宮本昭洋(みやもと・あきひろ)
りそな総合研究所顧問。インドネシアのコンサルティングファームの顧問も務め、ジャカルタと日本を行き来。1978年りそな銀行(旧大和銀)入行。87年から4年半、シンガポールに勤務。東南アジア全域の営業を担当。2004年から14年まで、りそなプルダニア銀行(本店ジャカルタ)の社長を務める。
日本と中国がインドネシアを舞台に受注合戦を繰り広げてきたジャカルタと地方都市バンドンとの間を結ぶ高速鉄道(新幹線)計画は、大統領特使として9月29日に訪日していたソフィアン国家開発計画大臣が首相官邸で菅官房長官と会談して中国案を採用すると伝達し、日本政府側の大きな不興を買いながらひとまず決着をみています。
◆最初から中国に発注することを画策?
しかしながら、今回の決定過程には不可解な点がいくつもあります。インドネシア政府は当初、日本と中国の案は双方とも国庫負担が生じることや政府保証があることから白紙撤回を発表しましたが、その後、ナスティオン経済調整大臣が9月23日に谷崎泰明駐インドネシア日本大使と会談して改めて高速鉄道計画は再検討のうえ継続検討することを伝えています。
会談後に同経済調整大臣はメディアに対して「高速鉄道事業は検討するが、速度は決まっていないとして当初想定の時速300キロ超から200キロ超の中速鉄道の導入を検討する」と表明していました。日本政府は当初からプロジェクト全体を検討したうえでインドネシア政府の債務保証は欠かせないとして全面的な見直しには難色を示していました。しかし、その間に当初から中国案を推していたリニ国営企業担当大臣が訪中して政府と折衝したうえで、中国側がインドネシア政府の負担を一切求めない提案をしたため今回の決定に至ったとのことです。
高速鉄道計画から中速鉄道への公式な政府検討も経ず、さらに日本にも再度の提案を打診することなく唐突に中国案を採用することになったことは、インドネシア政府が最初から中国に発注することを画策していたという疑念を持たれても仕方ありません。
今回の決定に際しては、インドネシア政府内部でも混乱が生じているようです。プラモノ官房長官は「メディアに対して政府は高速鉄道の速度の検討を継続しており、最終的な判断はナスティオン経済調整大臣から発表する」と語っていましたが、そのプロセスは反故(ほご)にされています。
高速鉄道導入計画に関しては、インドネシアの優先課題である港湾、道路、電力などの優先案件があるなかで個人的には賛成できませんが、日本政府と同様にインフラ輸出を進めたい中国政府は、なりふり構わずインドネシアの地で日本と権益争いを決意しているように見えます。
◆今後も中国に苦戦を強いられそうな日本
それにしても、ユドヨノ前政権時代の1万メガワットの電力開発プロジェクトの多くを中国に発注したものの結果的にその多くが失敗に終わり、国費を浪費したつらい経験を持ちながら、その反省を生かすことなく、高速鉄道計画のように安全運行が求められるプロジェクトを中国に任せるという意思決定に驚きます。
もっとも、最近の中国のインドネシアへの積極的な姿勢には目を見張りものがあります。国務院傘下の中国開発銀行(CBD)はインドネシア国営銀行3行に対して各10億ドル、合計30億ドルの融資調印を完了しました。さらに、中国工商銀行(ICBC)は、すでに覚書をインドネシア政府と交わしており、インドネシアの国営企業に対して総額200億ドルの融資を行います。また、インドネシア輸銀に対してもICBCを中心としたクラブローンが組まれ5億ドルの調印が実施されています。
国力を反映した潤沢な資金力をバックにしてインドネシア政府に恩を売り、強引な手法でプロジェクト案件を取りに来ている姿が浮き彫りになっています。中国やインドネシアではガバナンスやコンプライアンスという意識が極めて希薄で賄賂文化も横行しています。このため、インドネシア政府が「インフラ整備事業はいくらでもあるので、日本政府は今後も中国に負けずに受注努力を続けて欲しい」と説明しても、一筋縄では行かないのは明らかです。日本はインドネシアでのインフラ整備事業に関して、中国との受注競争は今後も苦戦することになりそうです。
◆近隣諸国に大きな被害を与えている煙害
インドネシアでは現在、1997年以来最悪の「エルニーニョ現象」が続き降雨量も極端に減っており、雨期入りは大きく遅れそうです。既に米や農産物の収穫にも影響が出ており、政府は米の輸入も検討していますが、いま近隣諸国に大きな被害を与えているのは煙害(ヘイズ)です。
既にインドネシアのスマトラ島やカリマンタン島の被害にとどまらず、シンガポールやマレーシアにもヘイズの影響が及び、学校閉鎖や航空機の運航に支障が出ているのをはじめ、呼吸器障害などの健康被害も増大しています。
私は9月初めにシンガポールを訪問しましたが、その際もシンガポールの空はヘイズにより曇天で、焦げくさい空気が充満していました。シンガポール政府は事の重大性に鑑みて、インドネシア政府に対して消火活動のできる大型の航空機の提供を申し出ていますが、インドネシアのシティ環境・林業大臣は政府内で検討した結果、自国で対応できるとして支援申し出を受け入れていません。
現在、ニューヨークで開催中の国連総会にはカラ副大統領が出席していますが「近隣諸国(シンガポール、マレーシア)は1年のうち11カ月はインドネシアの森林から新鮮な空気をもらっており、1カ月ぐらいのヘイズは大した問題ではない」と東南アジアの大国の副大統領として全く知性と品格のない信じられない発言をしています。インドネシアの指導者層がこのような尊大な考え方で国を統治しているのですから、一大戦略に長けた中国がインドネシア政府に取り入るのは実に容易です。
◆止まらぬルピア安、ミニアジア通貨危機再燃の懸念も
ルピア安は止まる気配を見せず、対ドル相場は1ドル=1万5千ルピアを目指す勢いです。インドネシア中央銀行は市場介入を続けており、外貨準備高は8月の1053億ドルから9月1030億ドルまで約20億ドルも減少しています。
政府はルピア安を含む経済対策パッケージの第一弾として、産業競争力の強化のための国家プロジェクトの推進、低所得層向け支援や許認可の円滑化などを発表しましたが、市場はほとんど反応しませんでした。
第二弾として9月29日に、一定要件を満たす投資案件に対する許認可を即刻付与することやタックスアローワンスやタックスホリデーの申請後の承認期間を短縮する、さらに輸出業者に対する優遇措置として国内銀行に預け入れる定期預金に対してその期間に応じて金利にかかる源泉税を軽減あるいは免除するなどの措置を打ち出したものの、ルピア相場を見る限り、残念ながら市場が好感を持って受け止めたとは思えません。
前回の米国の金融政策決定会合(FOMC)において、利上げは中国経済の減速の影響に鑑みて見送られましたが、イエレン連邦準備制度理事会(FRB)議長の年内利上げに向けての意欲は変わっていないように思えます。
市場では年末に向けてさらなるルピア安を織り込んでいますから、先物予約するにせよ、ヘッジコストが大幅に上昇しています。中央銀行は先物市場にも介入して通貨需給を安定させると発表していますが、外国投資家が高騰するヘッジコストに嫌気して米国利上げを見越して債券・株式を売却し始めると、ルピア安を止める手段がなくなります。
となると、ミニアジア通貨危機の再来が危惧(きぐ)されます。インドネシア政府は年内までの残された時間のなかで、市場に強くアピールできる経済対策パッケージを出す必要に迫られています。
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