小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住17年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
今年も恒例の4月の日本出張を終え、タイに戻ってきた。今回の出張では、提携銀行各行の計らいにより幾つかの地方公共団体、地方大学ならびに地方銀行本体を訪問させて頂き、「地方創生」の現場の方々から直接お話を伺ってきた。今回はこれらの方々との面談を通して、「地方創生」を行う上で今後何が必要なのかを考えてみたい。
◆経済活性化の「当事者」になれない地方自治体
まず地方創生に対して、一番真剣に考えていかなくてはならない主体は「地方自治体」であろう。昨年8月に発刊された増田寛也氏の著書『地方消滅』(中央公論新社)では、「2040年までに全国の49.8%にあたる896の自治体が消滅するであろう」と書かれている。
消滅するであろうと名指しされた自治体は発刊当時、蜂の巣を突っついたような騒ぎになったと聞く。増田氏は、若者の地方から都会への移住のみならず、現在の高齢者も死亡年齢に達することにより、多くの市町村が自治体を維持するだけの絶対人員に満たなくなる、と主張している。
これとは別に私が危惧(きぐ)しているのは、公共インフラの維持が出来なくなるのではないかということである。土木関係に従事している方から聞いた話であるが、道路や橋、水道設備などの維持、補修に現在約5兆円使われている。
ところが2018年になると、この金額が25兆円程度に跳ね上がるとのことである。道路や橋などの基本的公共財に対して最後の大型投資を行ったのは、中曽根内閣当時(1982年~87年)に承認された第4次国土開発計画である。それから間もなく30年。待ったなしの状態で施設維持のための補修工事が必要な時期を迎える。
この額が25兆円だという。日本の税収入が50兆円である。25兆円という金額がとてつもなく大きな金額であることがお分かりいただけるだろう。政府はこうした負担を地方政府に押し付けようとしており、早ければここ数年のうちにかなりの数の自治体が破綻(はたん)の憂き目に遭うかもしれない。それを避けるためにも、「地方経済活性化による税収の増加」は地方自治体の喫緊の課題である。
ところが、地方自治体を訪問させて頂いて改めて気が付いたことが幾つかある。まず当り前のことであるが、地方自治体そのものが地方経済活性化の「当事者」になれないということである。今回お会いした地方自治体の方々は、ベンチャーキャピタル(新興事業に対する資金提供機関)を通じて新規産業の育成を目指している方や、地方の特産物の育成、売り込みを真剣に考えておられた。大学と企業をつなぐ産学連携に取り組まれたり、資金供給に奔走(ほんそう)されたりしている。しかし、あくまでも事業主体は民間企業であり、地方自治体は脇役にならざるを得ない。地方自治体の方に言わせると、「起業家精神をもった民間会社がほとんどいない」という嘆き節になるのである。
◆リスクを取りたがらない地方自治体
しかし、ここに二つ目の問題がある、と私は考える。地方自治体が積極的に有望な企業の選別を行わないのである。地方自治体には民間企業とのパイプがない、との言い訳もある。しかしそれ以上に問題なのは、「有望企業の選別を行うことによって、選ばれなかった企業からの批判を恐れる」のである。すなわちリスクを取りたがらないのである。
誤解を恐れずに言えば、「世界は20%の優秀な人、60%の普通の人、20%無能な人で構成されている」と言われる。新しい産業を興す人たちは、前述の人たちのなかで20%の優秀な人なのである。このような20%の人を探し出さなければ地方創生はできないのである。
それでは、どのような人がこの20%の優秀な人に含まれるのであろうか? 一つの解は「海外進出して成功している企業の人たち」ではないだろうか。そもそも海外進出しようとしている人たちは、初めからチャレンジ精神を持ち合わせている。かつ海外進出して成功しているということは、異文化への対応も柔軟に行えたという証左である。「海外進出して成功している企業の人たち」は、新しい産業を創出しうる「宝の山」だと言うのは言い過ぎであろうか。
私は地方自治体の方々を前にしてこうした考えを披露したが、今ひとつ積極的な反応が返ってこなかった。私の考えそのものには全面的に賛同して頂けたものの、地方自治体が自分からこうした方々に積極的にアプローチするのははばかれるようである。「公共体はすべての人に平等に接しなければいけない」という暗黙のルールがあるようである。
一方、地方自治体の方々は「新しい産業を興すためには産学連携が必要である」と考えておられる。このため多くの地方自治体は、大学との連携を模索している。私もこの産学連携については大賛成である。アメリカの経営学者であるピーター・ドラッガーは、その著書『イノベーショと起業家精神』(ダイヤモンド社、1985年)の中で、技術革新が行われる幾つかの要件を類型化した。その中で最も数多くあるケースは「あとから考えると“何だ、そんな事”と思うような発想の転換」であると述べている。これはとりもなおさず「ある人にとっては当り前の事もしくは無用な事が、それ以外の人にとって価値のあるものとなる」ということである。異なった専門領域の人たちが交わることによって、こうした発想の転換が生まれるのである。こうした場の一つとして産学連携があるのである。
私は今回、大学の先生にも数人お会いをしてきた。ここでも私は幾つかこれらの先生から教えて頂いたことがある。その第一は「ほとんどの大学において明確な指揮系統がない」ということである。大学の教授の椅子はそのゼミの中での世襲制となっており、「徒弟制」の世界が築かれている。教授を頂点としたこの縦割り社会をまとめる人として「学長」が存在するが、学長のポジションは互選によって選出され、任期も限定されている。ほとんどの大学において、学長の権限は極めて限定的であると聞いた。こんな状態では、大学側に産学連携を推進する大きな力はないと思われる。
一方、大学の教授の権限は大学内では強大であるが、優秀な学者であるほど民間企業との接触が少なく、実利的な技術を軽視する傾向にあると聞く。こうした状況の中で産学連携に大学を巻き込むためには、各先生を個別に呼び込むしかないと思われる。ところが、地方自治体や地方銀行には大学の先生たちの実力を評価する能力がない。これについては、地域の有力企業の技術者にご出馬いただき、非公式な食事会などを設定し、各先生の実力を「値踏み」するしかないと思われる。もちろん、これらの企業の技術者の実力いかんでは「本当に優秀な学者」を見逃す可能性もあるが、とにかくやってみなければ先へは進まない。
◆今こそ地方銀行が奮起すべき時
ここまで「起業家」と「大学の先生」の選別は済んだ。次に新産業を興す資金である。資金面については、地方自治体や地方銀行がベンチャーキャピタルを用意しているが、一般的には投資の回収手段として投資先企業の上場による資金回収を謳(うた)っている。
これは正直言って全く使い勝手が悪い。どれだけの新興企業が上場する可能性があるのだろうか? また「新技術が必ず成功して企業が上場できる」などの見極めを地方自治体の人が出来るのであろうか。そもそも新技術開発には「研究開発」「製品化」「事業化」の三つの段階が存在すると考えられている。現に米国のシリコンバレーで提供されるベンチャーキャピタルはそれぞれの発展段階において専門のファンドが資金提供を行っている。
特に「製品化」が完了したばかりの創業間もない企業に対して「ビジネスエンジェル」と呼ばれる富裕個人層が積極的に投資を行っているのである。日本の地方にも裕福な高齢者層が存在する。地方銀行はこうした富裕層を説得して「ビジネスエンジェル」ファンドを組成したらどうだろうか。
役者がだいぶ出そろってきたが、最後に「こうした人たちを結びつけるエンジン役を誰が行うのか?」という問題にたどり着く。本稿の冒頭に述べたが、技術革新や新産業育成を行うためには各分野において優秀な20%の人を集めてこなければ実現しない。
これらの人を選別出来る「リスクを取れる人」であるならば、誰でも条件を満たしていると言える。しかし、私がここで期待したいのは「地方銀行」である。地方銀行は公共的な役割があるものの、あくまでも民間企業である。自分から積極的に20%の優秀な人たちに声を掛けてもなんら問題はない。また顧客ネットワークもある。企業とも富裕者層とも付き合いはある。さらには社内に優秀な人材も抱えているはずである。
「地方創生がうまくいかなければ、地方銀行そのものの未来もない」。地方銀行の人たちに対して私は声高に叫びたい。今こそ地方銀行が奮起すべき時である。
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