小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住20年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
この20年でタイ人の体形が変わった、と思っているのは私だけであろうか? 私も男なのでついつい女性に目がいってしまう。20年前のタイ人女性は細身で、みなスタイルが良かった。お尻がぐっと上を向き、ミニスカートから長い脚が伸びていた。日本人女性と比べて美人が多い気がしたが、難点を言えば肌の色が黒かった。
◆女性の変化
これが最近では、ぽっちゃり型の人がすごく多くなってきた。少なくともバンコク市内ではそう感じる。所得が向上するとともに栄養が良くなってきたのは間違いない。もちろん細身でモデルのような人もいる。バンコクでは街中で商品のプロモーションが頻繁に行われており、こうした場にはモデルのような美人の女性たちがマイクを握り商品の広告・宣伝をしている。しかし、細身と言っても昔のような華奢(きゃしゃ)な感じではなく、背も高くて堂々としている。
ぽっちゃり型の人が多くなったのは決してタイだけのことではないだろう。ニュース屋台村の拙稿第115回「『糖質制限』の人体実験」(3月23日付)でも書いたように、人類が大量に炭水化物を取得するようになったのは、1950年代の窒素肥料の開発、いわゆる「緑の革命」以来である。これ以降、人類は自らの体内で消化しきれないほどの炭水化物を取るようになり、肥満体形の人が全世界で急速に増加している。自分の太った体形を棚に上げて「細身の女性が好み」の私としては、タイ人女性の体形の変化はちょっと残念である。
一方で、タイ人女性はこの20年間でとてもファッショナブルになった。タイ人女性はもともとおしゃれ好きである。それでも20年ほど前はどこか「アンバランス」なところがあった。一見きれいな洋服を着ていても、足元は素足でサンダルが一般的であった。カバンは布製のものが多かった。洋服や持ち物から、日本人とタイ人の違いが一目瞭然であった。
ところが最近は、タイ人女性がどんどんきれいになってきている。着ている洋服もカバンも一流ブランドである。熱帯で食料が豊富なタイでは餓死や凍死の恐れがない。タイ人は「宵越し」の金を持たなくても平気なのである。手元にある金は使ってしまう。だからお金がなくてもみな一流ブランドを買ってしまう。宝飾品も同じである。これできれいにならない訳がない。
2016年10月13日、タイ国民に敬愛されていたプミポン国王が崩御された。このあとタイ全土が喪に服し、国民の多くはその後の1年間黒い洋服を着用した。この1年間がタイ女性のファッションを変えた。それまでタイ女性は派手な色の洋服を好んでいたが、この服喪期間を契機にタイ人女性がシックな洋服も着るようになったのである。
更にタイ人女性の肌の色も白くなった、と思うのは私だけであろうか? 少なくともバンコク市内には肌の色が黒い人は少なくなったような気がする。化粧品の質が良くなったのだろう。またタイ人女性の化粧の技術も向上したのかも知れない。そう言えば私の知っているタイ人女性はみな肌に陽の光が当たらないように完全防御をしていた。こうした努力が報われ、肌の色も次第に白くなっていったのかも知れない。
◆ビジネスマンの多くは背広・ネクタイ姿
女性のことばかり書いているのでは不公平になるので、少しだけタイ人男性のことも書こう。男性の格好も20年前に比べると格段に良くなった。私の働いている銀行があるシーロム街は昔から典型的なビジネス街だが、20年前には街中で背広・ネクタイ姿の人はほとんど見なかった。たまにこうした人を見れば、間違いなく日本人であった。もちろん、私の勤めるバンコック銀行の偉い人たちは昔から背広・ネクタイ姿であるが、こうした人は高級車に乗って移動する。街中を歩かないのである。20年前は超一流の働き口であったバンコック銀行ですら、一般のオフィサーたちはシャツとズボンを着ていた。
ところが今やバンコクのビジネスマンはその多くが背広・ネクタイ姿である。一方で日本人は背広・ネクタイ姿が目立って少なくなってしまった。街中を歩く日本人の年輩の旅行者が増加したのも要因の一つだが、クールビズの影響で日本からの出張者はノーネクタイの人が多い。これではタイ人ビジネスマンに対して日本人ビジネスマンは「ルーズ」な印象を与えてしまう。
タイは階級社会である。否、日本を除いて世界のほとんどの国は階級社会である(私はすべての国を知っているわけではないが、少なくとも私が行ったことのある国はすべて階級社会が存在した)。階級社会のある世界では、その階級を識別する有力な方法がその人の「身なり」である。若い頃、香港に出張した時に聞いた話であるが、「香港人は商売成功のために若い頃から高級時計を腕にはめる」という。高級時計をすることにより信用を勝ち得るそうである。タイでも同様である。身なりが良くなければ、上流階級の人は相手にしてくれない。部下の人たちだって尊敬してくれることはない。タイ人の中でカジュアルな格好でいるのは下層階級の人たちである。上流階級の人たちはいつだってきれいな格好をしている。日本から出張される方が南国だからといって「ラフ」な格好で顧客訪問するのは、自ら商売を遠ざけているようなものである。
◆マナー向上、一方でせっかちに
ここで少しタイ人の生活習慣の変化について触れてみたい。交通事情のところで少しお話ししたように、タイ人はこの20年の間に自動車を運転する際に交通ルールを守るようになった。交通マナーについては日本と比べようもないが、それでも大分良くなってきた。他人に道を譲る光景もしばしば見るようになった。自動車の運転マナー向上だけではなく、タイ人は列を作る習慣も身につけてきた。空港の発券カウンターでもマクドナルドの売場でも20年前は、タイ人は列を作ることなく我先に順番を争っていたものである。ところが今はこうした光景が少なくなっている。一般的に「マナー」なるものは文明度と比例している。そうした意味ではタイは裕福度が増し、人々の心が豊かになってきたことの証左なのだろう。
タイ人のマナーは向上したが、一方これに反比例するような傾向もみられる。タイ人が徐々に「せっかち」になっている気がする。もちろん、せっかちの権化のような日本人からすると、今でもタイ人の動きは緩慢に見えることだろう。しかし、バンコクのビジネス街を歩く人たちは以前にも増して足早になった。ややもすると年齢の割には速く歩くと思っている私も、タイ人に追い抜かれることがある、またエレベーターを歩く人もよく見かける。それよりも私がタイ人のせっかちさを感じるようになったのは、デパートやオフィスの「エレベーターの開閉ボタン」である。20年前のタイ人は緩やかに流れる時の動きに竿をさすことはなかった。エレベーターに乗り込んできても、エレベーターのドアがゆっくりと閉まるのを待っていたものである。ところが最近はエレベーターに乗るとすぐに「閉」ボタンを押そうとする。のどかなタイの風景が遠ざかっていく気がしてさみしい。
最後にタイ人の羞恥(しゅうち)心の変化について述べたい。20年前、タイ人は人前で肌を見せることを極端に嫌がった。男も女もである。前職の東海銀行バンコク支店長時代、社内旅行でプーケット島に行った。みなで海岸に泳ぎに行った際、海に入る段になっても水着の上に着ているティーシャツを脱がないのである。またバンコック銀行に転職したあと、同僚4人と日本の地方に出張に出かけた。その再に顧客との夕食会を前に、男4人で汗を流しに旅館の温泉に出向いた。ところが、タイ人の同僚3人はバスタオルで胸まで隠して流し場に向かい、そのままの格好で温泉につかったのである。
「タイ人が日本の温泉に行かない」という話は当時から知っていたが、日本通で度々日本に来ているバンコック銀行の同僚3人でもこうした格好で温泉に入るのである。身についた習慣の根強さを改めて感じた。これ以降、私は日本人に対して観光関連の話をする際には「タイ人に温泉地をすすめてもだめです」と断言していた。
ところが、こちらもこの5年で様変わりの様相である。今や日本の湯治場はタイ人観光客の「人気スポット」となっている。若いタイ人たちはバスタオルで身体を隠すこともなく湯船に入るようである。秘境と呼ばれる湯治場にも、金持ちのタイ人が押し寄せているようである。
ここまでタイの20年の変化について書いてきたが、私が気づかない変化もたくさんあることであろう。ここまで書き進めてくると「タイとはこんなものだ」と思い込んでいたことが、時間の経過によって変わっていくことに改めて気づかされる。何事も思い込みをせず事実を冷静に見ていくことが重要だと、今回タイでのこの20年を改めて振り返って思い知らされた。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第120回 タイ在住20年とバンコクの変遷(中)(2018年6月1日)
https://www.newsyataimura.com/?p=7451#more-7451
第119回 タイ在住20年とバンコクの変遷(上)(2018年5月18日)https://www.newsyataimura.com/?p=7409#more-7409
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