山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
安倍首相が秋の自民党総裁選挙で「三選確実」といわれる。宏池会の領袖・岸田文雄元外相(自民党政調会長)が出馬を断念し、野田聖子総務相は「情報公開スキャンダル」で自滅した。モリカケ疑惑で追い詰められ、有権者の圧倒的多数が「必要なし」とするカジノ法案をゴリ押ししても、安倍政権の支持率は30%を下回ることはなかった。「野党が不甲斐ない」「自民党に代わる人材がいない」などと言われるが、政権を支えている本当の理由は「好調な経済」だという。
◆危険な手段「異次元の金融緩和」
株価は堅調、為替は円安、上場企業は増収増益、有効求人倍率はバブル期並み、新卒大学生の就職は空前の売り手市場。将来不安は充満しているが、とりあえず目先の暮らしは何とかなる。そんな現状が、安倍人気を下支えし、「アベノミクスがうまくいっている」という評判がたっている。
首相さえ「アベノミクスは道半ば」と言っていたのに、これはどうしたことなのか。
アベノミクスの一丁目一番地は、「異次元の金融緩和」と呼ばれた史上例のない金融の量的緩和だった。日銀がじゃんじゃんお札を刷りまくり、年間80兆円規模の通貨を市場に注ぎ込んで世に出回るおカネをジャブジャブにする。使い切れないほどのおカネを国内に循環させることで物価を上昇させます、という政策だった。
2013年に就任した黒田東彦日銀総裁は2年間で物価を2%上昇させ、デフレから脱出する、と宣言した。
これからは物価が上がる。そう人々が考えれば、価値の下がる現金はもっていても仕方ない。どんどん使ってしまおうという気になり、消費が伸び、国内景気を押し上げる、と考えたからだ。
「期待に働きかける政策」だった。庶民にインフレを意識させ、物価は上がる、と信じさせる。物価の安定を目標にする中央銀行が「インフレ誘導」に動いた前代未聞の政策だった。禁じ手とされていた「国債買い上げ」に踏み切り、市場に出回る国債を日銀がぐいぐい吸い上げた。
権兵衛がタネ撒(ま)きゃカラスがほじくる、というように政府が発行する国債を日銀がどんどん買い上げる。輪転機を回してお札を刷り、財政赤字を補てんする。キツネが木の葉を小判に変えるような話で、中央銀行が「やってはいけない」とされる筆頭項目でもある。そんな危険な手段に踏み込こんだのも、短期決戦でデフレを始末したい、という思いが黒田総裁にあったからだろう。
◆深刻な「副作用」
作戦の失敗はその後の経過で明らかだ。5年経っても物価は上がらない。インフレ期待が盛り上がらない。それだけでは済まない。金融超緩和の「副作用」とされる深刻な現象が目立ってきた。
第一は、銀行の経営難。金融業は、庶民や金融市場から資金を取り込み(預金)、カネを必要とする法人や個人に貸し与える(融資・資金運用)。その利ザヤで商売が成り立っている。ゼロ金利で利ザヤが極めて薄くなり、銀行本来の業務でメシが食えない。地方の銀行は、集めた預金で国債を買い、その利回りで経営してきたが、国債金利は限りなくゼロに近づき、運用が行き詰まった。スルガ銀行が嵌(はま)ったシェアハウス・ローンなどの不正は切羽詰まった銀行のあがきでもある。
第二は、国債市場の麻痺(まひ)。年間80兆円のペースで国債を買い上げてきたため、日銀が抱え込んだ国債は430兆円にもなり、政府が発行する国債の40%を超えた。国債は生命保険など長期投資をする機関投資家などが組み込まれている。日銀がどんどん買うので、市場に出回る国債が品薄になった。市場で売買される国債が少なくなると市場での価格形成が不安定になる。国債の価格を金利で表したものが国債の流通利回り、住宅ローンなど長期金利の指標になる大事な金利だ。市場で国債が品薄になれば長期金利の軸が揺らぐことになる。国債金利が長期金利の指標とされてきたのは、市場で大量の売りと買いが交錯し、価格形成がしっかりしていたからだ。品薄になると、まとまった買いや売りが入るとショックで金融市場が混乱する。つまり長期金利が不安定になり、暴落・暴騰のリスクが高まる。
第三は、中央銀行の信任崩壊である。これが一番恐ろしい。景気が良くなって金利が上昇に向かう時が危ない。金利上昇=国債価格の下落だから。国債をたくさん持っているのは日銀だ。金利が上がると巨額の評価損が発生する。400兆円も国債を抱えていると、金利が上がれば日銀の財務は急激に悪化し、債務超過に陥る可能性さえある、と指摘されている。日銀が債務超過になるということは、お札の価値を裏付ける資産がなくなる、ということだ。日銀信用の崩壊である。今はそこまで至っていないが、金融超緩和を続けていればその延長線上に起きることと警戒されている。
短期決戦を覚悟し、リスク満載の異次元緩和に踏み切ったが成果は上がらず、黒田総裁は金融政策の修正に舵を切った。
◆ハイテク分野でも「爆買い」
アベノミクスの失敗が明らかなのに、経済は好調なのはなぜか。理由をざっくり挙げれば、①好調な海外経済②長期にわたるリストラの後遺症③団塊の世代の退職による労働人口の減少――だ。
1990年代初頭、バブルが崩壊し日本経済は長期停滞に入った。97年に金融危機が起き、この年をピークに成長は横ばい・下落基調に入り、生産現場ではリストラの嵐が吹きまくった。人員削減、人件費軽減、購買力低下、消費縮小、国内市場衰退、という悪循環に陥った。
団塊の世代の退職が追い打ちをかけた。1947年生まれが昨年70歳になった。60歳定年でも65歳までは延長雇用された。その後の人たちが労働市場から離れ、ここ数年で職場から団塊の世代が消えた。景気の好転で人手不足は深刻化し、求人が一気に膨らんだ。雇用不安にビクついてきた庶民にとって、選ばなければ仕事はいくらでもある、ということは心強い。
景気を好転させたのは「外需」、つまり輸出の増大だ。中国と米国が世界経済を牽引している。中国は日本経済の停滞が鮮明になった1998年時点で、経済規模(GDP=国内総生産)は日本の約4分の1だった。それから20年で、GDPは日本の2倍になった。二けたの伸びだった成長は近年鈍化したが、年率7%程度で拡大を続けている。巨大化した中国経済が更に膨張していることがアベノミクスの失敗を救った。
日本貿易振興機構(ジェトロ)の集計によると2017年の日本の対中国輸出は、前年比13.7%増の1648億ドル、輸入は5.0%増の1644億ドル。対中貿易収支は4億4196万ドルの輸出超過となり、6年ぶりの貿易黒字となった。輸出で伸びているのは、半導体製造装置や液晶デバイス、工作機械などハイテク関連だ。背景には習近平体制で進む「中国製造2025」という産業政策がある。経済大国となった中国が2025年には米国を凌駕(りょうが)する「経済強国」になるという。中核的産業に人工知能(AI)、ITC、電気自動車(EV)などを据え、産業のコメである半導体や液晶を自前で開発する体制を急いでいる。現時点では日本や米国から製造装置や主要部品、素材などを調達するが、やがては自前で生産し世界一の強国なる、というのだ。
いわばハイテク分野で中国の「爆買い」が6年ぶりに対中貿易を黒字化し、日本経済を潤わせている。米国の景気拡大もその恩恵によるところが少なくない。その米国に日本から部品や素材が輸出されている。
◆中国から吹く風に喜んでばかりではいられない
日本政策投資銀行が8月1日に発表した設備投資計画の調査によると、全国の大企業が2018年度に国内で計画する設備投資額は19兆7468億円。前年実績よりも21.6%増える見込み。伸び率は1980年度(23.5%)以来の高水準だという。
国内市場が停滞しているのに設備投資が絶好調というのは、外需がいいからだ。根源は中国である。
経済は結果が全て、といわれる。アベノミクスの中核にある異次元金融緩和が無残に敗れても、中国から吹く風で「アベノミクスは順風満帆」に映る。それが安倍政権を支えている。
だが喜んではいられるだろうか。日本からの輸出はいずれ中国国内の生産に取って代わられるだろう。中国は電気自動車でも、再生可能エネルギーでも、すでに日本の先を行っている。日本が既存業界の擁護に目を奪われている時に、次の時代の主役を育てる政策を中国は打ってきた。
明確な産業政策で経済強国を目指す中国の風下に日本は立つことになるのではないか。国内の購買力を高め、カネと仕事が国内で回る、個人消費を軸にした経済循環を目指さなければ安定した経済にはならないだろう。
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