣が掲げたのは「原則屋内禁煙」。不特定多数が出入りする公共の場でタバコを吸えなくする。ごく限られて例外だけを認める、という立場だ。
たばこ議連は猛反発。「禁煙にしたら飲食店が潰れる」と訴えた。受動喫煙を防止するには「分煙を徹底すればいい」という。
150平方メートル以下の飲食店には禁煙を義務付けず、「分煙」「喫煙」「禁煙」のどれかを選ばせ、店に入り口に表示すればいい、と主張した。
たばこ議連は妥協しない。党内には「禁煙派」の議員もいるが、圧倒的多数は「喫煙派」。世間では喫煙2割、禁煙8割とされるが、自民党での勢力比は喫煙9割、禁煙1割といわれる。世論から遊離した力関係の中で、議連が主導権を握った。
タバコと人の関係は長い歴史がある。健康被害が明らかになっても嗜好品であるタバコには根強い人気があり、人それぞれに考えはある。喫煙者を認めつつ受動喫煙を防止する静かな議論はあっていいが、自民党で問題なのが、大事な議論が密室で行われていることだ。
屋内喫煙をどこまで認めるか。罰則規定をどうするか。施行されてから実施までの経過期間(激変緩和措置)をどれだけ設けるか、など肝心な課題は水面下で行われ、国民は知る由もない。
「たばこ議連は、世間の支持を得られないと分かっているから、議論を表沙汰にしない。国民に示される時はもう動かしようがない段階です」
経過を知る人は言う。財政や安全保障のような専門知識がないと議論に加わりにくい問題と違い、タバコは誰もが一言ある身近なテーマだ。五輪とタバコ、喫煙と健康。みんなで語れる課題が密室に閉じ込められてしまった。最後は国会で決める課題なのに野党はカヤの外。一握りの自民党議員で仕切る異常に、自民党の「奢(おご)りと緩み」が現れていた。
◆「政治は貸し借りの無限連鎖」
それにしても今回は、安倍首相の影が薄い。「安倍一強支配」といわれるほど強権を握っているのに、朋友・塩崎大臣がボコボコにされても助けず、傍観していた。
「首相が動かなかったのは財務省への配慮でしょう」。事情を知る関係者はいう。たばこ議連の後ろには、日本たばこ産業(JT)が控えている。専売公社のころから大蔵省(当時)の直轄地とされてきた。民営化して大蔵省の有力OBが社長をたらい回ししてきた。ここ3代は生え抜きが社長を務めるが、いま会長として君臨するのは丹呉泰健(たんご・やすたけ)・元財務次官だ。
屋内禁煙を一番恐れているのは、独占企業・日本たばこである。この独占企業は財務省と表裏一体だ。
今国会で大騒動になったのが森友学園の疑惑。安倍晋三記念小学校への国有地払い下げなどで昭恵夫人の介在が露見し、首相は窮地に立った。踏ん張ったのが財務省である。屁理屈を並べ、世間の顰蹙(ひんしゅく)を買いながら、政権の防波堤になった。
「政治は貸し借りの無限連鎖」といわれる。首相にとって「借りを返す局面」かもしれない。「財務省への忖度(そんたく)」という指摘もあるが、首相の内心は分からない。ただ。その視野に「国民の命と健康」は、入っているのだろうか。
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