SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)
勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。銀行定年退職後、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。休日はせめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。
中部地方のとある輪中(わじゅう)に生を受けたものとして、私はどんな川でも目に入ると、それが豪雨の際に突然豹変(ひょうへん)し、たけり狂う姿を想像するトラウマがある。普段、水量貧弱な川に対しては余計にそうである。それはまるで怒り狂う竜を想起させる。濁流が流木を伴いながら川の中央を盛り上がって流れるさまは、50数年を経たいまも忘れることができない。
実は1959年(昭和34年)、私は11歳の時に8月の盆前の集中豪雨、そして9月の伊勢湾台風と、同じ年に2回も水害に遭っている。輪中の地形特性からいったん堤防が決壊すると、川の水面と同じになるまで浸水する。そしてこちらの堤防が決壊すると反対側に住む人々は安堵する。「天国と地獄」の再現である。
昔からわが故郷の堤防は尾張、美濃を守る強大な対岸のものより薄く低く、祖先たちは犠牲となることを強いられてきた。延べ2千数百ヘクタールに及ぶ面積が冠水して泥水の湖が出現、農家の秋のコメの収穫は壊滅する。水が引いたあとも伝染病が蔓延(まんえん)するとの教えからか、遠戚の家に弟と共に子供だけで1カ月ほど疎開させられたことを記憶している。
われら輪中の民は広大な避水地として、より富める地域のための哀しい身代わりの役目を不本意ながら果たしてきた。
◆自国利益を優先する中国と流域の小国
そんな生い立ちの自分の目に止まったのは、昨年7月20日付の英紙フィナンシャル・タイムズの「紛糾の川」(Troubled waters)という見出しの記事。小見出しは「巨大なメコン川が水をめぐるグローバルな争いの新しい前線となっている」(The mighty Mekong river is the new front line in the global battle over water. )である。
記事は、2013年12月、タイ北部に住む漁師が早朝の友人からの電話で彼の船が消えた、という衝撃の事実を知らされるところから始まる。以下にまず要約を掲げる。
12月は乾期にあたり、メコン川もその流れは本来穏やかで、そしてその水位も低い。地域住民たちはその時期、堤防の土手に沿って野菜を栽培し、現金収入を得ている。しかし、現在53歳で孫もいるこの男性は、9歳からメコン川で漁師をしているが今まで見たこともないことが起きた。
夜中にメコン川の水位が突如数メートル上がり、栽培中のトマトとキャベツは壊滅し、川を利用した養殖池の魚も流された。そして彼の小舟は対岸のラオスの住人によって拾われていた。だが、米ドル相当で460ドル払えば返すと言われ、魚を売って日に6ドル相当しか稼げない彼は、警察も頼りにならず結局こういうことが起きるのも人生と割り切り、取り戻すのをあきらめた。仕方なく病院の夜警の仕事をしながら考えたのは、なぜこの時期にあんなに水が増えたのか、ということだ。
メコン川は長い。米国にあればロサンゼルスからニューヨークまで流れる長さだ。北部での降雨のせいか、あるいは中国のダムの放流によるものと、彼は推測した。
メコン川はチベット高原の高地にその源を発し、中国南部・雲南省の山岳地帯を通り、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアを経由し最後にベトナムで南シナ海に注ぐ。全長約4400キロのうちほぼ半分が中国領土内を流れる。
中国はメコン川流域に最近二つの巨大ダムを建設した。シャオワン(小湾)ダムとヌオツァートゥー(糯扎渡)ダムである。両ダムの合計容積はまさに驚異的で、ロンドン全域1580平方キロ(約40キロ四方)を水深24メートルの底に沈めることができる。これら二つのダムに関して下流の国々では、干ばつ被害から漁獲量減少まで様々な事象の原因が中国のダムにあるのでは、と疑ってきた。
人類の歴史上、水の争いは古くから存在し、そもそもライバル(rival)という言葉の語源がラテン語のrivaris、すなわち、ひとつの水流を別の者と一緒に利用する意味に由来している。
国連の調査によると、真水の供給は16年以内(現時点では15年以内)に需要に対し40%不足すると予測されている。その状況にあって、流域諸国間での協調が喫緊の課題になっている。しかしこの地域では、積年の困難な隣国関係は経済力格差が拡大する現状にあってますます難しくなっている。
そして、メコン川下流域にある国々では独自にダム建設を始めており、メコン川の重要性はますます高まっている。もし中国が乾期に十分な水量を放出しないならば、これらの新しいダムは発電目的を果たせない。中国自身の水不足の深刻度が増せば、中国政府が彼らのダムの水放出に際して自国利益の優先を図ることは容易に想像できる。
さらに喫緊の問題は、メコンが東南アジア諸国全体の生命線を握っているにもかかわらず、中国側がダムに関するデータを頑強に他国に公開しようとしないことにある。国家間の水争いの歴史は古いが、メコン川に関して中国は常に単独行動をとってきた。特に国連が先導して1997年に制定した、国境をまたいで流れる河川をめぐる条約を中国はいまだ批准していない。
つまり、中国のダムについては貯水量、そして放出の時期と量関連のデータは開示されないのだ。これが冒頭の12月の突然の増水とそれによる被害、混乱について下流国が中国に疑念を抱いたゆえんである。なお後日、気象衛星データから当時、中国南部とラオス北部で2日間豪雨に見舞われていることは判明している。
ところで、メコン川委員会(MRC、Mekong River Commission)という国境をまたぐ組織が1995年につくられ、その本部がラオスの首都ビエンチャンに置かれている。ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムの間で川の多国間利用を調整するのが委員会の使命である。
しかし、肝心の中国は加盟していない。委員会事務局は中国のダムに直接問い合わせることを望むべくもない。彼らは運よく中国当局の役人と会って情報を集めることはできる。しかし、正式にはバンコクに本部を構える国連の地域開発機関である国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)の中国代表者を通して情報提供を依頼するのが道筋である。メコン川委員会の担当員は憂う。乾期の12月の洪水と雨期の低水位がメコン川にとって、中国が意味するところの「新常態」なのかも知れない、と。
中国の「水力の超優越性」が地域の安定に与える脅威について著作の多いインドのブラーマ・チェラニー教授(インド政策研究センター)は、メコン川下流域国の役人たちは中国のダムを非難することを躊躇(ちゅうちょ)するという。東南アジアの国々は小国で、中国について述べることを恐れる、と。
前述のメコン川委員会の担当員たちはFacebook上で中国のダムをめぐる動向の手掛かりを得ようと(効果なく)試みたりする。しかし、加盟国のひとつであり比較的経済力のあるタイでさえも情報入手がなぜそんなに難しいのか、と疑問を持ち、記者はバンコクに飛んだ。そしてタイの天然資源・環境省水資源局の副局長であるチャイポン・シリポンピブル氏に会った。
くだんの時期外れの増水に関して彼が言うには、大量の降雨があったのは事実だが、12月にあれだけの増水をごく短時間の間に引き起こした裏にはやはり中国のダム放水がかかわっているはず、と。記者は、2013年12月に起きた水位変動について、MRCに中国から情報を得られないか尋ねたが、いまだ(2014年7月現在)回答を得ていない。
そこで、記者はさらに北京に移動し、シャオワン(小湾)、ヌオツァートゥー(糯扎渡)の両巨大ダムを運営する国営会社、中国華能集団の本社を訪ねた。同社のスポークスマンは、当該のダム放水量の決定機関は自分たちではなく国の水資源局であるとして記者の質問をそちらに回した。そして、同局は記者が北京に滞在できる間には誰も応対できないという。
しかし後日、ダムに関する書類を送ってきた。それには、水資源局の高官が4月に述べた演説内容が含まれていた。そこで高官は言う。中国は国をまたぐ河川の、発電に利用可能な水量のわずか7~8%を使っているだけであり、これは他国の数字に比較して極めて低い、と。そして、ダムの環境への影響に関し十分調査し問題ないこと、さらに周辺諸国にも格別影響を与えないことを確認している、と。
さらに同封のもうひとつの調査書では、(中国の)メコン川のダムは下流域周辺国に恵みを与えていると述べる。なぜなら、彼らの「科学的規制」が水量を雨期に30%減として洪水を防ぎ、乾期には70%増として干ばつ解決の手助けをしている、と。ましてや、メコン川の水量で中国の国土から供給されているのは全体のわずか13.5%であることを鑑みれば、非難される筋合いはないと主張している。
これに対し、オーストラリアのシンクタンク、ローウィー研究所のミルトン・オズボーン氏は反論する。下流のベトナムでも乾期には中国のメコン川への水量供給元シェアは40%にのぼるという。また、中国のダムを多年にわたって研究している米国のダリン・マギー教授は述べる。私は中国叩きには縁遠い人物だが、中国は自分たちのダムは彼らが主張するように本当に無害ならばそれを裏付けるデータを見せないことの合理的説明がつかない、と。
メコン川流域の何百万の人々にとって、そしてメコン川の将来にとって中国のダムはこのように大いなる関心事なのである。しかし、中国からの真のデータ開示は当分望めないであろう。(抄訳終わり)
◆「河川国」日本の知見を生かせ
この記事は輪中者の興味を引いたものであるが、巨大な国土を擁するがゆえに中国が抱える課題のスケールを物語っていると思う。メコン川はかねて問題のチベットが源流であり、その裏側には過激派組織「イスラム国」が跋扈(ばっこ)し始めたアフガニスタンが控えている。
アジアインフラ投資銀行(AIIB)開設は華やかさをふりまくかもしれないが、もっと身近な次元で、これまであまり注意を払わずとも世界の関心を集めなかった事柄に否応なく引き込まれざるを得ない。それは大国としてデビューした中国の宿命となる。いわゆる「説明責任」は今後、ますます彼らに圧力を与え続ける大きな課題である。
全くの素人の疑問だが、河川が国土をくまなく覆う我が国において提供できるノウハウは、我が国の利益確保のために、そしてアジア流域諸国のために効果的に供されているのだろうか?
冒頭の水害時の記憶に立ち戻る。実はわが村は輪中の中で最も海抜の高い地点であり、遠く離れた下流での堤防決壊は家屋を浸水させるまでには至らない、と予測する村人も多かった。これに対し、明治の子供時代に同様の経験をした古老は丸一昼夜を経て(24時間後)の床上浸水を予測したがまったくその通りになったという逸話がある。
時が経てば自然災害の教訓は被災地においても忘れられる。なんとか「積極的平和主義実現」のソフトパワーとして、祖先の積み上げた教訓を含めて科学的データとして海外に提供できたらすばらしいと思う。
※今回紹介した英文記事へのリンク
http://www.ft.com/intl/cms/s/2/1add7210-0d3d-11e4-bcb2-00144feabdc0.html
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