マレーの猫
エネルギー関連業界で30年以上働いてきたぱっとしないオヤジ。専門は経理、財務。実務経験は長く、会計、税務に関しては専門家と自負。昨年からマレーシアのクアラルンプールに単身赴任。趣味は映画鑑賞、ジャズ、ボサノバ鑑賞、読書。最近は浅田次郎の大ファン、SF小説も
マレーシアでの駐在期間がまだ短く、この国のことをあまり知らない私があれこれ書くのは気が引けるが、今回旅行記を書くことをお許しいただければと思う。
マレーシアの紀行文は、昔にさかのぼると昭和初期に詩人の金子光晴がマレー半島を旅してその時のことをまとめている。またノンフィクション作家の山崎朋子が『サンダカン八番娼館』を書き、その後映画にもなったので、マレーシアのサンダカンという地名は日本人にもなじみがあるのかもしれない。
ただ今回、私が紹介させていただく場所は、マレーシアの果てとも言えるサバ州のタワウ(Tawau)である。日本人でタワウのことをご存じの方はほとんどおられないと思うが、同地は『サンダカン八番娼館』の舞台となったサンダカンと同じサバ州の海岸沿いの都市である。
インドネシアの国境に近いため、インドネシアのタラカンやヌヌカンから定期船が乗り入れており、サバ州では、コタキナバル、サンダカンに次いで三番目に大きい都市である。人口は37万人程度であるが、地理的な要因(インドネシアやフィリピンに近い)のため、インドネシア系やフィリピン系の方々も結構おられるそうであるが、今回訪問した印象では、やはり華人系の方々が多いように感じられた。
タワウを訪問した大きな理由は、会社の大先輩がリタイアされた後に同地に住んでおられるので、その方を頼って観光のために訪れたということである。その方に車で色々案内していただいたおかげで、街の中を効率的に観光することができた。
◆道路に日本人や日本の会社の名前
訪問して驚いたのは、昭和の初期からタワウにはマニラ麻園やゴム園、南洋木材のプランテーションを営むために日本人が移住してきており、同地で日本人社会を築いていたことであった。そのため昭和初期から日本人会が存在しており、日本人墓碑も建立されており、現在でも旧日産農林系の会社の方がおられるそうである。
そのため、道路に日本人や日本の会社の名前がついており、「JL Kubota(窪田通り)」とか「JL Nissan Norin(日産農林通り)」を見たときには本当に驚いた。
交通機関と言っても船しかなかった時代に、遥か日本からこの地に移り住み、日本人社会を築いて働いておられた日本人の方々のご苦労を思うと、現代の我々はつくづく恵まれていると感じてしまった次第である。
現在華僑、印僑をまねて和僑(華僑的日本人)という言葉が使われることがあるが、通信や交通機関が発達していなかった時代に外国へ移住する方々はまさに和僑と言えると思う。
ただ戦前から日本が領有していた南樺太、朝鮮半島、中国や台湾などへの移住は日本領地内の移動とも考えられるのであるが、ブラジルやタワウへの移住、とりわけ日本人の少ないタワウへの移住など考えただけでもすごいことであり、日本好きの私などにはとても真似のできないことであり、昔の日本人にも和僑と呼べる方々がいて、日本人は本当にたくましかったのだと深く感じ入った次第である。
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