小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住17年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
海外に長く住む多くの日本人がそうであるように、私もまた日本の愛国者である。アメリカとタイで通算27年。異なった生活様式や文化の中で生活するからこそ、自分が日本人であるということを痛切に感じさせられる。日本政府や日本企業が頑張ってくれるからこそ、自分が日本人であるという尊厳が持てる。
最初に断っておくが、私は決して政治に関与しようなどという野心はない。また、政治や外交の専門家でもない。しかし私が日本人だからこそ、日本政府や日本企業には一層頑張ってもらいたいと思うのである。今回はそうした思いから、日本の外交の課題について私見を述べたい。
◆タイに対する日本と中国の温度差
前置きが長くなったが、タイのプラユット首相が日本を訪問し、2月9日に安倍首相との会談が実現した。日本の幾つかの新聞報道などによると、タイ・ミャンマー両政府が進めるミャンマー南部の「ダウェー経済特区」開発計画への日本の参加や、メコン川流域各国を東西に結ぶ鉄道整備、更にはバンコク都市鉄道の整備などが話し合われたようである。
2014年5月22日の軍事クーデーターを契機として発足した現在の軍事政権に対して、そもそも日本政府ならびに日本のマスコミとも冷淡であった。プラユット首相は14年8月25日に正式に第29代首相として国王から任命されたにもかかわらず、今回の新聞報道ではプラユット「暫定」首相と呼んでいる。これも日本の現政権敵視の表れと思えるのは、私だけのうがった見方であろうか?
ところが、中国の対応はまったく違っていたのである。クーデーターから間もない頃、軍事政権の経済顧問に指名されたソムキット元副首相が特使として中国に派遣された。中国はこの時、日本政府関係者でも会えない序列のきわめて高い共産党政治局常務委員にソムキット特使の相手をさせたと聞いている。
中国は即座に「雲南省からマレーシアに至る鉄道網の整備」と、タイが困っている「政府保有米買い取り」を申し出た。塩野七生氏の著書『ローマ人の歴史』を読み解くと、植民地からローマに至る街道網はローマ帝国の植民地支配の要の道具である。街道はいざという時の兵隊の派遣だけでなく、ローマ帝国の産品や文化を通してローマ帝国による支配を確実にしたのである。
中国は鉄道網を東南アジアに拡張することによって、東南アジア支配を狙っているのである。道路網については既にせっせと日本のODA(政府開発援助)の資金によって東南アジアに道路を造り、中国につながる「街道網」を造ってしまっている。更に中国は「IT産業ハブ構想」をタイに持ちかけ、中国企業のタイ進出及びその優遇措置をタイ政府に求めてきている。
これに対して日本政府は、軍事政権だからという理由で現政権と距離を置いてきた。否、日本の外交の問題点の本質は、タイに対する統一的な対応方針がないことに起因する、と私は思っている。各省庁の個別施策の積み上げとなっている日本の外交に統一的な方向感がないのは自然の成り行きなのかも知れない。
◆求められる「統一された外交政策」の確立
外務省は外国政府とのプロトコルと邦人保護、経済産業省は中小企業のタイ進出と日タイ貿易の振興、国土交通省は日本の新幹線の売り込み、農林水産省は日本の農作物の売り込み、財務省はODAや円借款の売り込みを図っている。
それぞれの施策については意味がある。しかし、日本としてタイに対して最もやらなくてはいけない施策は「タイを日本の同盟国としてつなぎとめ、既に4000社以上進出している日系企業の企業活動を保証していくこと」ではないだろうか。
各省庁の建前論が、結果としてタイを親中国へ追いやってしまった。プラユット首相が訪日時に日本経済新聞との会見で「日本、中国と等距離」(2月10日付)と言明したが、あえてこうしたことが出るほど、現政権は中国寄りになってしまっている。こうした中国によるASEAN(東南アジア諸国連合)進攻に危機を抱いた官邸が中心となって今回、プラユット首相を招いたわけであるが、タイを含めて各国別に「統一された外交政策」の確立が日本に求められている。
日本外交の課題の2点目は「幅広く、早い段階での重要人物との人脈の構築」である。インドネシアの話であるが、「ニュース屋台村」1月30日号に宮本昭洋氏が投稿された「日本・インドネシア関係に思惑の違い」はきわめて恐ろしい現実を描き出している。
日本ではインドネシアは親日国として信じられているが、ジョコ・ウィドド大統領が最初に外遊したのは韓国である。韓国は1980年代からインドネシア、ベトナム、カンボジアを重点国と指定し、これらの国への自国民移住政策を推進してきた。
国籍もインドネシア籍に変わってしまったため実態をつかむのは困難であるが、インドネシアには韓国人が約10万人いるといわれている。韓国はインドネシア経済にとっては無視出来ない存在となっている。こうしたことから、ジョコ大統領は最初の外遊先に自らの意志で韓国を選んだと聞いている。
一方で、日本とのパイプ役を長く務めてきたギナンジャール氏はジョコ政権でポストを外れてしまった。現在、日本とインドネシアの関係はきわめて細っているのが実情のようである。
◆インテリジェンスは外交の基礎
違う観点で日本の情報収集能力の弱さを感じたことがある。2009年に民主党が政権の座に就き、沖縄・米軍普天間基地の移設をめぐる鳩山由紀夫首相(当時)による迷走あたりから日米関係が急速に悪化。ある時を境に日本の新聞から米国関係の記事が全くといっていいほどなくなってしまったのである。
当時、外務省詰めの記者から聞いた話では、外務省が在日米国大使館から全く情報をもらえなくなり、新聞社も外務省頼みだった情報源がなくなり、米国関連記事が消えてしまったというのである。これは日本独自の情報収集体制が十分でないことの証左ではないだろうか。
話を元に戻すと、かねて私が指摘するように、タイには大まかには「三つの政治勢力」が存在する。一つは王族、軍部、官僚、司法に代表されるタイ人勢力。もう一つはタイ経済を牛耳り民主党を介して政治に進出している潮州系華僑。さらにもう一つは客家であるタクシン元首相を求心力として元共産党員と新興華僑勢力を統合したタクシン派である。この三つの勢力が離合集散しながら権力をたらい回しにしているのが、ここ15年のタイである。
こうした状況を見れば、これらの三つの勢力に対してそれぞれ別個にパイプを構築し、情報収集しなければタイとの「永続的な関係」を築けない。まさにインテリジェンスは外交の基礎なのである。
私は決して「日本政府がタイ軍事政権支持にまわれ」と言っているわけではない。しかし、もしタイ軍部との間に深いパイプがあり、もっと情報が取れていれば、日本政府の軍事政権に対する対応も異なっていたのではないだろうか。タイはいまだに世界で最も親日的な国である、と私は信じて疑わない。しかし中国や韓国の影響が徐々に増大しているのは事実である。今こそ日本外交の正念場である。
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