引地達也(ひきち・たつや)
コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。
◆読者とフラットに
マスメディアが気になる。ジャーナリズムが心配になる。自分を育ててくれた世界だからこその親近感から、不信に取り囲まれる最近の動向にヒヤヒヤする心持ちになってしまう。そんな心持ちで、昨年「出直し」を迫られた新年の朝日新聞の紙面を広げた。そして、「んっ」と目を見張ったポイントがある。それは朝日新聞としての決心なのか、編集としての当面の方針なのか、と考えさせられている。
昨年、「ペヤングソースやきそば」に異物が混入していたというネット上での情報は、瞬く間に拡散し、製造元の食品メーカー「まるか食品」を出荷停止、生産停止に追い込んだ。朝日新聞の誤報は、食品で言えば、安全の根幹を揺るがす出来事だが、生産停止にあたる発行停止は社会の公器としての役割の放棄になるから、それだけは出来ない。
だからこそ、責任者が誠心誠意説明を尽くさなければならないのに、木村伊量(ただかず)・前社長は説明の機会を先延ばしし、これが当初の対応で社会が求めている責任と行動との間にギャップを鮮明にしてしまい、傷口を広げた。この点は以前「朝日新聞のリスクコミュニケーション」というタイトルで紹介した。
朝日新聞の紙面で説明を繰り返して、田原総一朗氏ら第三者委員会のメンバーそれぞれの発言も余すことなく詳らかにし、社長交代と共に、企業として、できる限りの説明と取り組みをリスクコミュニケーションとして、その発信に力を尽くしているのは、よくわかる。
だが、冒頭で紹介した「んっ」こそが、素朴な一歩に見えるが、立て直しのキーストーンになると、あくまで私の専門領域であるコミュニケーションの視点で思うのである。
そのポイントは署名記事と記者を紹介する写真。これまでの記者を紹介する写真は、エリートの風を吹かせ、明らかに「上から目線」の雰囲気が漂っていた。そんな編集委員らの写真に、同じメディアにいた頃から、そして等身大の彼らを知っているだけに、少々戸惑いを感じていた。
メディアから離れて分かったのが、これが、朝日新聞が漂わせていて、一般から受け止められているイメージであるということ。紙面から「にらみ下げる」ような論説委員や編集委員らの表情に、肯定的なメッセージを感じている人はそんなに多くない。
それが今回、新年からの紙面では、署名記事の記者が若手中心なのもあるだろうが、表情が等身大で、今の時代に溶け込んでいる顔をしている。それは、朝日新聞記者でも、巷(ちまた)にいる同世代の人間と同じ、というメッセージを与えており。このメッセージはつまり、読者に対しフラットな関係での共感を求めるものであると受け止められる。
◆AIDMAからSIPSへ
これは大転換である。遅ればせながらも、日本を代表する新聞社が時代の趨勢(すうせい)に気づいたのかという印象である。これまでのマスメディアは、受け手に追随を求めて、大きな声で事実を押し付けていた。
双方向性を目指すと言ってはいるものの、ソーシャルメディアの世界で常識化した「フラットな関係」を築けないまま、自らを優位な立場に置く(置きたがる)という習性が抜けきれず、最先端からは冷ややかな目で見られていたのを多くの人は知っている。朝日新聞はその習性を改善できるかが、組織再生の鍵と思うが、新年の紙面には、その大事な事に気付いたような印象もある。
人との関わりにおいて新聞と広告は共通している領域が広いので、広告の視点で考えてみる。広告業界で戦略の基本はAIDMAだった。つまり消費者の動向であるAttention(注意)、Interest(興味)、Desire(欲求)、Memory(記憶)、Action(購入)を順序立てに並べたものだ。
新聞はじめマスメディアは、これまでこのAの注意喚起にだけ集中してきた。それはマスコミという権威と共に社会に投げつけられた。乱暴に言うと「とにかくついて来い」という強引な勧誘。今回、その勧誘にのった先に「真実ではない」に行きついてしまい、またソーシャルメディアを使って「真実ではない」ことを自分で突き止める人も出てきて、人々は不信の念を増幅し始めた。
だから、今の時代、「注意」だけでは人は惹(ひ)きつけられない。ソーシャルメディアの専門家として活躍するコミュニケーションディレクターの佐藤尚之(なおゆき)氏の論を借りれば、時代はSIPSに変わっているのである。それは、Sympathize(共感する)、Identify(確認する)、Participate(参加する)、Share & Spread(共有する、拡散する)であり、社会ならびに人々とのファーストコンタクトは注意ではなく共感が効果的であり、求められているとも言えよう。
◆けがの功名
例えば、これまでの戦略が「大きな声で振り向かせるクリエーティブ戦略」だったのが「共感と興味を友人に伝えてもらうためのクリエーティブ戦略」に、「うざがられるくらいがちょうどいい」のが「うざがられると広がらない」状態に、「インパクト重視」から「友人知人に伝えたくなること重視」になった(以上、引用は「明日のコミュニケーション」佐藤尚之著、アスキー新書)。
新聞でいえば、事実に向き合おうという真摯(しんし)な姿勢を等身大で伝えることで、共感を得る。小さな共感から、それを積み重ねることで大きな信頼を構築できる可能性を見る。少なくとも、新聞記者はじめメディアの一線にいるジャーナリストたちは今でも、世界をめぐる様々な問題を掘り起こし、事実と向き合い、社会に投げかける役割と資質を持つ最も有能なグループだからである。
この自覚を権威とはき違えることなく、等身大で伝え続けられるならば、朝日新聞への共感は広がる。それはけがの功名というもので、等身大での発信に遅れている他社より抜きん出る可能性も含んでいる。
この国の適正な社会活動に向けて、マスコミ全体の信頼回復を視野に力を注いでもらいたいと思うし、他紙も共感の視点を再度考え直すべきである。共感と迎合との区別がつかないならば、その新聞社のコミュニケーションに関するインテリジェンスは低いと言わなければならない。朝日新聞の取り組みが「覚悟」であってほしいし、それが覚悟ならば心から応援したい。
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