п»ї 「再稼働差し止め」は司法の暴走だったのか?『山田厚史の地球は丸くない』第59回 | ニュース屋台村

「再稼働差し止め」は司法の暴走だったのか?
『山田厚史の地球は丸くない』第59回

12月 25日 2015年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

裁判員裁判だったら、どんな判決になっただろう、とふと思った。関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の再稼働をめぐり、福井地方裁判所は12月24日、「安全性に欠けるとはいえない」と判断し、再稼働を封じた4月の同地裁の仮処分決定を覆した。

◆専門家の意見を尊重した司法に責任はないのか

同じ福井地裁で正反対な判決が出た。決定的に判断が分かれたのは、国の原子力規制委員会が定めた新基準だ。

4月に再稼働を差し止めた樋口英明裁判長は「緩やかすぎ、安全を確保したとは言い難い」と踏み込んだ。今回、林潤裁判長は「内容には合理性がある」と支持した。

樋口裁判長は「経済活動である原発は憲法上、人格権より劣後に置かれるべきだ」という。カネがかかるとか、そんなことしたら採算に合わない、とかいうことより、人の命が大事だ、と言っているのである。

林裁判長は「高度の専門性と独立性を有する原子力規制委員会が審査する新基準には合理性がある」「判断に不合理な点はない」という。つまり、専門家が判断したことだし、言っていることもヘンじゃないから認めましょう、ということだ。

両者の違いは、今の秩序の枠組みを尊重するか、安全性を一から考え直すか、という論点に行き着く。

4月の「樋口判決」が出たとき、メディアからも「裁判長の暴走」という声が上がった。読売新聞は「福島原発の事故後、原発再稼動に関し10件の判決・決定が出たが、差し止めを認めたのは樋口裁判長が担当した2件しかない。偏った判断であり、事実に基づく公正性が欠かせない司法への信頼を損ないかねない」と、痛烈に批判した。

こんなおかしなことをいうのは樋口裁判長だけだ、というのである。そうかもしれない。林裁判長のように「専門家が精いっぱいやっているのだから尊重しよう」という考えがこれまでの判決の大多数だ。無難だし、角が立たない。というのは最高裁が1992年に次のような趣旨の判断を示しているからだ。

「原子力専門家の知見を尊重し、安全審査に見過ごせないほどの落ち度がない限り、司法は専門技術的な判断に踏み込まない」。むずかしいことは専門家に任せ、よほどのことがない限り裁判所は踏み込んだ判断はしないほうがいい、と言っているに等しい。

その結果が、3・11のメルトダウンだった。「安全です」と言ってきた専門家の意見を尊重した司法に責任はないのか。

◆最高裁の見解を踏み越えた勇気ある判決

樋口裁判長は、92年最高裁の見解を踏み越えている。これは勇気がいることだ。裁判官は一人ひとりに独立性が認められているが、最高裁に睨(にら)まれたら、裁判官人生はどうなるだろう。会社員ならわかることだ。

三権分立といっても、権力者は総理大臣である。最高裁判所の人事だったら法務大臣を通じて首相が握っている。

「経済活動である原発は憲法上、生存権より劣後に置かれる」。法学者のような言い回しをして「関西電力の経営問題より住民の命が大事だ」と言い放つ裁判官は、権力から見れば暴走だろう。

モノを考える人の多くは「高度な専門家集団」といわれる原子力規制委員会が信頼に足るものではない、と気づいているだろう。田中俊一委員長の曖昧(あいまい)で苦しげな表情に、規制委の置かれている立場を読み取る人もいる。

福島原発事故があっても、権力を握る主流派は「原発推進、再稼働促進」である。「安倍政権は経産省内閣」といわれるほど「原子力村」の影響下にある。産業界は海外に原発を売ろうと躍起になっている。そんな時に、立ち止まって考えよう、というのは「邪魔者」だろう。裁判官も官僚も体制というか「秩序」の中に生きている。

樋口さんのようにメディアに叩かれるほどの異論を発することは、コースから外れることを意味するだろう。地裁の裁判長にまでのぼりつめ65歳になったからできることかもしれない。同じ考えであっても、若手がやれば「自爆テロ」だ。これからの裁判官人生を失うことになる。

◆少数意見のなかに時代が生まれ変わるタネがある

どんな組織でも90%は「体制維持派」が固めている。会社員も官僚も組織の主流に合わせる方が、上手に立ち回れる。空気を読むことを良しとする同調圧力が組織には充満している。

だが、組織の方針は不変ではない。必ず変わる。次の時代の主流は、その前の時代の異端者から始まることは歴史が示している。少数意見のなかに時代が生まれ変わるタネがあるのだ。

表面を見れば、再稼働反対は読売新聞が書くように「10件の判決のうち樋口裁判長が出した2件だけ」である。圧倒的多数は秩序派だ。しかし「樋口的考え」が司法で全く孤立しているかは、別問題だろう。

3・11の教訓をどう生かすか。真面目な裁判官は悩んでいると思う。最高裁の顔色をうかがっている裁判官ばかりではない、と信じたい。

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