п»ї コルビュジエの思い、小さなハードウエア『ジャーナリスティックなやさしい未来』第34回 | ニュース屋台村

コルビュジエの思い、小さなハードウエア
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第34回

1月 16日 2015年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆丘から川へ

昨年のクリスマス前日に引っ越しをした。横浜市と川崎市のちょうど境目を走る丘陵地に位置する住宅街から東京東部の東京湾に流れ込むいくつかの河川が交差する入り江の地域への移動。丘から川へ。

なだらかな丘にしたがって居並ぶ住宅と畑地から静かに揺蕩(たゆた)う船舶が並び堤防脇から住宅が小さく肩を寄せ合ってたたずむ街へと、見える風景ががらっと変わった。そして、住まいも東京の地価を反映して坪単価が上昇した分、専有面積が減った。

私としては、面積を削ることで電力やガスなど消費エネルギーを削減し、生活をより効率化しようとの考えだから、生活と思想が一致した結果の最適なハードウエア設定である。その小さな家の暮らしはとても快適で、今までいかに無駄なエネルギーを使っていたかと実感する。

この小さな家での小さな生活は、建築家ル・コルビュジエ(1887~1965)が両親のためにスイス・レマン湖のほとりに建てた「小さな家」に通う思想の実践でもある。

スイス生まれのフランス人、コルビュジエは、フランク・ロイド・ライト(米)、ミース・ファン・デル・ローエ(独)とともに建築家3巨匠の一人であり、絵画や雑誌編集などでも才能を発揮。日本での作品としては世界遺産の候補にもなった東京・上野の国立西洋美術館が有名である。

フランス・ロンシャンの礼拝堂、インド・チャンディガールの都市計画、幅広の黒い革張りが印象的なソファなどコルビュジエが手がけた仕事は、今も世に浸透し、そして驚きを与えるものばかり。そんな大きな仕事とは一線を画して、世に出され、今もコルビュジエの多様性を示す作品として名高い二つの作品は、建築とは何かというテーマを現代に投げかけているようである。

一つは前述の小さな家であり、もう一つは晩年、南仏のマルタン岬に建てられたキャバノン(休暇小屋)。休暇小屋はロマ人とされる妻イヴォンヌに捧げたともいわれる小さな空間で、コルビュジエは77歳で休暇小屋近くの海で亡くなった。

◆「人間の未来」空間

両親への「小さな家」は約60平方メートル、妻への「休暇小屋」は約16平方メートル。その小さな空間には、生活の豊かさと愛情が詰まっている、との評価も多い。建築家の西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)さんはコルビュジエの住宅について「生きることの喜びがあふれ、また人間の未来を感じさせる」と表現し、1923年に設計し、25年に完成した小さな家を「これからの生活はどんなものか、どうあるべきかということを、住宅をつくることで表現してみせた」と話す。

人間の生活を機能的に考えて造られた「小さな家」だが、モノカルチャーが進んで、モノに距離を置く私のように、サイズの縮小化とともにコルビュジエの思想を現代の社会に生かしたい、まずは自分の生活に取り入れたい、と考える人も少ないと思う。この思想を実践することによって、物に左右されず、家族や同居人ら手を握り合うべき人との距離が近い、人間が基軸の生活と生活空間を手に入れることができるという期待が広がっている人たちである。

数年前、私が東京・町田駅近くで夜のカフェバーを委託経営していたことが数カ月あった。昼間は高齢者向けの「コミュニティ福祉カフェ」をしていたオーナーから収益率を上げるために同じ場所で夜を「衣替え」させてカフェバーとしての運営を託された。そのカフェバーの名称は「コルビュジエの階段」。韓国人実業家の知人から保管をお願いされ、自宅脇の通路に無造作に置いていた巨大なコルビュジエ作の階段を展示することで、不思議な空間を演出しお客を集め、ネットワークを広げるのが狙いだった。

店長も雇い、しゃれた空間を演出してみたが、昼間の健康志向の福祉カフェから夜の雰囲気転換に難渋し、私のマネジメント能力の欠如もあり、結局お客は増えず、昼間のカフェがそのテナントから撤退するのと同時に店も閉店した。これは私のコルビュジエに関する苦い経験である。

◆適正な成長の実践

あの日、コルビュジエの階段の横で考えていた私のカフェバー事業に関する思いは「巨匠の階段を見世物にする」という卑猥(ひわい)な考えに基づくもので、今では恥ずかしい限りである。そして今、引っ越した小さな家の中で考えると、この世には無駄な空間が多く、その多くは欲望の残骸のように見えてくる。

生活の場であるハードウエアのスケールを小さくすることで、自分の考えや愛情が空間に行き渡ることになり、おそらく穏やかで他者からの侵害に抗する力をつけた生活が確立するようになるのではないだろうか。経済成長率を高めることが国家の命題だとする方向から立ち止まって、生活を小さくすることで、成長率を圧縮できるとの選択肢もあってよいと思う。

実は成長率を圧縮して、適正な成長(マイナスも含めて)を描き、ハードウエアのスケールをそれに合わせて生活を適性化していくことで多くの人の幸福を実現できるように思えてならない。私個人としては、この引っ越しからそれを実現していきたいと思う。

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