引地達也(ひきち・たつや)
コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括。ケアメディア推進プロジェクト代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。
◆歌、心、詩――
旧約聖書の「詩篇」を意味する英語の「サーム」(Psalm)なる名前の男性コーラスグループがいる。早稲田大出身のゴスペルグループ、ゴスペラーズの後輩4人組で、リーダーの濱野崇さんは「最初のPを読まない英語の名称を付けるなんて、売れるつもりあるの?」などと周囲に言われたと笑うが、メジャーデビューを果たし、東京都国分寺市で自らが経営するライブハウスを拠点としながら、全国のツアーも観客を確実に動員する人気を得ている。言葉を大切にするスタイルで、その思いを共有し、10月から濱野さんと私は、心の問題に向き合うラジオを全国にお届けすることになった。
詩編は、ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と言い、讃美歌をも意味する。ギリシャ語では「心を動かすもの」という意味になり、これを由来として詩編を英語では「サーム」(Psalm)。歌、心、詩――これらのキーワードと私が進める「ケアメディア」のエンターテインメント分野の派生系として合致し、濱野さんと私は求道者として、ともに考え、語り、それを、ラジオを通じて発信していく同志となった。
◆正しい言葉を求めて
「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える」。これは旧約聖書の詩編の始まりの句である。キリスト教に限らず、正しい者のあるべき姿として、このメッセージは普遍的で、これが仏教の教えとしても有効かもしれない。もちろん「主のおきて」部分の解釈は宗教によって様々ではあるが、正しくあろうとする私たちは言葉を求めている。正しい言葉を求めている。それは間違いない。
「ケアメディア」という言葉とともに情報誌を発刊し、その概念化を進めている私としては、何らかのソフトコンテンツで、その形を伝えなければいけないと思っていた矢先に、彼らの音楽と出会った。包み込むような優しさと、ゆったりとした「ゆるし」への誘い、ここまで表現できるアーティストはあまりいない。
濱野さんがキリスト教会の牧師の息子であり、「愛」をたっぷりと受けて育ったからだという説明で、その雰囲気が説き明かされた。ただ、面白いのは、その牧師の父親は「高校の頃、太いボンタンはいて行くと、目立ってこい、ってほめられましたが、玄関で靴がそろってないと往復ビンタでした」という個性で、たっぷり「愛された」という。その父親は「教会のドアはいつも開けておけ」と言って、誰でも、いつでも救いを求められる場所であることを信条にしているという。
◆メジャーではなく
そんな濱野さんとのラジオ番組は、全国のコミュニティラジオに配信するミュージックバードの「ミッドナイトブルー」(毎週金曜日午前0時から午前1時)。私と濱野さんのコーナーは「ふたつの処方箋」と題され、「ケア」について、2人の見解を示しつつ、精神疾患者の支援の現場の視点を踏まえて、話を展開する。全国約100局のコミュニティFMで聴けるのと同時に、サイマルラジオでインターネットでも聴ける。
最近は、情報誌にしても、ラジオにしても、メジャーでないメディアでの「ケアメディア」展開が発展している。詩編という言葉が結んだ縁、お互い言葉を大切にしたいという思いは強い。
濱野さんとの語りには、どんな可能性があるのだろうか。メジャーではないところに、何かワクワクする感覚を楽しんでいる。先日、とあるテレビ局の方から「メジャーの方がいいんじゃない」などと話しかけられたが「いやいや、今の方が、可能性があって面白いです」と応じたら、先方も「そうだろうね」と笑っていた。
『ジャーナリスティックなやさしい未来』関連記事は以下の通り
ソーシャルワーカーは誰でもなれる
https://www.newsyataimura.com/?p=5814
■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
http://psycure.jp/column/8/
■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link
■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/
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