引地達也(ひきち・たつや)
コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャローム所沢施設長。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。
◆幻聴で出られない
東京近郊にある築年数30年を越えたUR賃貸住宅の低層マンションの内部は思ったよりも広く、台所から放たれたリビングルームも西日が入るベランダからの光彩に包まれている。リビングの壁一面には本棚が整列し、びっしりと本が並んでいる。眺めてみればきれいな書斎の風景だが、本の背表紙は「ワーキングプア」「自殺」「ニート」「下流」「借金」。社会的に人の存在を脅かすネガティブな言葉ばかりが目立つ。
ここの主(あるじ)である私の目の前でうつむきがちの姿勢でたたずむ40代の無職の男性は、外に出ればすべてが「自分を馬鹿にしている」という幻聴と思い込みに悩み、仕事に就く自信がない。母親との2人暮らしだが、今のところ家事をするのが生きがいという。
今後、20年に自分が無収入のままで国民健康保険料や国民年金などの彼が考える必須の支出を算出すると、無職にとっては莫大(ばくだい)な金額になる。その数字を書いた紙を見せながら、私の顔を見て「どうやって生きていけばよいのでしょうか」と言うと、またうつむいた。
彼は発作的に自殺未遂を繰り返したが、母親の面倒を見なければいけないので、死ねないことも分かった。外に出れば幻聴は容赦なく、精神を圧迫する。「子供も大人も何もかも自分を笑いものにするのだ」と。その根拠を彼は複数のテレビ番組を引用して語る。
語られるのは、人気アイドルグループやお笑いタレントが司会を務める人気番組ばかりで、ドキュメンタリー形式で犯罪や人物評伝などを悲哀と喜怒をたっぷりに演出した再現ドラマで構成されている内容。犯罪の実例も豊富で、詐欺、借金、だます人、人生の失敗の連続など。そんなキーワードで話が展開される内容を滔々(とうとう)と話し、「自分はそんな目にあいたくない」し「信頼できる人は世の中にいない」と結論付けている。
おそらく番組は、それら悪い実例を視聴者への注意喚起という視点で作りつつ、視聴率を意識する中での「わかりやすさ」で悪いものは悪い、という懲悪的な感覚でいるのだろう。それは悪いことではないが、精神疾患者と関わり、人を癒やすための「ケアメディア」を考えている者の視点からすると、それではいけない、とあえて指摘したい。
◆作り手は自覚せよ
これは1人の例だけではない。ニュースで見た戦争の映像で何もかもやる気を失くすという人もいた。私が精神疾患者向けの講演などでメディアについて、「よい思いをした人」「悪い思いをした人」を簡易的に聞くと、前者はおらず、手が挙がるのは後者ばかり。ネガティブなテレビコンテンツは、心の繊細な人にとっては、心を大きく左右し、支配してしまう。
それは「感動」を与えることと同じような振れ幅で「失望」をも、強いインパクトで伝えてしまう。上記の番組ならばなおさらに、何気なくお茶の間に入り込むから、与えてしまう影響の大きさを作り手のメディア人は自覚する必要がある。
私は精神科医ではないし、臨床心理士等資格を持つカウンセラーでもない。障害者の就労移行支援を行う者として、精神疾患者とそれを取り巻く社会に向き合う者として、彼ら彼女らを生きやすくするためのメディアを考え続ける者として、そしてジャーナリズムの可能性を信じる者として、ネガティブな印象を与える番組内容には注意を促さなければいけないと考え、新しい立脚点を確保しようと、注意を促している。
ここからはその「注意」の仕方、考え方が提示されるべきだが、論拠となる日本の学問は存在しない。疾患者の当事者研究として世に出されている各種論文を丹念に読み解かなければならないが、一般にとっては専門書や学術論は難解だから、隔月刊の『精神看護』(医学書院)や月刊『こころの元気プラス』(特定非営利活動法人地域精神保健福祉機構コンボ)などの専門雑誌が入口としては最適だろう。ここでは当事者やその関係者、支援者の声が丁寧に発信され、当事者を中心とした雑誌メディアのコミュニティーは形成されている。しかしながら、これらも社会とはまだ隔絶している印象がある。
◆謙虚にひたむきに「ケア」
一般の人もメディアに携わる人も、それら当事者情報には手を伸ばさなければ得られないのが、日本の「ケア」「メディア」の現状である。
「注意」の材料は求めない限り外からはやってこない。だからメディア関係者もジャーナリズム関係者も「ケアする」ことについて、実は何も知らない。だから「知らない」という謙虚さと、「知ろう」というひたむきさが求められるが、こういった私の考えは、結局、薄くて浅い当事者意識でコンテンツを作られるよりも、掴(つか)みやすい大多数の視聴者心理に則った方が正解だと、メディア企業上層部に足蹴りされてしまうだろう。
ケアメディアを考える際にいつもぶつかる壁であるが、突破するロジックと「視聴者の心理」という魔物の正体を捕えつつ、必要性を感じる想いの力を信じながら、蹴られても立ち上がる力を蓄えていきたい。
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