山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
今日は3月11日。5年前のこの日、東日本大震災が起き、津波が大勢の命を奪い、福島第一原発が爆発した。
「被害」は終わっていない。いまでも10万人が住み慣れた土地から離れ暮らしている。「震災関連死」は宮城、岩手、福島の3県で3405人という。数字の裏には、病を抱えながら施設を転々したり、頼る人もなく食事も介護もままならないでいたりする高齢者など、理不尽な思いで生涯を終えた人たちがいる。
原発事故の現場では、溶け落ちた核燃料がどこにあるのかも特定できない。強烈な放射線を発する固形物デブリとなって人を寄せ付けない。崩壊熱を冷やす放水が続く。来る日も来る日も水をかける。汚染された水は海に流れる。一部はタンクに貯められ、事故現場は巨大な汚染水タンクで埋まろうとしている。
◆高浜原発差し止め仮処分決定
デブリを見つけても、取り出すすべがない。数十年かかる、という。原子力規制委員会には「諦め」の空気が出ている。更田豊志(ふけた・とよし)委員長代理は言う。
「70年、80年たってもまだやっていますという状態を望むのか。非常に大きな苦労をして取り出すのがいいか、議論がある」
チェルノブイリではデブリは取り出さず、原子炉を丸ごと石棺で閉じ込めた。人里離れたチェルノブイリならそれも一つの選択だろう。福島第一原発は廃炉が決まったが、今はただ水をかけるだけ。こうしている間も放射能に汚染された水が海に滔々(とうとう)と流れ出る。
大津地裁は9日、関西電力の高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転を差し止める仮処分を決定した。「安全性に関する関電の説明は不十分」と認定した。運転中の原発が「停止」を命ぜられたのは初めて。山本善彦裁判長は「運転停止」の理由として、①福島原発事故の原因は究明されていない②規制委員会が示した新規制基準は安全性の根拠にならない③活断層の調査が徹底されていない④津波対策にも疑問がある⑤避難計画が不十分⑥関電の説明に不合理な点がある――とした。率直な疑問を淡々と並べた判決だった。
高浜3、4号機を巡っては、福井地裁が2015年4月、「稼働停止」の仮処分を決定。関電が異議を申し立て、裁判官が代わって仮処分が取り消され、再稼働に道が開かれた。その再稼働が始まった直後に今回の決定が下った。
◆時代を変えるのはいつも異端者だ
「司法と原発」を考えると、今回の判決の意味は重い。これまで再稼働に異を唱えたのは福井地裁の樋口英明裁判長だけだった。
大飯原発3、4号機(福井県おおい町)、高浜3、4号機に「運転停止」の決定を出した。いずれも後の裁判で逆転され、「司法は再稼働是認」という流れが鮮明にされた。背景には1992年の最高裁判決がある。四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)を巡る訴訟で最高裁は、原発審査に「見過ごせないほどの誤り」があるかどうかが可否の判断基準とした。
原発が国策とされていた時代の基準である。福島第一原発事故で安全神話が崩れても、各地で起こる原発訴訟では「最高裁判断」が墨守(ぼくしゅ)された。その中で敢然と異を唱えたのは樋口裁判長だけだった。最高裁を頂点とする「裁判官業界」は、樋口氏を異端視し、人事で閑職に追いやることで封じてきた。それなのに、山本裁判長という「フォロワー(同調者)」が現れたのである。樋口裁判官は孤立していなかった。
時代を変えるのはいつも異端者だ。最初に声を上げる者は奇人変人の扱いを受けるが、フォロワーが現れることで影響は広がる。キリストは迫害されたが12使途が布教した。
裁判所という小さな世界でも変化が起きている。裁判官はそれぞれが独立しているが、どんな判決を書いたかで評価が決まる。出世を望めば、おのずと最高裁の意を斟酌する。最高裁と異なる判断を示すのは勇気がいることだろう。不遇を受けることも覚悟しなければならない。そんな状況でも1人でなく2人目が現れた。背後にはもっと沢山の「異端者」がいるのだろう。
◆「原子力ムラ復活」を急ぐ経産省
原発訴訟は「合議審」だ。裁判長のほかに2人の陪席裁判官がいる。判決文を書くのは陪席の仕事だ。樋口裁判長や山本裁判長を支えた陪席裁判官はどんな思いで判決文を書いたのか。
経済産業省は「再稼働推進」の本丸だ。資源エネルギー庁を擁し、規制委員会を遠隔操作する役所である。福島事故の時エネ庁次長だった今井尚哉氏を安倍首相の政務秘書官として官邸に送り、「原子力ムラ復活」を急いでいる。
エネルギー基本計画で原発を「ベース電源」と位置付け、40年を超えた原子炉まで再稼働を許容し、原発輸出を成長戦略に組み込んだ。福島事故などなかったかのような、邁進(まいしん)ぶりだ。
政官財が一枚岩になって原発推進は着々と進んでいるかのように見えるが、経産省の内部を取材すると、疑問視する声をあちこちで聞こえる。
「省内で投票したら、今の再稼働路線への反対が多数になると思いますよ」。そう語る若手もいる。組織の方針は「原発推進」だから、役人として従う。個人の意見を問われれば「原発の時代は終わった」と答える人が多いのではないか。
「ともかく原発をという路線なので、人材が原発・エネルギー方面に吸引される。産業・通商政策やIT化対応など経産省が取り込むべき分野が手薄になっている」と嘆く幹部もいる。
◆役人の「展望なき多忙」
では、原発の仕事をしている役人の羽振りがいいかというと、決してそうではない。「確固たる展望を持って原発政策に当たっている人は少ない。破たん処理を思わすような後ろ向きの仕事が多いから」というのだ。
「展望なき多忙」とも言われる。なぜか。
再稼働とは、止まっている原発を動かすこと。ほとんどが老朽化している。40年以上が経過し時代遅れになった原発まで再稼働する。基本計画で決めた「ベース電源」としての発電量を確保できないからだ。
4月から始まる電力自由化に合わせ「低コストの電力」を供給する電力業界の事情で進められている実態が、役人の気持ちを萎えさせている。
「新規立地の可能性がゼロ、というのは重い」。政策の担い手からもそんな声が聞いた。米国のウエスティングハウス(WH)やフランスのアレバなど米欧のメーカーは、事故対策を施した最新鋭の原発を開発している。今や最大の生産国になった中国でも技術革新が進み、新鋭炉に取り組んでいる。なのに「日本の世論は『新設』を認めるはずはない」というのだ。
活路は「原発輸出」である。ベトナム、トルコ、ヨルダン、インドなど候補地はあるが、問題は「核のゴミ」の処分だ。発電して生じた高濃度廃棄物をどう処理するか見通しが立っていない。
理屈では「核のゴミから再び燃料を取り出す核燃料サイクルで無尽蔵のエネルギーを確保する」ことになっているが、絶望的な現実がある。青森県六ケ所村に建設した核燃サイクル基地は、多額の費用と時間をかけたが完成の見通しが立たない。「無尽蔵のエネルギー」を取り出すはずの高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)もポンコツ状態だ。
◆底流は確実に変化している
最先端技術のはずだった原子力が、国家のお荷物となり、仕事といえば「旧型炉の再稼働」「廃炉」「ポンコツのお守り」。事故現場では「放水」ばかり。夢も展望もない仕事がこの先ずっと続く。
取り組んでいる官僚も、事故が起きた時の避難計画が出来ていないことは分かっている。中央からのカネで地元自治体をなびかせることを喜んでやる役人は少ない。安全対策に熱心でない電力会社にも疑問を抱く。
「新潟県知事の泉田さんは経産省の先輩。あの人の考えは普通の官僚の考えだと思います」という声もある。
原発行政の破たんを描いた小説『原発ホワイトアウト』(2013年、講談社)は現役の経産官僚が書いた。筆者が分かり飛ばされた、という話は聞かない。多くの同調者がいるからだろう。
「原発をやっている人も本心では逃げたいと思ってますよ。自然エネルギーなんてダメだ、と口で言っていますが、そっちの方がまだ夢がある」
地裁判決で「運転停止」が出る時代だ。底流は確実に変化している。意欲ある若い官僚を時代遅れの方針が縛るのはかわいそうだ。行政は簡単に方針が変えられない。それは政治家の責任。有権者の仕事でもある。
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