小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住19年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
人生64年生きてきたが、その間「ダイエット」なるものを幾つも手がけてきた。生まれたときから五頭身で、もともと不細工な私だって「格好良くなりたい」「女子にだってもてたい」「人に好かれたい」などと、人並みの希望は持っている。だからダイエットだって幾つか試してみた。「白米ダイエット」「こんにゃくダイエット」「カロリー制限ダイエット」「計るだけダイエット」などである。
◆「ダイエット」という言葉の罠
しかしいずれも結果ははかばかしくない。バンコック銀行に転職後、日本社会での手厚い社会的保障がなくなった。自分の身体のみが資本である。当時私は49歳で、ちょうど身体に多くのガタが来る時期であった。高血糖、高血圧、高コレステロールなどあらゆる成人病の数値が危険値を超えた時期である。
健康な身体を取り戻したいと焦った私は、1週間に1日完全断食を行う「断食ダイエット」を始めた。この時は半年間でなんと9キロの体重を落とし、ダイエットに成功した。しかしやはり週に1日とはいえ、終日完全に断食をするのはつらい。バンコック銀行に転職して徐々に私の仕事も軌道に乗ってきた。私は忙しさにかまけて、否、忙しさを言い訳にして「断食ダイエット」をやめてしまった。
するとその後2年ぐらいで徐々に体重が増え始め、せっかく落とした体重も8割くらい戻ってしまった。更に驚いたことに、昔からなじみのマッサージ師が「足の筋肉がかなりなくなった」と言う。下手にダイエットをすると脂肪だけでなく筋肉まで失うと気づいたが、「後の祭り」であった。
ダイエットの弊害に気づいた私は、その後は特にダイエットをしていない。ただし、体重の増加についてちょっとは気を使ってはいる。しかし毎日6種類ものテンコ盛りの薬を飲みながら、何とか成人病と仲良くして生活を送っている。54歳のとき胃ガンを発症したことから、酒量は大幅に制限した。けれども年を取っても食欲は落ちない。どうも満腹感を制御する中枢神経がマヒをしてしまったようである。
米国のコンサルタントであるカレン・フェランの書いた『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』(大和書房、2014年)という本がある。自身がコンサルタントである著者が客観的データを用いながらいかにコンサルタントの推奨する施策が誤りであったのかを検証している。
「コアコンピタンス」や「KPI」なども同罪である。もともと「経営コンサルタント」をほとんど信用していない私にとっては「我が意を得たり」の本であった。さらにこの本の一節に「人は性懲りもなくダイエットにはまるように、多くの会社は性懲りもなくコンサルタントの言葉に魅了されてしまう」といった記述があった。私は思わず吹き出してしまった。人はどうもこの「ダイエット」という言葉の魅力に勝てないようである。それ以降、私はダイエットという「言葉の罠(わな)」にいよいよ警戒するようになった。
◆中毒症状を引き起こす糖質
ところが、今年の正月休みの帰りに成田空港の本屋で『炭水化物が人類を滅ぼす―最終回答編』(夏井睦著、光文社、2013年)という本のタイトルが目に飛び込んできた。最近私は医学や心理学の本に嵌(は)まっている。「人工知能(AI)の仕組みが人間の脳のシナプスの解明によって大きく進歩した」ことからこうした分野の理解を深めたいと思ったのである。
2017年9月30日から始まったNHKスペシャルの「シリーズ人体・神秘の巨大ネットワーク」は秀逸の番組である。人間の身体がいかに複雑かつ精緻(せいち)に出来ているのかを教えてくれる。人間の身体に比べればコンピュータの仕組みなどまだまだ1%の完成度もないものだと感じてしまう。
脳科学者の中野信子の著作からは、脳医学の知識を得た。人間の進化の過程で人間が生き残るために必然的に得てきた欲望や行動様式が、脳内の神経細胞やホルモンの動きに組み込まれているというのも納得出来る議論である。そんなことから私は早速この本を買い求め、バンコクへの帰りの飛行機の中であっという間に読み上げてしまった。
そもそも臆病者の私は、人の言うことを素直に信用しない。今まで巷(ちまた)にある情報を単純に信用して、何度も痛い目にあっている。ダイエットが良い例だ。まずは自分自身が経験してみて、その結果を信じる。しかしすべての事象に対して自分で確かめることは時間的にも能力的にも不可能である。このため次善の策として、その主張が「論理的に納得出来るものか否か」が私の判断基準となる。「炭水化物が人類を滅ぼす」という主張は、私の能力不足で理解できないところもあったが、概ね納得出来るものであった。
著者の夏井睦氏の主張は本の題名どおりであるが、強いて言えば「炭水化物」より「糖質を制限せよ」というものである。彼の主張は以下のとおりである。
人間の歴史500万年の中で炭水化物を取り始めたのは約1万年前。特に大量の炭水化物取得が可能になったのは窒素肥料が開発された直近50年ほどときわめて短い。
つい50年前までは人間の歴史は飢餓の歴史であり、人間の身体には過剰な炭水化物を処理する機能が備わっていない(インスリンは本来「血糖値」を下げるためのものではなく、エネルギー源となる脂肪を作るホルモン)。
人間の身体は37兆個の細胞で出来ているが、このうち毎日1兆個の細胞が再生されている。食べ物の大半は新陳代謝としてこの細胞再生のために使われる。人体の構成は人によって違うがおおよそ水分65%、蛋白質16%、脂質13%、ミネラル5%、糖質1%となっている。この構成比から考えると、新陳代謝に必要な糖質はごくわずかであり、現在の炭水化物(糖質と食物繊維)取得は大幅な過剰にある。
現代の肥満は困窮化によって発生する。低価格食物の大半は炭水化物であり貧困層はこれら低価格食物に依存している。同様の理由で被災地でも肥満が増加する。
糖質を食べると脳内にドーパミンが発生し、これが前頭前野の側坐核(報酬系)を刺激する。これはアルコール、タバコ、コカインなどと全く同じ働きまであり、糖質は人間に中毒症状を引き起こす。
夏井氏は糖質を問題視する理由についてもう少し述べているが、残念ながら私はすべて理解出来ていない。そもそも巷で言われている「糖質制限をするとダイエット効果がある」という基本的な仕組みすら私にはよくわかっていない。ただし、夏井氏の本を読むと「糖質の過剰摂取が人間の長い歴史の中では異常な事態である」ということについては理解出来る。
◆中毒症状を乗り切る
機内でこの本を読み終えた私は、早速翌日から私自身を実験台にして「糖質制限」の人体実験を開始した。目的は「ダイエット」ではない。夏井氏の主張が正しいか否かを確認するためである。夏井氏の推奨する「糖質制限」は「ゴハンや麺などの穀物、菓子、ジュース、果物、それに根菜類を食べない」というきわめてシンプルなもの。
ところが実際にバンコクで「糖質制限」を始めてみると、糖質系を省いた外食ランチを見つけるのはなかなか難しい。西洋料理でサラダとハンバーグステーキ、中華料理で野菜炒めと野菜スープなどの白米抜きの組み合わせでおなかを満たしている。これ以外のランチのバリエーションがまだ見つかっていない。スーパーマーケットに買い物に行っても、売り場の7割程度は炭水化物の製品である。いかに炭水化物が安価な食品であり、人々がこれらのものを求めているかが良くわかる。
「糖質制限」人体実験を始めて2週間くらいたった頃、体調がいまひとつよくなく、猛烈に糖質を摂取したくなった。禁断症状が出てきたのである。これは私の予想の範囲内であった。過去に何度か禁煙を試みた時にも、同様に禁煙開始後2週間ぐらいで禁断症状が表れたからである。
糖質が中毒症状を引き起こすということを自ら実感した。タバコについては苦い経験がある。2年間の禁煙後、友人と酒を飲みに行った際にたった1本吸ったがためにタバコを再開してしまったのである。この経験があるから、現在は全くタバコを口にしない。中毒症状は「げに恐ろしきものなり」である。2週間目に襲ってきた糖質の中毒症状は、何とか乗り切ることができた。
◆とりあえず成功だが今後も継続
糖質制限を開始して1カ月後に定期健康診断を受診した。成人病については年に2回、血液検査による健診を受けている。バンコック銀行に転職後は唯一の資本である自分の身体については、少しお金をかけるようになった。
さて健康診断の結果である。「空腹時血糖値」は118から115へ、またヘモグロビンから採取する「2カ月平均血糖値」は6.0から5.8へ、いずれも改善した。まだ境界型の高血糖ではあるが、もう少しで正常値という値になってきた。善玉コレステロールの値が低いが、その他の検査項目はいずれも正常範囲内である。
特に他の数値で悪化したものはない。ちなみに体重は2キロほど減った。1カ月にわたる人体実験はとりあえず成功のようである。これでは6カ月後にある健康診断まで「糖質制限」の人体実験を継続させねばなるまい。
次なる健康診断の結果は「乞うご期待」である。
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