п»ї デモクラTV500日―我らは生き残れるか『山田厚史の地球は丸くない』第28回 | ニュース屋台村

デモクラTV500日―我らは生き残れるか
『山田厚史の地球は丸くない』第28回

8月 29日 2014年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

きっかけは「朝日ニュースター」の身売りだった。番組が無くなる。視聴者から「やめないで」という声が挙がった。「だったら自分たちで放送局を持とう」。そんな軽いのりで始まったインターネット放送局「デモクラTV」がこの8月で開局500日を超えた。

読者諸兄、試しに検索サイトで「デモクラtv」と打ち込んでみて下さい。ラインアップの一番上に「デモクラtv-トップ」があります。クリック。そこが我が放送局の入口です。受信者から頂く月額525円で、番組制作から送信・貯蔵(アーカイブ)までやりくりする。けっして楽ではないが、なんとかここまでやって来た。1年半経って、ちょっとした手応えを感じている。思いもしなかった展開が始まっているからだ。

◆資本金240万円で放送局ができる時代

人気番組は毎週土曜日、午前11時からナマ放送2時間の「デモクラtv本会議」。その週に起きた政治・経済・社会問題をコメンテーターが解き明かす。「日本一わかりやすいニュース解説」を目指し、時間をかけ6人の出演者が、じっくり議論する。

源流をたどると、朝日ニュースターの人気番組だった「愛川欣也のパックインジャーナル」。私は、朝日新聞で記者をしていた頃から同僚の田岡俊次記者と週替わりでコメンテーターを務めていた。

この局がテレビ朝日に身売りされ、番組が打ち切られることになった。視聴者の声に応え司会の愛川さんの会社がネット放送を担ったが、80歳近い愛川さんの頑張りは1年が限度だった。そこで出演者やスタッフがカネを出し合い、「デモクラtv」を立ち上げた。

放送局を素人が作る。ひと昔前なら考えられないことである。従来の放送局ならお役所の免許が必要で、電波を送る機材や施設に百億円規模の投資が必要だった。状況を一変させたのがインターネットである。

我ら12人が20万円ずつ出し合った。資本金240万円で放送局ができる時代なのだ。

インターネットの映像が良くなければ、テレビで目が肥えた視聴者は満足しない。カメラは3台そろえ、三つの角度から議論の雰囲気を伝える。スタジオも自前だ。ゲストを呼ぶのだから足の便は大事だ。東京都内お茶ノ水のビルの一室を借り、ペンキを塗り、セットを作った。システムは技術スタッフが自前で開発した。

会社設立から開局まで一か月足らず。「番組を途切れさせないで」という声を背にした突貫作業だった。

◆「公共財としての発信源」へと変化

「このごろのテレビは見る番組がない」「ワイドショーのコメントは聞いていられない」という声をよく聞く。3・11以降のテレビ報道への不満も少なくない。政権への配慮か、スポンサーへの気遣いか、もう一歩の踏み込みが足らないことがしばしばだ。

新聞も精彩を欠いている。数百万の読者を意識し、右にも左にも気を遣うと、切れ味いい主張にならない。

デモクラTVは出演するジャーナリストや学者、弁護士、運動家が自分の意見を臆することなく主張する。「本当のことを伝えるニュース解説を堅持したい」という思いから始まったが、「月500円で番組一本では視聴者に申し訳ない」とコメンテーターがそれぞれ自分の番組を持ち、持論を展開する場を設けた。

例えばドイツ文学者の池田香代子さんは「100人に会いたい」という番組を作り、ジャーナリストの鈴木耕さんは「原発耕談」、田岡俊次さんは「軍略探照灯」で得意の軍事問題を語る。

「自分の言いたいことを思い切り発信する」「聞かせたい話を、ゲストを呼んで視聴者に聞かす」という同人誌的な放送局だった。それが次第に「公共財としての発信源」へと変化しつつある。

ゲストがスタジオに足を運び、思いを映像とともに発信するようになると、「こんなに簡単に放送ができるの」と驚く人が結構いる。自前の発信が案外身近なものと感じる人たちから、「こんな番組やらせてもらえない」という要望が舞い込むようになり、株主でない人たちが番組を担当するようになる。

◆メディアの潮流変化が起きている

活字メディアと合作も始まった。日刊ゲンダイが取材の裏話を紹介する「ウイークリーゲンダイ」、沖縄タイムズが本土の人に沖縄の実態を知ってもらおうと「新沖縄通信」、東京新聞は「熟読・東京新聞」を始め、毎日新聞社の経済誌エコノミストは「世界先読み!月刊エコノミスト」を8月から開始した。紙で伝えきれないことを、デモクラTVを使って発信する。

「この指とまれ!」で始めたちっぽけな試みに、これほど多くのジャーナリストや社会運動家、活字媒体まで結集するとは考えてもいなかった。メディアの潮流変化が起きているように思う。

宅配制度に支えられた新聞がテレビ局を勢力圏に持ち、新規参入が事実上不可能な巨大なメディア産業がニュース素材を記者クラブという当局直結の窓口から優先的に集める。政府と癒着しながらメディア王国を維持するという旧体制が時代の風雪にきしみだしている。

誰もが発信者になれる時代になった。カネがなくても情報ネットワークとニュースを吟味できる力さえあれば発信者になれる。「ニュース屋台村」もその一つである。

生き残るのは強い者でもなければ、大きい者でもない。時代の変化に対応できる者、というのは、メディアもまた同じだろう。
  

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