小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住19年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
タイ国民からの尊敬を一身に集めておられたプミポン・アドゥンラヤデート前国王(以下、プミポン前国王)が昨年10月13日に崩御されて半年以上が経過した。当時、日本のマスコミはプミポン国王の死去を受け、「今後政治的・社会的混乱が懸念される」「経済に大きな影響を与え、1年くらいは営業活動が萎縮する」「民政移管が不透明になり、遅れる可能性が高い」などの報道を繰り返していた。しかしこれまでのところ、タイの政治経済には大きな混乱は起こっていない。今回は今年10月後半に行われる予定のプミポン前国王の火葬の儀についてふれるとともに、タイの現状について考察してみたい。
◆プリディヤトーン氏
このほど、王族であるプリディヤトーン元副首相と夕食をご一緒させていただく機会があった。昨年10月18日付の本稿第80回「プミポン国王の死去とタイ社会の行方」で記述したとおり、昨年はプミポン前国王の崩御の翌日にプリディヤトーン氏と夕食をご一緒し、プミポン前国王御崩御後の王室行事について多くのことを教えていただいた。
プリディヤトーン氏とはこの20年来の知り合いである。私はアジア通貨危機の時に東海銀行バンコク支店長として赴任した。その後しばらくして、プリディヤトーン氏もタイ中央銀行総裁に就任された。アジア通貨危機の時に私は果敢にも当時債務超過に陥っていた日系企業に対し約400億円を追加融資した。これが、タイ中銀が定めた1社当たりの貸出金額規制に抵触し、この対処の仕方について中銀総裁だったプリディヤトーン氏に相談に行ったのである。
当時は日本の銀行もタイの銀行も取引先に貸し渋りをしている時代であった。そうした中で「積極的に貸し出しを行う姿勢がタイの経済回復につながる」とプリディヤトーン総裁は高く評価してくださり、特例扱いを認めて頂いたのである。それ以来、折にふれてプリディヤトーン氏は私に言葉をかけて下さっている。
プリディヤトーン氏のお顔を拝見する機会はあったが、夕食をご一緒しゆっくり話をするのは去年の2016年10月以来である。今回の夕食を交えた懇談では、前回お伺いした内容が、タイの日系企業の業務運営に大変参考になった旨お礼を述べるとともに、今年10月後半に控えるプミポン前国王の火葬の儀について早速質問をさせていただいた。
プリディヤトーン氏は1年2か月ほど前まで現在の軍事政権の副首相の要職にあり、依然として現政権と深いパイプを持っておられる。また王族でもいらっしゃるため、王室の儀式に最も精通しておられる方の1人である。火葬の儀においてどのようなことが起こるか、最もお分かりになっておられる人である。
◆火葬の儀
火葬の儀式内容については、4月25日の閣議で決定されているため大きな変更はないであろう。それ以外については不確定な要素もあり、あくまでも「参考意見」としてお読みいただきたい。プリディヤトーン氏から今回お伺いした内容は以下の通りである。
(1) 火葬の儀は10月25日(水)から10月29日(日)の5日間かけて行う。主な葬儀日程は以下の通りである。
10月25日(水) 17:30 御遺体へのお別れの祈り
10月26日(木) 7:00 火葬場へ御遺体移動
…………………….17:30 仮火葬式(タイでは本火葬の前に仮火葬の儀式を行う)
…………………….22:00 本火葬式(翌朝まで続く)
10月27日(金) 6:00 御遺骨の取り出し
10月28日(土) 17:30 御遺骨へのお祈り
10月29日(日) 午前中 御遺骨の一部を宮殿に運ぶ
…………………….17:30 御遺骨をラチャボピット寺とホウォン寺に移送し埋葬
(2) 休日として指定されているのは10月26日(木)の1日のみ。この日はタイの全ての会社が休まなければならない。また10月25日(水)の午後には、国民が全国各地からプミポン前国王を慕い宮殿の周りに集まってくる。会社の従業員から「プミポン前国王のご葬儀に参加したい」と言って休暇を願い出てきた場合は、快くこれを認めた方が良い。10月25日の夕方から26日いっぱいは多くの国民で宮殿の周りを覆い尽くされる。
(3) 10月27日以降は大きな行事はない。遺骨が埋葬されるラチャボピット寺とボウォン寺は宮殿近くにあり、交通渋滞は限定的であろう。
(4) 火葬の儀には海外からの外国政府関係者の出席はあまり多くないと思われる。タイの現政権が軍事政権であるため、欧米主要国は出席しないであろう。日本、中国、アセアン諸国と王室を持つ各国が出席すると見込まれ、40か国くらいであると考えている。
(5) ワチュラロンコン新国王の戴冠式の日程については発表されていないが、個人的には12月1日になるのではないかと考えている。昨年国王に即位した日付が12月1日であったが、これはワチュラロンコン国王が自ら指定した日であり、国王にとって縁起の良い日だったのではないかと推測している。いずれにしても11月後半から12月初旬の間で戴冠式が行われる可能性が高い。
(6) ワチュラロンコン国王は形式を重んじられる性格であり、過去の事例にならい盛大な戴冠式が執り行われるであろう。戴冠式そのものは1日であり、その日は国家の休日となるであろう。プミポン前国王の戴冠式も1日であり当日は休日となった。なお、戴冠式には外国要人は積極的に招かないであろう。「新国王は国王になりたての新参者であり、長らく要職を務めている外国人要人を呼びたてるのは失礼である」というタイの考え方による。このため戴冠式の日も外国要人のタイ来訪に伴う交通渋滞は考えにくい。
以上がプリディヤトーン氏の見立てであるが是非、皆様の業務の参考にして頂きたい。
◆体制変更に伴う影響は限定的か
さて、ここで少しだけタイの現状について私の見方をお示ししたい。タイの歴史をひも解くと、1767年ビルマに滅ぼされたアユタヤ王朝は、翌年タークシン将軍によってビルマを駆逐。1782年にはラーマ1世によって現在のチャクリ王朝(バンコク王朝)が興された。しかし「小乗仏教の世界観」「サクディナー制(土地と階級のリンク)」、更には「近代的戦争がなかったこと」などからタイには階級社会が現在まで温存されている。
タイの支配者階級のあり方には貴族政治の色合いが強く残っている。ラーマ1世による27年間の治世のあとには、摂政家である「ブンナーク家」がこの国を実質支配した。名君として名高いモンクット王(ラーマ4世)にして27年間の出家生活を余儀なくされ、ブンナーク家の刺客から逃れたほどである。このあと「官僚制の導入」や「奴隷制の廃止」などタイの近代化に貢献したチュラロンコン大王(ラーマ5世)は42年にわたり国王に在位した。ところがこれを引き継いだラーマ6世は、ダムロン親王の親権政治により自分の施策を前面に打ち出せなかった。
国民から慕われたプミポン前国王は在位70年にも及ぶため、前国王に近い有力者も多く、ワチュラロンコン国王への権力移譲も大変な困難が予想されていた。しかし、ワチュラロンコン新国王は慎重かつ賢明なやり方で権力を掌握されつつあるようである。国民へのアピールは妹であるシリントン王女を前面に立てて、自分はあまり表に出てこられない。シリントン王女は国民からの敬愛を集めておられる。一方で王室財産局や軍部のリーダーに新国王の側近を指名するなどして、着実にご自身の権限を強化されている。こうした新国王の慎重な対応が現在のタイの表面的に平穏な状況をつくり出していると考えられる。
では、このままタイが平穏な形で民主政権への移行が進むのかといえば、不安要素も残っている。現在の軍事政権によるマスメディアへの統制は水面下でなされている。しかし学者などの一部は、こうした政策に不満を述べるようになってきている。5月22日にバンコク市内の陸軍病院で起きた爆破テロ事件も不満のマグマがたまっている証左かもしれない。来年初めに実施される総選挙の結果いかんによっては、政治は大きく動き始めるかもしれない。
経済についてはどうであろうか? 現状のタイ経済はあまり良いとはいえないが、それでも3%以上の経済成長率は確保している。世界経済の不調を考えれば、まずまずの水準と言っても良いであろう。一般的に軍人は「経済」にあまり興味がない。現プラユット政権も経済政策については、ソムキット副首相以下経済官僚に丸投げである。エリート軍人として教育を受けてきたワチュラロンコン国王も同様のスタンスとすれば、既存の経済政策に関与することは少ないであろう。タイの支配者階級は従来、自分たちの利権の源泉である経済を破壊するようなことはしてこなかった。タイで経済活動を行う日系企業にとっては、タイ社会の体制変更に伴う影響は限定的であろう。
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第80回 プミポン国王の死去とタイ社会の行方(2016年10月18日)
https://www.newsyataimura.com/?p=5985#more-5985
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