西村裕夫(にしむら・ひろお)
1951年新潟県生まれ。上智大学経済学部卒、筑波大学経営学修士(MBA)。日本の大手メーカーに40年間勤務。この間の2003年にタイで工場を立ち上げ、4年間勤務した。定年退職後の13年に再度タイに赴任し、会社を設立。現在はタイ企業に勤務。著書に『私のフィールドノート』(自費出版)がある。
前回はタイの研究開発状況についてマクロ的な視点から整理し、様々な問題や課題があることを指摘した。今回はこれを踏まえて、ステップアップのための方策について私見を述べたい。本稿は筆者のタイでの生活や勤務の経験を踏まえているために、やや独善的な面があるかもしれないので予めご了解頂きたい。
筆者は、タイ政府が様々な優遇策を用意しても、「R&D(研究開発)→価格競争の回避→成長力の源泉/企業成長のエンジン」となるような「基礎研究-応用研究-開発研究」の体制がにわかに出来上がり、かつ機能するとは考えていない。それは、基礎力(特に人材とマネジメント)に欠けるからで、いわばタイのサッカーチームが欧州のプレミアリーグに挑戦するようなものだからである。現実的な研究開発力向上の道筋について述べてみたい。
◆提案:まず高品質を目指すことからスタートを。(品)質経営の導入・レベルアップを
この提案には後述するような背景がある。当面、最新技術でなくとも「高品質」で「高付加価値=成長エンジン」は達成できると考えているからで、かつ、この取り組みは、研究開発に向けた基礎力の強化に繋(つな)がるのである。
①一つは1970年代のドルショック後の日本企業の対応戦略である。それまでの1ドル=360円に支えられた「安かろう悪かろう商品」から、「良かろう商品」への転換である。新潟県燕市の金物産業が良い事例である。
日本企業の品質改善活動が新たな技術開発=シーズを物にするベースとなったことは疑う余地がない。80年代に「日本の基礎技術ただ乗り」の批判があったが、それでも日本経済は発展し、燕市の金物産業は今でも生き残っているのである。
②最近の技術開発の中で「マツダのスカイアクティブ」に注目したい。発表によれば、従来のガソリン・エンジンで2015年で08年比30%燃費が向上したという。目の付けどころは、燃焼効率の向上(圧縮比、空燃比、燃焼期間、燃焼タイミング、ポンピング損失)であり、ハイブリッドのような新機軸ではなかった。実現に導いたのは、部品の製作誤差による性能の個体差を極小化することで商品スペックを全数保証したことである。マツダとその傘下の部品メーカーの品質総合力がここにある。品質を極めれば、技術のブレークスルーがあるのである。
③時事速報(2015年7月31日、9月4日、11月5日付)によれば、ベトナムでのタイ製品の売れ行きが好調とのことである。同記事では「ベトナム市場にあふれるタイ製品」「ベトネム市場に攻め込むタイ製品=中国製を退ける」「タイ製消費財が中国製を追い払う」などと表現されている。
タイのセントラル百貨店などの進出でタイ製品の入手が容易になったこととともに、「タイ製品はあまり高すぎず、高品質な製品として位置づけられている」からだと報じられている。ベトナムは低所得国であったため、中国製安値商品が市場を席巻してきた。ところが最近タイ製品が割高であるにもかかわらず品質の評価が高く、中国品を駆逐し始めているのである。高品質が販路の拡大、高付加価値に繋がる事例と言えよう。
構図にしてみると一見容易に思えるが、各項目には様々な課題がある。それを整理し、後に考察してみたい。
<諸課題>
1.社会的合意
(1)品質に対する企業・従業員・消費者の意識の向上
(2)品質を支える研究者・エンジニアへの社会的評価の向上
(3)教育改革への理解とサポート
2.教育・人材育成
(1)理数教育、英語力、論理性、発想法など従来の教育からの転換
(2)天才の育成、活用
(3)タイ社会への影響
3.民間企業、特に日本企業の「品質経営」の取り組み
(1)社内教育と実践
(2)マネジメントシステム(開発マネジメントも含む)
(3)親会社のコミットメント
◆諸課題の考察
(1)高品質社会に向けた社会的合意
これはタイ人が決めていくべきことで、筆者が気をもんでもしようがない話だが、タイ人が求めないサービス・品質をタイ人が作り上げるわけはなく、社会的合意として「高い品質志向」ができ、タイ人が高い品質要求を行うことが前提という意味である。そして、それに対応する製品・サービスをタイ人自身が作り出していくことが必要ということである。現状でも十分良い、というならそれ以上の前進は期待できない。
前回も述べたが、タイでの品質に関する認識は高まってきている。ただし、筆者も含め多くのタイ在住の日本人が感じるのは、まだ「クレームの出ない程度の品質、なんちゃって品質」ではないか、ということである。
水道水とセメントがその例である。タイの水道水は飲まないほうが良い。また、洗濯を続けているとワイシャツはだんだん薄汚れてくる。きれいな水が蛇口から出てくるのを望むのは日本人だけだろうか? セメントは、強大なサイアム・セメントが市場を席巻しており、日系ゼネコンもその品質を受け入れざるを得ない。築年の経過している高層マンションの今後が心配である。
身の回りでも、柔らかくて書きにくいボールペン、芯の良く折れるシャープペン、すぐ充電が切れる携帯電話、折り目を間違えるドライクリーニング、携帯電話に夢中で客が目に入らない店員など、筆者が我慢できないものがある。
鉄鋼素材は日本と品質格差があり、安全・品質に影響するボルト・ナットなどは、汎用部品でも日本からの輸入は続いている。
さらに、研究者・エンジニアの社会的評価の改善については、政策として継続的に取り組み、10年単位での評価が必要となる。
(2)教育・人材の育成について
タイ人には一般的に後述するような弱みがあり、今のままではタイ人は研究開発業務に向いていないと多くの日本人が語っている。筆者も同様に感じることがある。これが不足していると怒る、怒鳴り散らす日本人経営者・管理者もいるが、そうしたところでタイ人は変わらない。反発だけである。日本人がタイ人に受け入れやすいように工夫、努力を続けることが必要なのである。時間はかかるが、やっていくしかないのである。
ア.現状否定的発想や疑うこと、論理的思考の訓練
タイ人の重要な価値観にはマイ・ペンラーイ(元に戻る、大丈夫、気にしないでなどの意)があり、相手を思いやり対立を好まない思想が根底にある。現状に疑問を持ってそれを発言したり、物事を波立たせたりすることを嫌う性向がある。タイの初等教育では、①先生の言うことに疑問を持たないこと②疑問が生じたら①に戻ること、と教えられるという。また、居心地の良いこと(サバーイ)と楽しいこと(サヌーク、サドゥアック)が生活上の第一優先事項である。
それらはタイの基調的文化として尊重する必要があるが、研究開発において、目標と現状の差、二律背反、現状否定といった基本的な発想が重要である。教育の基本的思想に係わる問題として考えていく必要がある。
イ.理数系知識、英語力、英語論文から知識獲得
前回述べたようにタイ人の理数系リテラシーは周辺国に比べても高くはない。品質管理のセミナーで、受講者が分数の足し算・割り算が出来ず、セミナーが計算を教えるセミナーに急きょ変わったという笑い話にもならない話を聞いたことがある。
英語論文からの最新技術情報入手は研究開発の基本であり、英語力向上は大きな課題である。
ウ.仕事へのコミットメント(自発性、しつこさなど)、失敗からの学習、情報共有
筆者はタイ人の言い訳に悩まされてきた。そして、自分ながらに対応を工夫してきた。例えば、仕事が納期どおりに出来上がらない時になぜ?と聞くと、「誰々さんがやらなかったから」「納期など聞いてなかった」など自分のせいではないと主張する。その時には、「関係者をフォローするのも仕事のうち」だと指導し、またメールなどを使って指示の証拠を残すようなことも行ってきた。「5WHY」(一つにつき5原因ずつ5段階さかのぼっていくやり方)による原因追及の実践も苦手である。しつこく問い質すのはタイでは嫌われる。適当なところで何となく妥協、分かったつもりになるのである。
仕事に対する責任感、仕事を極めようとする姿勢は弱く、ジョブホッピング(良い条件を求めて転職を繰り返すこと)で今までの教育訓練が水の泡となることは、多くの日本人が嘆くことである。
エ.長期的視点、先を読む
トヨタがプリウスの研究開発に着手したのは1990年である。当時世界的にも省エネルギー、環境問題への意識は今ほど高くはなかった。その中でトヨタは開発に着手し、いち早く新カテゴリーを作り上げたのは単なる結果論ではあるまい。長期トレンドを踏まえて、諸源を探索し、これを統合して製品化したのは、経営の長期的視点と技術者に対する経営的サポート、開発マネジメントが存在したからと考える。
タイでは一部の官僚を除けば、長期的に物事を考える人々は少なく、経営者でもこうした視点はあまり感じられない。欧米のMBA(経営学修士)を取得した若手経営者も少なくないが、長期経営計画を持ち、これを発表、実践しているタイ企業は少ない。
以上述べてきたことを一つひとつ指導していく、マネジメントを工夫することが日本人の責任である。解説者風に問題を指摘し、傍観していても解決しないからである。また、人材育成への事例としてマレーシア日本国際工科院(MJIIT)を参考としたい。以下は時事速報(15年11月5日付)の記事によっている。
同大学はマハティール首相が01年に日本式の工学教育を行う大学設置を当時の小泉首相に提案したことに始まる。11年に開校し、15年10月に一期生73人が卒業を迎えた。同大学は国立マレーシア工科大学の傘下に設けられ、教授を中心に教員や学生がグループで研究にあたる「講座制」をはじめ、日本の工学教育の手法を取り入れている。日本政府は円借款とともに、研究機材やカリキュラム整備の支援、日本の26大学からの教員派遣、マレーシアからの留学生受け入れを支援している。同大学の副院長(日本人教員)によれば、マレーシア人学生について「(研究発表などの)コミュニケーション力は高い一方、結果をすぐ求めがちで、なぜそうなるかのプロセスを軽んじる傾向がある。日本人の教員が《なぜ》の部分を質問攻めにして指導している」とのことである。
筆者は同様の取り組みがタイでも必要と考えている、日本語より英語、さらには日本人の考え方・進め方を理解し、「考える力」をもったタイ人従業員を日系企業は求めているのである。
(3)民間企業、特に日系企業のコミットメントについて
筆者はタイの技術開発レベルが上がり、タイ経済が活性化していけば、必ず日本経済にも好影響を及ぼすと確信している。特に数千社の日系企業がタイに投資を行っている以上、タイ経済の成否は投資した日系企業とその親会社に影響を与える。もはや軽産業を除けば他国に転出することは難しく、タイの経済成長を我が事のように捉える姿勢が日系企業には必要と考えている。
とは言え、後述するような問題も抱えており、品質経営の必要性についてタイ側から親会社に向けて問題提起するとともに、品質教育のさらなる充実を期待するのである。そしてこれを担えるのは、それを実践してきた日系企業であると確信している。
ア.問題点
①開発・エンジニア人材や経験が不足していること、ジョブホッピングでの情報流出リスクもあって、コア技術は日本人で占有する傾向が強い。PL(製造物責任)法や安全に関連する設計は現地には任せられないと考えており、現地部品評価、製品評価など一部の研究開発領域にとどまっている。受託生産品については、主に日本人設計者が対応しており、タイ人技術者に技術・ノウハウの公開を抑えている。
②日本の親会社の収入としてロイヤルティー(技術料)があり、移転価格問題の厳格化もあって、親会社方針として収入源であるコア技術は公開しないとしているところが少なくない。
③一般的に日本人経営者は4~5年程度の任期で、研究開発といった長期的取り組みでは実績づくりが難しい。タイ人の働きぶりを批判する経営者もいるが、これをどう育成していくべきかについて、とくにキャリア開発について明確な指針が出せないでいる。
イ.対応の道筋
(ア)ベンチマーキング
達成すべき目標値の設定と課題設定・評価の問題である。これをタイ人自ら行うことが望ましいが、まずは日本人がレールを敷くしかないだろう。感覚的であるが、タイ製品の品質は総じて日本の70~80%程度ではなかろうか? これをステップバイステップで日本製品の90~100%に持って行きたい。それには相当な努力と意識改革が必要である。また、知識を共有していくマニュアル化などの努力も必要である。
(イ)企業内教育・人材育成
残念ながら現状でのタイの学校教育では、期待される人材供給はまだまだ先と考えねばならない。したがって、人材は「仕事からの学び」で育成・確保していかざるをえない。これは米マイクロソフト社の教育体系の基本でもあり、また多くの日系企業が実践して成果をあげている。まずは学ぶことを教えていかねばならない。
課題は、知識を得た人間がより高い給与を求めて異動することで、せっかくの知識の深化が妨げられている。知識が思想化・ツール化しないので、汎用性・応用性がなく、品質向上の起爆剤とならない。一般的にタイ人の知識は表面的で、深く考えるとか「5WHY」、プロセス重視が実践できていない。こうした面でのアプローチが課題であるが、失敗を恐れずやってみるしかない。
トヨタ方式、ホンダ方式をはじめ、多くの日系企業が企業内での学習システムを研究し展開している。ジョブホッピングがあるにせよ、これを推し進めていくしかないと考える。日系企業が不得手なジョブキャリア提示や抜きん出た処遇も考えていく必要もある。
(ウ)マネジメント
筆者の印象ではあるが、タイ企業社会では創業者による個人的経営での大企業がまだ多い。戦後の日本と同じである。大企業でも家父長制を引きずったマネジメントを感じることが多い。欧米式のマネジマントは学ばれており、グローバル水準のマネジマントが叫ばれているが、実践度には筆者は疑問を持っている。この面で、日系企業が開発・改善してきた手法は適用できると考えている。
主な手法としては、①長中期経営計画②方針管理③「PDCAサイクル」(計画〈plan〉→実行〈do〉→評価〈check〉→改善〈action〉のマネジメントサイクル)④研究開発マネジメント⑤改善活動、「5WHY」、見える化、などである。これに「(品)質経営」を加えたい。これらの手法は多くの日系企業で行われていると聞くが、実施主体は日本人でタイ人自身が自ら展開しているのは数少ないようである。課題はこうしたマネジメント・ノウハウをタイ人に移転し、自らが日常的に使ってくれるかにある。
また、開発業務に関する親会社のマネジメントも課題である。どの領域まで移管していくのか? どこまで失敗を認め、いつまで待てるか? ロイヤルティー収入をどうしていくのか? 投資採算はどう計測するのか?――など総論では済まない課題が多い。基本コンセプトの方向を維持しながら、個別的・状況的に判断していくしかない問題がある。
4.終わりに
2回にわたり、現在のタイ政府の進めている研究開発促進政策に関する私見を述べさせていただいた。日本には「(品)質経営」についての多くの研究者や企業内でのマネジメント実践者がいる。こうした方々の知見・見識が幅広く提起され、より効果的な政策、企業運営へ反映されることを期待している。ただし、「指導してやる」といった「上から目線」ではなく、タイの伝統的なものの考え方とどう同調させていくかを十分に考えておく必要がある。
私が今回指摘した事案は、タイでの工業型人材供給のあり方にもかかわっている。過去、英国での産業革命、日本での工業化・地方の過疎化など、工業化過程で様々な問題が発生した歴史があり、タイにとっては研究開発促進といった単純な問題で終わらない。この国での農業のあり方や所得配分の問題まで議論が発展していく可能性もある。社会発展過程の問題でもあり、国民的な合意、社会思想の健全な変化を期待する。
タイは「ほほ笑みの国」と言われているが、それはそれとして曖昧(あいまい)なほほ笑みの背後に「高品質の国」をつくり上げて欲しいと願っている。
一方日本を見ると、「大手電気メーカーの粉飾決算」「マンションくい打ちデータの改ざん」「自動車エアバッグの事故」などなど様々な事案で「品質(経営)」の問題が報じられている。中国との競争などで、価格・コスト・利益に関心がより強くなり、品質が経営目標から後退しているのではと感じる。
前述のような事例が品質劣化の始まりならば、これを押しとどめる企業活動、戦略的意図が必要である。このまま日本企業がずるずると後退し、高品質の国の評価を失えば、日本経済は高齢化と相まってますます立ち行かなくなる。観光とおもてなし以外、何も誇れるものはなくなるのである。
独フォルクスワーゲン社が排気ガス不正ソフト問題で揺れている。提供する製品・サービスで信頼を得てブランドを確立するには時間と労力を要するが、これを壊すには雑作もないことを示すケースである。日本の経営者、ビジネスパーソンにも今一度、品質(経営)の重要性を再認識するように求めたい。
弊見に対する読者のご批判と補強意見をお待ちしたい。
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