小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住16年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
バンコック銀行のシーロム本店にある日本語カウンター「JAPAN DESK」の創始者の1人であるジンタナさんが退職する。
この記事を読み進めていただく上で読者の皆様の誤解を避けるために、バンコック銀行の日本人向けサービスについて若干説明させていただきたい。私がバンコック銀行に転職したのは2003年4月。前任には同じ東海銀行から出向、転職された新井寿さんがおられ、バンコック銀行の日系企業向け取引の礎を築き上げられていた。その基盤の上に更に準備を行い、04年10月より日系企業部という組織が発足した。この組織の英文呼称として当初使用したのが、一般的になじみのある「JAPAN DESK」であった。
◆「JAPAN DESK」の変容
2000年の外国人事業規正法の改正により、タイでは製造業において外資(日本からの出資も含む)100%での会社設立が認められるようになると、日本企業のタイ進出ブームが起こった。1998年に日本の生産年齢人口(15歳-64歳)がピークを迎えるとその後、それに並行して日本の国内総生産(GDP)は減少を始めた。日系企業は売り先を海外に求めなければジリ貧になる外部環境となってしまった。一方、日本国内では円高をはじめとする「六重苦問題」が語られ、更にチャイナプラスワンの観点から、タイは日系企業の進出先国ナンバーワンとなっていった。
こうした追い風に恵まれ、我々バンコック銀行日系企業部は順調に業容を拡大していった。もちろん、こうした業容拡大に導いてくれた日系企業部員の努力に対しては、多大な感謝をしている。そして日系企業部の陣容が50人を超え、取引先も千社を超えるあたりから、我々の名称「JAPAN DESK」が実態にそぐわなくなってきた。
「ジャパンデスク」の一般的な語感は、「数人の日本人もしくは日本語を話せる人が座っている部署」である。我々バンコック銀行日系企業部はこうしたイメージをはるかに超えた巨大な組織となっていた。このため我々の英文呼称は、日本語呼称をそのまま英文化した「JAPANEASE CORPORATE」と変更した。
同じ頃、タイの他の地元銀行が日本人向け取引の拡充に動いていた。日本語を話せるタイ人を雇い、日本人向け個人口座の開設やクレジットカードの販売を行う「ジャパンデスク」を設置し、新聞やフリーペーパーに大々的に宣伝をしていた。
こうした他行の攻勢の中で我々バンコック銀行はどう対処したら良いのだろうか? 地元他行が広告を始めた当初の私の考え方は以下のようなものであった。
「バンコック銀行日系企業部は企業取引を専門としている。日本人個人取引については駐在員中心で、常に転勤するため預金取引に限定され、かつタイ転入時に給与振込銀行に指定されるはず。よって広告宣伝をする必要はない」。ところが地元銀行の戦略は私の想像をはるかに超えて日本人の中に浸透し、日本人社会の中で急速にバンコック銀行のイメージが低下していった。
こうなったら私も自分の間違いを認めるしかない。方針転換である。嶋村浩シニア・バイス・プレジデント(SVP)が中心となって日本人や日本語を話せるタイ人を採用し、日本人個人向け業務とこれに付随する日本語広告宣伝業務を開始した。
バンコック銀行の商品を説明する日本語ホームページは、会社取引を行う中で片手間仕事として既に06年くらいから始めていた。まずはこのホームページの中味を見直すとともに、「メール照会に対する回答業務」を開始。このメールによる照会は現在もコンスタントに1日5件程度受けている。この他、ATM(現金自動出入機)スクリーンの日本語化、クレジットカード申込書の日本語化、日本語商品説明書の取り入れなど矢継ぎ早に個人向け施策を実施した。
11年10月には、シーロム本店に日本語を話せるタイ人2人を配置した「JAPAN DESK」を設置した。こうして「JAPAN DESK」は当初の日系企業取引部署の名称から意味合いを変え、日本人の個人向けサービスカウンターとして再発足したのである。そしてこの設立メンバーの1人が、ジンタナさんである。
◆郷に入れば郷に従え
先日、このジンタナさんの送別会を行った。ご主人の生まれ故郷であるオーストラリアに行くのである。退職を引き止める手立ては無い。ジンタナさんに「JAPAN DESK」での3年を振り返ってもらった。ジンタナさんの日本語はこの3年間で格段に上達した。いつも笑顔のジンタナさんのファンは数多くいる。ジンタナさんにとって「ジャパンデスク」は我が子のような感覚なのかもしれない。明るい涙を見せながら、この3年間の思い出を語ってもらった。
ジンタナさんが相手をした日本人顧客の中には困ったおじさんたちも沢山いた。「順番を無視し自分を一番最初にやれと主張する人」「年金の受取銀行変更処理をバンコック銀行がやれと無茶振りする人」「銀行のカウンター内に子供がいるのを見つけ大声で怒鳴る人」。いずれも銀行内で日本語を大声で出し、文句をつける。決して1人2人の話ではない。日本人として恥ずかしい限りである。
なぜこんな日本人が増えてしまったのであろうか? 老人社会となり、老人特有の頑固さや怒りっぽさが目立ってきたのであろうか。あるいはタイ人を見下しての行為なのであろうか。はたまた言葉が通じないことによるフラストレーションのなせる業なのか。
当初、私たちはこうした日本人顧客に対して毅然(きぜん)とした態度でお取引をお断りしてきた。日本のデパートや銀行ではこうした「クレーマー」と呼ばれる顧客の要求に「土下座」や「謝罪文」を書かされたりすると聞く。二言目には「消費者庁に訴える」とか「金融庁に訴える」とか言うようである。「このようなクレーマーをのさばらせるのは問題ではないか」というのが私の問題意識である。
特にここはタイである。我々日本人はこのタイの地を借りて商売や生活をしているのである。タイのやり方を尊重できないならばタイから退散すべきではないかと思う。繰り返しになるが、ここは日本ではないのである。
ところがジンタナさんはこうした私の意見に明るく応えてくれた。「最近はこうした困ったおじさんたちが減ってきましたよ」。ジンタナさんの素敵な笑顔には、困ったおじさんたちの困った所業を封印する効力があるようである。「明るい笑顔」が何よりも効用のある薬のようである。
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