п»ї 「魂の処遇」と国家『山田厚史の地球は丸くない』第27回 | ニュース屋台村

「魂の処遇」と国家
『山田厚史の地球は丸くない』第27回

8月 15日 2014年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

ミャンマーには死刑より重い罰がある。このことを知ったのは、バンコクに駐在していた2002年のことだった。

三菱商事の支店長が強盗に殺害された。犯人はすぐ捕まり、慌ただしく裁判にかけられ死刑が言い渡された。絞首刑が執行されたが、刑罰はこれで終わらなかった。「7年間成仏を許さない」という魂への制裁が加わった。

「遺体を家族に渡さず、葬式をさせず、お経もあげない。死んだまま7年間放置する」という重罰である。当時、ミャンマーは米国の経済制裁で苦境に立っていた。日本は同調せず、三菱商事は事務所をたたまずヤンゴンに駐在員を置いていた。日本への外交配慮が軍事政権に「死刑より重い罰」を選ばせた、という事情があったようだ。国家は生身の国民だけでなく、魂の行方まで差配するのかと違和感を覚えたことを思い出す。

◆同盟国支援で自衛隊から戦死者が出たら

政治は現世のもので、来世や魂の処遇は宗教の出番だ。だが、日本でも敗戦までは、国家が魂の面倒まで見てきた。靖国神社である。戦没者の霊を一手に引き受け、死後は手厚くお祀(まつ)りしますからご安心を、という国家サービスが靖国神社の機能だった。

軍人に恩給がつくように、戦死者は遺族への年金だけでなく、死後の魂にまで国家が責任を持つことで総動員体制が組み上げられた。敗戦でこの仕組みは崩壊し、新憲法は宗教を国家から切り離した。魂の管理は国家の仕事ではなくなったのである。

ところが、集団的自衛権で状況が変わってきた。日本が攻撃を受けなくても同盟国の支援で戦争に参加する可能性が生まれた。戦場で命をやり取りする事態もありうる。その時、戦死者が出たら、魂の処遇はどうする?

自衛隊は発足以来、戦死者はゼロ。世界で例を見ない安全な軍隊である。訓練などで隊員が死亡することはあるが、「殉職」という扱いで「戦死」ではない。これからありうる「戦い」で死んだ場合も「殉職」となるのか。

「戦死なら靖国神社で」という声が出るだろう。本人や家族の意思と関係なく、戦死者を祀ってきたのが靖国神社の歴史である。

「靖国問題」の発端は、東條英機らA級戦犯をひそかに祀ったことにある。当時の宮司による個人的な策謀といわれるが、宗教学者の島田裕巳氏は「そんな単純なことではない」という。

島田氏によると、当時は靖国に祀る魂の名簿を作成していたのは厚生省だが、実態は旧軍の関係者だった。軍は解体されたが、旧軍の将官が厚生省に職を得て、外地からの引き揚げや戦死者の確定などの事務を取り仕切っていた。祭神名簿は旧軍の仕事となり、その過程でA級戦犯合祀(ごうし)という策動が生まれた可能性は否定できない、という。

◆「戦後レジームからの脱却」を支えるもの

国家神道を否定しながら、戦没者の慰霊を靖国で行い、旧軍関係者が名簿づくりに従事する。戦後民主主義の不徹底がA級戦犯合祀というハプニングを生んだ。

激怒したのは、天皇陛下だ。統帥権のある天皇を差し置いて戦線を拡大したA級戦犯たちの合祀を認めず以後、靖国神社に参拝しなくなった。

靖国問題をさらに複雑化したのが中曽根康弘元首相である。「公式参拝」である。それまで政治家は「私人として」とか「個人的心情で」などと参拝での立場を明確にすることを避けたが、中曽根氏は「内閣総理大臣」として参拝した。中国・韓国が「軍国主義復活」と非難し、外交問題になった。中曽根氏は以後、首相として参拝を控える。

復活させたのが小泉純一郎元首相である。自民党総裁選挙で右派から票を得るため「首相としての靖国参拝」を公約した。安倍晋三首相はその路線を継承しているように見えるが、新たな緊張を作り出している。米国との関係悪化である。

オバマ大統領は東アジアの安定を望み、日本が中国・韓国と緊張をあおるべきでないと考えている。来日したケリー国務長官が東京・千鳥ヶ淵の戦没者追悼施設を訪れるなど「靖国参拝NO」というメッセージを強く送ってきたのに、安倍首相は敢えて無視した。

米国が懸念しているのは、参拝の背後にある安倍首相の歴史観である。好んで使う「戦後レジームからの脱却」という言葉は、米国中心の戦後体制への異議申し立ての響きがあるからだ。安倍政権の誕生に機に「東京裁判は不当」「戦争の責任は日本だけではない」という主張が噴出している。

200万人にのぼる戦没者は上官の命令や軍の作戦に従い、消耗品のように異郷で果てた人たちだ。その魂の名誉を回復したいという思いが「戦後レジームからの脱却」を草の根で支えている。

◆死者の霊を慰めることが生きている者の務め

自分の父や祖父は侵略戦争のために命を落としたのではない、と思いたい気持ちは理解できる。

10年ほど前、中曽根元首相とテレビ番組で会ったとき、「日本にとって第2次世界大戦は侵略戦争ではなかったのか」と問うたことがある。中曽根氏は一瞬考え、こう述べた。

「アメリカとやった真珠湾攻撃からの戦争は帝国主義のぶつかり合いだった。その前に大陸でやったのは侵略戦争といわれても仕方ない」

帝国主義戦争でも侵略戦争でも、英霊は浮かばれまい。本土が戦場になれば家族や親しい人が犠牲になる、とやむにやまれぬ思いで戦闘に参加した人も少なくなかっただろう。

だが、中曽根氏が言うように、あの戦争は「自衛の戦争」ではなかった。中国はじめアジア全域で2000万人を超える死者が出た。異国で作物を奪い、村を焼いた日本兵の行為は今も語り継がれている。

戦争の死者は国境を超えておびただしい数に上る。平和憲法は無念の死を遂げた死者の叫びの上に築かれたのである。二度と戦争を起こさない、日本が心底決意したなら戦死者は犬死にではない。

死者の霊を慰めるのは、生きている者の生き方だろう。もう一度戦争に向かうことを、戦没者は喜ぶだろうか。お盆の迎え火を炊きながら、死者の名誉と心情を思う。

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