п»ї 日本の民主主義を考えてみる 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第132回 | ニュース屋台村

日本の民主主義を考えてみる
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第132回

11月 22日 2018年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住20年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

私たちが普段当たり前に使っている「民主主義」や「民主的」などの言葉。その言葉の意味はいったい何なのだろうか? ややもすると「民主的ではない」ことは日本では悪となり、レッテル貼りに使われる。しかしヨーロッパに行くと「民主主義」という言葉のニュアンスが日本とは異なって使われていることに気づく。どうも日本の民主主義とは日本独特のもののようだ。「日本の民主主義」とはいったい何なのだろうか。

◆日本人にとっての「自由・平等・民主主義」

突然自分のことから話し始めるが、私は生まれた時から「カトリック信者」として育てられた。生まれてすぐに「洗礼」と呼ばれるキリスト教信者になる儀式を済ませ、ヨハネ(英語名:ジョン)というキリスト教名をもらった。

小さい頃から毎週日曜日は家族そろって教会のミサを受けたが、当時ラテン語のミサは全く意味が分からず、退屈な1時間を何とかやり過ごすのに必死であった。それでも荘厳な教会の雰囲気に圧倒され、神に対して畏敬(いけい)の念を持つようになった。

毎週土曜日の午後は「土曜学校」と呼ばれる教会内の子供向けの勉強会があり、そこで神父様からキリスト教の教義などを教わった。旧約聖書にある「モーゼの十戒」は人間として生きていくための倫理規定である。「モーゼの十戒」の中には、神への信仰の必要性から殺人・窃盗・偽証・姦淫(かんいん)の禁止などが盛り込まれている。これをベースにした詳細な「カトリック倫理規定」が制定され、月1回はこの「カトリック倫理規定」に基づき自己反省を行わなければならない。さらにその罪を神父様に話すことにより、神父様からお赦(ゆる)しを得る「告解」という儀式を受ける。

この「モーゼの十戒」の話が語られている旧約聖書はキリスト教・イスラム教共通のバイブルである。一部戒律の内容が異なる部分もあるが、イスラム教信者もキリスト教信者同様に、幼い頃から人間としてなすべき倫理について徹底的に叩き込まれる。ちなみに、タイ、ミャンマー、ラオスなど東南アジアで主流の宗教である上座部仏教(別名:小乗仏教)では、僧侶が守るべき「227戒」と一般人が守るべき「5戒」という戒律が設けられ、人々の倫理規範となっている。

さて、翻って日本。日本は実質無宗教国家である。こうした戒律を宗教から会得する機会は極めて少ない。第2次世界大戦前までは天皇の神格化が図られ、教育勅語により愛国精神と儒教的道徳が説かれた。ところが第2次世界大戦で日本が敗戦すると、「こうした思想は全体主義を招くもの」として全面禁止され、米国から「自由・平等・民主主義」という新しい概念が導入された。当時の日本人にとって突然の価値観の変更である。「自由・平等・民主主義」は日本にとって歴史的な連続性を持たない全く新しい概念である。歴史的な連続性がないがゆえに、日本人がこうした価値観を受け入れるためには盲目的に信じ込むしか得なかったのであろう。この「自由・平等・民主主義」は日本人にとって、疑いを持ってはいけない絶対的な最終価値に高められてしまったのである。

タイやミャンマーの軍事政権に対して、またイスラム社会に対して、日本の世論が「民主主義ではないから悪い」とヒステリックに騒ぎ立てているのを、私は長い間、不思議な気持ちで眺めていた。しかし日本にとって、民主主義が他者に否定されてはいけない絶対的価値となっているとしたならば、他国の国情といえども思わず口出しをしてしまうのであろう。なぜならば民主主義を否定することは、自己否定をすることにつながってしまうからである。

◆「民主主義」の原点

それではそもそも何をもって「民主的」と言うのであろうか? 日本では選挙が行われ、多数決でものが決まることが「民主的」ということのようである。また選挙によって政治体制が決まるのが「民主主義」であり、日本人にとっては平等感がいっそう際立つ「直接民主主義」が理想の政治形態のようである。しかし「民主主義」とはそんなに完璧なものであろうか?

4年前からヨーロッパ各国を旅行し、ヨーロッパの人・生活・文化・政治・歴史に触れてみると、「民主主義はそれほど単純なものではない」という気持ちが起きてくる。各国によって民主主義の形態は異なるし、また、そこに至る各国の歴史も異なっているからである。

人間はそもそも「共同体を営む生きもの」である。人間の祖先であるホモサピエンスが誕生した20万年前、人類として繁栄していたのはホモサピエンスよりも肉体的に屈強なネアンデルタール人であった。ところが、地球に氷河期が訪れ中小生物が絶滅する中で、少なくなった大型動物を捕獲しながら生き延びたのは、ネアンデルタール人ではなく弱小なホモサピエンスであった。ホモサピエンスは弱小がゆえに宗教を信奉し、この宗教により集団生活を始めたのだという。集団で狩りを行い、集団で食べ物を分け生き延びたホモサピエンス。我々人間にはこうしたホモサピエンスの血が残り、ルールを制定したり合議制を用いたりして共同体を運営した。

こうした人間集団に初めて「民主主義」という政治形態が生まれたのが、古代ギリシャ・アテネだと一般的にいわれている。アテネでは紀元前5世紀に貴族制から民主制に移行し、民会による直接民主主義が行われた。このアテネの直接民主主義は、たびたび日本では理想の政治形態として語られる。しかしアテネの経済は奴隷制の基に成り立っており、市民はこの奴隷制の恩恵により政治に関与する時間と富を持てたのである。しかし「哲学の父」とも言われるソクラテスは、民主主義に基づいた市民裁判で処刑された。このため民主主義は「衆愚政治」として近代に至るまで致命的欠陥を持つ政治形態として位置づけられていた。たとえばソクラテスの弟子にあたるプラトンは、貴族制の一種である「哲人政治」を理想とし、アリストテレスも貴族制と民主制の折衷政治を理想としたのである。

古代ローマでは「王政」のあと「共和制」が採用される。貴族による元老院と平民の民会の二院政による統治システムはアテネの「民主制」に近かったが、衆愚政治のイメージを避けるためあえて「共和制」と呼んだ。この「ローマの共和制政治は現代の民主主義に近い」と考える人も多くいる。しかし『ローマ人の歴史』の著者である塩野七生氏によると、ローマの共和制は日本の民主主義と比較して決定的な違いが二つあるという。ひとつは、古代ギリシャと同様にローマ経済も奴隷や植民地によって支えられ、ローマの貴族や平民には政治に関われる時間的・経済的な余裕があったこと。ふたつ目は、元老院や民会の議員は率先して戦争に行く義務があり、頻繁に戦死者を出していたこと。このため、貴族院や民会の議員の固定化や世襲化が起こらず政治の硬直化が避けられたのである。

ちなみに現在の日本の政治家は、ほとんどが世襲議員である。こんな古代ローマの共和制も、領地が拡大し頻繁に戦争が起きると国体として迅速な意思決定が必要となってくる。当初は戦時の指揮は、任期の決まった「執政官」などで対応したが、スッラ及びユリウス・カエサルが終身独裁官に就任。最終的には紀元前27年にオクタヴィアヌスに皇帝の称号が与えられ帝政へと移行した。塩野七生氏によれば「共和制(または民主制)は政治制度の最終形態ではなく、迅速な意思決定の為に個人に権力が集中していく局面が発生する」というのがローマの教訓である。中国の習近平主席やアメリカのトランプ大統領の出現。日本において「安倍首相一強」が肯定的に語られるのもこうした流れなのであろう。

◆欠陥を含みながらも次善の政治形態

さて、話をヨーロッパの歴史に戻そう。ローマ帝国が395年に東西分裂し、480年に西ローマ帝国が滅亡する。ヨーロッパはローマ教会による宗教的締め付けと地方諸侯による群雄割拠の状況が現出する。都市国家の中にはベネチアのようにローマ時代の共和制を引き継ぐ国もあったが、多数の国は絶対王政へと移行していった。こうした絶対王政の中世がしばらく続いたが、16世紀の宗教改革、さらには30年戦争(1618~48年)によりオーストリアの神聖ローマ帝国が敗北したことでヨーロッパ諸侯の自治権が確立。こうした流れの中で、17世紀には啓蒙思想による自由主義が主張される。高校の教科書にも登場するジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーの社会契約論が登場し、当時勃興していた資本階級(ブルジョアジー)や知識階級をいかに絶対王政、権力の専制から解放するかが論じられた。しかし、実際に市民の自由ならびに制度としての民主制を適用するにあたっては、西洋各国でそれぞれ紆余曲折(うよきょくせつ)があった。絶対君主の王権を徐々に制限しながらも、知識階級の叡智(えいち)に頼った政治である間接民主主義に徐々に移行したのが英国である。

一方で、ルソーの影響を受け過激な市民革命を実行したのがフランス。ルソーの理想とする直接民主主義へと移行したが、市民同志の悲惨な内部闘争および恐怖政治により4万人が処刑されてしまう。この反動としてナポレオンという専制君主が再登場するわけであるが、民主主義にも重大な欠陥があることはフランス人自ら経験している。

同様に第1次世界大戦後のドイツ。当時、最も民主的と言われた「ワイマール憲法」を導入したが、労働運動の激化により政治が停滞すると、その間隙(かんげき)を縫ってアドルフ・ヒトラーのナチス・ドイツが登場。議会で多数派を獲得すると、国民投票という民主的制度を利用して独裁政権を樹立してしまった。現代になっても「民主主義がプロパガンダによって衆愚政治となってしまった」といえる好事例なのである。

こうした失敗の歴史をしながらも、ヨーロッパは民主主義を制度として何とか維持させている。過去の失敗の教訓によって、現在ヨーロッパ諸国が採用しているシステムは、議会制に基づく「国民主権制度」、討論を重ねたあとの最終的な「多数決原理」、独裁者の排除を目的として異なった選挙制度を利用する「二院制度」。さらには立法、行政、司法の独立性を保証する「三権分立」や「大統領制」などである。

こうしたルールや制度があっても、ヨーロッパでは何度でも独裁者が登場する。ヨーロッパの人々の考えを知る上で重要な言葉がある。1947年にイギリスのウィンストン・チャーチル首相が行った下院演説である。「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀に満ちたこの世界の中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態ということが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが」

民主主義とは、これ以上のものでもこれ以下のものでもない。欠陥を含みながらも次善の政治形態であるというのが、ヨーロッパが自己の悲惨な歴史を踏まえての認識である。

◆もっと疑ってかかるべきだ

ところが、日本人の多くは「民主主義は絶対善」という信仰に陥ってしまっている。現代の日本は独裁者の登場を防ぐ手立てを施しているであろうか? 自民党の事実上の一党独裁により議会の「二院制度」は実質機能せず、衆議院も参議院も同質の議員が選ばれる。「三権分立」は元々、議院内閣制の下では立法・行政間の独立に疑義があったが、これまでは立法と距離を置く官僚の存在で何とか独立を保ってきた。しかし官僚の人事権を官邸が抑えたことにより、「三権分立」も形骸化してしまった。

「討論を重ね叡智を集めた政策立案」を行うべき議会も機能しない。それが証拠に、さまざまな事案に世論調査が行われ「国民の意向が最優先されるべき」との風潮が強まっている。これをあおり立てているのがマスコミである。世論調査の結果である「国民の好き嫌い」だけで政策が決定されるなら、過去に崩壊したアテネの「衆愚政治」そのものである。我々日本人は民主主義をもっと疑ってかかるべきである。さもなくば、いずれ日本でもヨーロッパが経験した悲惨な出来事が起こりうるのである。

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