引地達也(ひきち・たつや)
仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。
◆大問題の空気
コミュニケーションとコミュニティー。「コミュ」で始まる2つの言語は、どちらもラテン語の「Communis」(共同の、共有の)が語源であり、コミュニケーションは「伝達する」の名詞形、コミュニティーは「共有のものにする」という意味で、この2つの関係は、ある複数のものを伝達により共有化していくというプロセスの、手段と結果とも言える。
つまり、コミュニケーションがなければコミュニティーは成り立たない。これまでコミュニティーの重要性を説いてきたが、コミュニティー形成の要諦(ようてい)であるコミュニケーションは、現代社会において大きな「悩み」ともなっている。
人間関係で悩む。この全てがコミュニケーション問題と言ってよい。自殺やうつなどの社会問題はすべて、コミュニケーション問題に直結している。こんな大問題なのに、社会でコミュニケーションの理解が進んでいるかと言えば、そうでもない。まるで関心がないかのごとくに、空気のようにコミュニケーションは存在し、その空気を浄化しようという空気さえもないと感じるのは私だけではないと思う。
◆感情と意味
コミュニケーションとは「感情」と「意味」で構成される。感情と意味のやりとりがコミュニケーションであり、この2つの比率が、その状況にあった適切なコミュニケーションを成立させる要素となる。例えば、家族同士の会話は、意味よりも感情に重きが置かれる。一方、職場では感情ではなく意味に重きを置かなければならない。
簡単に比率を出すならば、家族では意味と感情の割合が2対8、友人との会話は5対5、職場では8対2と考えるのが妥当だろうか。男女の会話はお互い引かれ合い、愛し合うほど、感情の割合が高くなることだろう。
また職場においても、業績や収益といった成果を求める会社組織ならば、その目標に向かって感情は抑えられ、意味が先立つ環境となる。人の発想やつながりを重視し、その中から成果が生まれる、という考え方の組織ならば感情を大切にするかもしれない。しかしながら、経済環境においては、感情が意味を上回ることはないであろう。
◆広がる可能性
私は取材やボランティア活動で様々なコミュニケーションを取り計らってきたが、誰もが初対面となる相手との関係構築において、最初は意味のやりとりから始まり、だんだんと感情を引き出し、こちらの感情も示しながら信頼を得ようと努力してきた。信頼を得るには、感情の割合をいかに高くするかが、重要なポイントがあろう。
特に東日本大震災の被災地の現場で築いてきたコミュニケーションは「物資が足りない」という意味のコミュニーションに加え、物資が足りないことによる感情の表現を聞き入れ、それに対応する言葉を放てるかの連続であった。
同じように私とともに、ボランティアを行い、被災者との対話ができた人、できなかった人がいたが、この感情を受け止め、返す、という行為ができたかが、それぞれの結果であるように感じた。復興に向けたコミュニティーが成立したかどうかの差は、この感情の細かなやりとりへの配慮が関係している。
コミュニティーは収益性よりも公共性が重視されるものであり、会社組織よりも、意味と感情のうち「感情」を重視するべき類のものである。これまで人のインフラである「ヒューマンウエア」という表現で、社会でのコミュニティー化を説いてきたが、その手段のコミュニケーションの重要性を認識し、その中でも感情に焦点を当てることが基本であると、ここで確認したいと思う。
感情を重視する考えに至れば、コミュニティー化には言語による障壁ではない。つまり、感情が共有化されることで、コミュニティーは言語を超えるという可能性が広がるのである。
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