п»ї タイの研究開発振興政策(その1)『クローズアップ・タイ』第1回 | ニュース屋台村

タイの研究開発振興政策(その1)
『クローズアップ・タイ』第1回

1月 08日 2016年 経済

LINEで送る
Pocket

西村裕夫(にしむら・ひろお)

1951年新潟県生まれ。上智大学経済学部卒、筑波大学経営学修士(MBA)。日本の大手メーカーに40年間勤務。この間の2003年にタイで工場を立ち上げ、4年間勤務した。定年退職後の13年に再度タイに赴任し、会社を設立。現在はタイ企業に勤務。著書に『私のフィールドノート』(自費出版)がある。

私は日本の大手メーカーおよびその関連会社で40年働き、その間に2003年からタイで事業を立ち上げ、4年間を過ごしました。定年退職後、再度タイに赴いて3年間働き、もうすぐ65歳になろうとしています。この7年間のタイでの生活・仕事経験を通じて感じるところを書かせて頂きたいと思います。ご高承の通り、経済はグローバル化して繋(つな)がり、タイでのいろいろな出来事には、その先に日本を含めた世界があります。タイの事案をクローズアップすると、その先に日本が見えてきます。こうした視点で、タイでの経験・知見と日本の現状への考察もしてみたいと思います。

◆最近のタイでの経済政策の論議

最近のタイ政府の政策の中で、「中進国の罠(Middle Income Trap)」からの脱却ということが一つのメインテーマとなっている。構図的にいえば、「先進国の高度技術、高付加価値製品と後進国の低労働コストによる安値品」に挟まれて、タイの経済成長に今後多くを望めない、一人当たり国民所得が6千~7千ドルで頭打ちになる、これを打破していくため、研究開発による高付加価値製品、生産性向上が必要――とする主張である。高速鉄道など大型のインフラ投資を中心に公共投資を行う一方で、「研究・技術開発の促進(移転・育成)を通しての製品の高付加価値化」が叫ばれている。

これに沿った形で、タイの産業政策を担うタイ投資委員会(BOI)は、2015年1月から従来の投資奨励政策を大きく転換した。従来地域別に設定していた投資奨励内容を、産業分野別とすることでタイ産業の高付加価値製品へのシフトの意図を明確に示した。ざっぱくに言えば、衣料・靴など軽産業へは投資を奨励せず、そうした産業はラオス、カンボジア、ミャンマーなど周辺国への投資で構わないという考え方である。

特に、研究開発投資に対するインセンティブをトップランクに上げ、投資額の2倍にあたる法人税免税を認めている。また、15年11月には「未来産業(10業種)」に対して更なる恩典を与え、その投資促進を図ることも発表している。

一方、企業側、特に日系企業においては事業のグローバル化を背景に、タイの供給・輸出基地化の強化、地域特性を踏まえた商品開発のため研究開発センター、テストコースなどの立ち上げが続いている。前述のようなタイ政府の奨励措置もあって建設ラッシュといっても良い状況である(別表)。しかし、開発拠点といいながら、実際の業務は評価データ収集・解析、定型的な設計など限られた側面にとどまっているようである。また、JICAをはじめとする公的機関は産学協同研究プログラム、人材育成プログラムなどを提起して、研究開発体制の促進を側面援助している。

これらの施策は一見理路整然で必須の流れに見えるが、にわかにタイで研究開発組織が機能するのか、有効に機能させるには他に考慮すべき道筋があるのでは、というのが本稿の問題意識である。また、最後にタイの現状の向こうに見える日本のあり方についても触れてみたいと考える。

◆タイの技術開発に関する状況

ご存知であろうが、タイにはノーベル賞受賞者は1人もいない。日本では自然科学系(物理・化学・生理など)で21人(元日本国籍者が他に2人)、文学ほかで3人、合計26人が受賞している。

筆者はノーベル賞の礼賛者ではないが、これらの研究者が私たちが生きている時代の科学技術発展に貢献してきたことは理解している。生物学的に高度IQ者、いわゆる天才の発現率が民族によって大きく変わるということはありえず、後天的な経験、それを生み出す文化、教育を含む社会制度などが影響しているものと考えている。

本稿は技術開発に関する現況を報告することが目的ではないので、過去の研究文献および筆者の実務経験をベースに現状・課題を整理し、今後のあり方について考察してみたい。

(なお、研究文献としては、やや古いが文部科学省青木勝一.氏らによる「タイの地域科学技術と産学連携」、科学技術振興センターのチャップマン純子氏による「科学技術・イノベーション動向報告~タイ編~」などがある。また人材評価についてはみずほ総合研究所の杉田智沙氏によるレポートなどあるので、詳細を知りたい方は参照頂きたい)

(2)考察
前述の通り、タイの研究開発の置かれた状況には厳しいものがある。ただし、以下の背景や最近10年で大きく状況が改善されてきていることも指摘したい。

①工業化の歴史が短いこと
タイの工業化は1960年代後半からであり、工業化が始まって50年程度、世代としては第2世代から第3世代といったところである。依然として農業国としての社会的性向を色濃く残している。

明治維新以来150年の歴史を持ち、国内総生産(GDP)の大きな日本と比較すること自体がナンセンスと言える。タイで2000年代前半に作成された国家計画が着実な実効を挙げていない点が気がかりであるが、計画と実際の差はタイではままあることである。

②技術に関する社会的認識
タイ市場の品質への関心はあまり高くはない。これは基本的に国内市場が保護され、高品質品が市場に出回らなくてもよかったこと、タイ人消費者の品質要求が強くなかったことによるものと思う。自動車生産も1990年代まではノックダウン方式が主体で、品質活動を強調するニーズは限られていたと思われる。何より1900年代のタイは貧しく、品質よりは低価格が消費者の一番の要求であった。

しかし、時代は変化している。一つは民間企業でのISO(国際標準化機構)の規格導入や輸出強化のためのグローバル品質要求などによる品質活動の活発化である。さらに、所得の向上で多くのタイ人が日本へ旅行するようになって、自分たちの生活や商品の質について認識するようになってきた。大規模ショッピングモールでの食品販売は諸外国のそれを学んだものか、タイの伝統的なタラート(市場)とは違って清潔なものとなっているし、富裕層は日本からモモやイチゴを直接宅配便で購入しているという。加えて、IT革命で商品の世界標準を即座に知るようになった。品質への関心は、日本ほど高くないにせよ着実に高まってきており、今後も促進されるものと思われる。

一方、研究開発者・技術者への評価や認識にはまだまだ課題がある。一言で言えば、研究者は社会的評価や経済的地位に恵まれていないということである。一般的に豊かになりたいなら、官僚・軍・警察などの職業と言われており、大学での履修科目が直接的に就職に結びつく社会だけに、医療関係を除けば自然科学系科目、研究者やエンジニアは学生にとって魅力が少ないものと思う。

また、贈与税や固定資産税がない(現在制度導入検討中)だけに、一度富裕になれば子孫代々富裕ということもあり、タイ人には金銭志向が高い気風がある。目先の高収入に目を向けがちな傾向があり、研究者やエンジニアはこれに向いていないという問題がある。

③研究開発費
研究開発費が低位であったのは、技術輸入に依存してきたこと、タイ企業の技術開発への関心が薄かったこと、外国企業では親会社が開発機能を持ちオーバーヘッドを軽減できたこと、すなわちタイ子会社は製造・販売に特化する役割を担ってきたこと、タイ市場では最新技術製品でなくても十分競争が出来たこと、親会社が知的財産を占有することでロイヤルティー収入を得る構図であったこと、研究開発費の大きな比率を占める人件費が低かったことなど様々な要因がかかわっている。

実際、自動車の排気ガス浄化技術やエコカーの導入は日本よりかなり遅れて実施された。しかし、最近研究開発施設の設置が進んできており、今後一定の投資金額増加は期待されるが、コア技術・安全・製造者責任のかかわる領域については、まだ現地に任せられないという企業も少なくない。

④人材
量的・質的に大きな課題がある。識字率の高さなどタイの教育レベルは決して低くはないが、工業型経済への人材供給に課題は大きい。過去10年で基本的な開発関連業務、評価業務、定型的な商品開発はタイ人で十分行われるようになった、という意見も聞く。

特に自動車事業での輸出拡大、グローバル品質へのキャッチアップがこれを促進しているものと思われる。三菱自動車のパジェロ・スポーツが全世界へ出荷されるようになり、その他のメーカーも含めて100万台以上の自動車が輸出されるに至っている。しかし、革新的な商品、着想など創造性を要する領域は、タイではまだ無理という意見が多い。人材の件は後段でも意見を述べるが、初等教育のあり方も含めた改革が必要に思う。

今回は、タイでの技術開発やそれを取り巻く状況についてマクロ的な視点で見てきた。第2回ではこれを踏まえた具体的な対応策について述べたい。

コメント