SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)
勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。銀行定年退職後、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。休日はせめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。
◆非公認・非合法NGOは150万にも
「氷河の底に市民社会のエネルギーが蠢(うごめ)く――厳しい体制は変わらなくても草の根のNGO活動が根付きつつある中国」(The Economist, April 12th – 18th)
今回紹介する記事の冒頭の見出しおよび小見出しは、私の中国の変化への願望に支配された意訳である。原文は、”Beneath the glacier-In spite of a political clampdown, a flourishing civil society is taking hold.” である。
話の要約は以下のとおりである。
中国・広東省の南端、広州市で農民工(migrant worker)のための支援センターをNGOとして窓もないオフィスから運営する男性の話で始まる。華奢(きゃしゃ)な体つきの39歳の男性が、工場経営者側と地元共産党権力の強力な連携の向こうを張って、広東省にある工場労働者たちの権利擁護をめざし、これまで10年以上もの間、奮闘努力した。
その間、さまざまないやがらせ、横やりにも遭ったが、彼の活動は思いがけない展開をみる。中国では、彼の主宰するような自生的NGOは公に認可されることは稀(まれ)であった。ところが彼自身が驚いたことに、政府から認可申請をしてみてはとの打診があり、応じた結果このたび承認されたのである。
事実、数の上だけなら政府に公認されたNGOは近年急増し、昨年9月末で50万に及ぶ。しかし実態は、国のカネの配分にあずかろうとする役所の外郭機関で、見せかけのNGOも多い。ましてや政治的な色彩をわずかでも帯びるものであれば、存在自体がこれまではタブーであった。彼のNGOはその活動趣旨から、本来であれば少なからず政府権力側にとっては危険度が高いはずである。そして公認となれば活動資金が交付される。彼が驚くのは当然である。
全能国家の絶大な力を誇示したい中国政府にとってNGOを認めることは、市民の力を借りることであり、自己否定につながるパンドラの箱を開ける行為との見方もできる。そもそも非政府組織(NGO)という言葉自体が中国では反体制の語感を匂わせる。
しかし、Economist誌は分析する。NGOの勃興は豊かさを実感し、権利意識に目覚めた若い世代の中流層人口増大を背景とする社会変化であり、政府の大義ない一方的弾圧は難しい。また中国共産党も公認制度のもと管理下に置けば、自らの命運を危うくすることなく共存可能との自信を持っているとみる。
ならば政府としてはこの新しいNGOの資源である市民社会の活力と知恵を取り込み、本来彼らが苦手とするスムーズな民の統治を可能とし、強固な国家運営のために有効な道具として使うことを考えたはずである、と。
記事の中で登場させる中国の某学者に、このNGOをめぐる新制度は部分的ではあるにしても結社の自由を認めるものであり、1980年代初めの鄧小平による経済開放に並ぶ深遠な影響を中国に及ぼす変化であると、言わせしめている。
中国でNGO活動が大きく広まったのは、2008年の死者7万人に及んだ四川大地震での政府側の非効率な救助活動に比べて、目立った成果を発揮したのが契機という。
NGOは問題解決のために必要な知識と配慮の細やかさを持っている。例えば、政府はAIDS罹病(りびょう)の麻薬常用者、売春婦たちには社会犯罪抑止の視点だけの対応であったが、NGOはケアとカウンセリングを通した健康保全の課題として取り組んだのである。
非公認のNGOは非合法であるが、その数は150万にも及ぶという。成熟市民社会への動きの裾野は広いようだ。宗教団体主導の医療サービス提供や老人介護、自閉症児の親たちの団体によるインターネットを利用する相互支援活動、あるいはウェブサイトを通じて教材不足の学校への本、文具の現物寄付を呼びかける組織など活動内容も多岐にわたる。このように広範な活動は柔軟で自由で独立した市民意識の自然な発露であり、本物と見受けられる。
◆国の在り方を変える触媒剤
筆者としては、本件がパンドラの箱というよりも緩やかでよいので真の自由闊達(かったつ)なエネルギー溢(あふ)れる市民社会が本格的に定着する兆しであってほしいと願う。
その意味なら、NGOは敢えて権力側に取り入れられるとしても究極はトロイの木馬になるのかもしれない。それは自由な発想の市民活動こそが、国にとっての究極の資源であり、政府転覆を企図するテロ活動とは違い否定することは難しいからだ。
それにしても思う。本来NGOとは欧米先進国自由主義経済のもと政府の役割を軽減し、市民が自主的な活動として肩代わりする新しい社会の在り方として世界にその存在意義を知らしめてきたもの。それは、自由主義経済の進化の、あるいはもしかして退化を遅らせるための、プロセスの通過点であり、我が国でもその分野においては、外国の事例から学ぶべきモデルは多いと私は考えてきた。
ところが政治、社会の体制が大きく異なる中国で、西側体制の申し子のようなNGOが彼らの社会、ひいては国の在り方を静かにしかし着実に変える触媒剤として効き始めているという。
このEconomistの記事は、今後の中国の進化をみるうえでの興味深い基準のひとつを耳打ちしてくれている。本当に本物の好ましい動きになるのかを見通すための物差しを。
※今回紹介した英文記事へのリンク
http://www.economist.com/news/china/21600747-spite-political-clampdown-flourishing-civil-society-taking-hold-beneath-glacier
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