п»ї 「道」をつくるということ『ジャーナリスティックなやさしい未来』第10回 | ニュース屋台村

「道」をつくるということ
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第10回

4月 25日 2014年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。

◆節目ではなくきっかけ

東日本大震災から3月11日で3年。それは「節目」と呼ばれる日付である。しかし「節目」と言って被災地の現場を歩くと、「何が節目か」とおしかりを受ける。この先も続く復興を見据えると途方もない仕事があり、「3年」はただの数の積み重ねと通過点。被災地から遠い者たちが「節目」と叫ぶのは、「忘れない」という自戒だったり、何もできないエクスキューズだったり、それぞれの「節目」には、それなりの意味がある。私自身は、自戒とともに、都会で消え入りそうな被災者の思いをつないでいくための、きっかけだと考えている。

この「節目」。メディアや行政をはじめとするわれわれ国民は、好物の一つである。肩組み合って、もしくは寄り添って暮らす日本人にとって、絆が呪文のように叫ばれたと同じように、「節目」で国民の意思を統合しようとする引力が働く。

それが時には、雰囲気の中で、通常とは違う判断をしてしまうこともある。戦後50年の節目に出した政府談話は、右傾化の安倍政権が成立過程を検証しているが、これも安倍政権から言わせると、「浮かれた雰囲気」があったと指摘するのだろう。

談話の中身はここでは論じないが、政府の見解や談話などが「節目」でコロコロ変わってはならず、信用を落とすだけだから、いつも精緻(せいち)で正しい判断をするために、「節目」は通過点であり、きっかけ、と位置付け、静かに思いめぐらし、むしろ誤らない判断をする日と位置付けるほうがよいのかもしれない。

そして、今回も全国のコミュニティFM局に番組を配信している衛星ラジオ局「ミュージックバード」の「未来へのかけはし Voice from Tohoku」の先週放送分をお届けする。まずは、ラジオ放送の内容を紹介する。

東日本大震災から約3年。このコーナーでは、被災地の今を、現地の方々ご自身が綴った思いを、生の声で語っていただきます。

今日お伝えするのは、24歳の長男、健(たける)さんを亡くした岩手県陸前高田市の淺沼ミキ子(あさぬま・みきこ)さんの朗読です。淺沼さんは、長男を亡くし泣いてばかりいた日々、亡き健さんからの励ましの声を聞いて、次来る震災で犠牲者を出してはならないという思いを胸に、「ハナミズキのみち」という詩を綴りました。避難誘導の道にハナミズキの花を植えるというこの詩は人々の共感を呼び、絵本「ハナミズキのみち」(金の星社)として出版されました。今回は、その詩の一部を読んでいただきました。
 
【淺沼さん朗読】
   どこまでも続く ハナミズキの花
   いのちをまもる ハナミズキのみち

(実際の朗読は長文ですが、多くの方に手を取って読んでもらいたいとの思いで、ここでは割愛させていただきます。ユーチューブでもご覧になれますので、是非淺沼さんの朗読をお聴きください)
 
【エンディング】
   この絵本は全国販売され、陸前高田市の避難道路に「ハナミズキ」を植える運動の代表として浅沼さんは日々活動しております。震災の風化を食い止めようとつくられたこの歌「気仙沼線」。活動は気仙沼線普及委員会のフェイスブックでご覧ください。
(以上放送内容終わり)

◆後から来る者のために

雪に覆われた陸前高田市を歩けば、大型重機で土地の嵩(かさ)上げが行われ、急ピッチの「町づくり」を目の当たりにするが、そこに「人がいない」とよく耳にする。淺沼さんの絵本は、実在する物語として、避難道路にハナミズキを植える、という動きにつながり、ハナミズキを提供する団体もいるという。

しかし、その思いを寸断しているものもある。道路は行政の管轄だから、勝手に花を決められないし、業者もどこでもよいとはいかない、という。公共事業や行政のシステムはシステムだから人に冷淡だから、やはり我々が知恵を出し合って生きるしかないのだと、「節目」に考え、思い、内省してみる。

そして今、未曽有の大震災後に私たちが歩む道は、後から来る者がたどる道であり、そこに「花」を植えておきたいと思う心はやはり、大事にしなければならないと思う。

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