引地達也(ひきち・たつや)
一般財団法人福祉教育支援協会専務理事・上席研究員(就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括・ケアメディア推進プロジェクト代表)。コミュニケーション基礎研究会代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般社団法人日本不動産仲裁機構上席研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。
◆リーダーの人格評価
笑いは文化とともにある。これは自明なことであるが、その笑いには質を伴う。伴った質は人が持つ人格や教養に寄り添い、質の似たもの同士が同化する。だから、下品な人は下品な笑いを好み、妬(ねた)ましい人は妬ましい笑いを好み、爽(さわ)やかな人は爽やかな笑いと同化する。結果的に人格は笑いに出る。何に笑い、そして笑わせるか、はリーダーの人格と質が問われる問題であり、その質はその組織の信頼度を乱高下させるであろう。
上に立つ人のよくあるパターンは、周囲が笑っている、のに満足してしまうことだ。「笑っているのに喜ぶ」。これは、人の上に立つ者としては、危険水域の状態にある。周囲が「笑ってくれること」に気づかなければ、人の感情の機微を理解する能力がないことを意味する。だから、われわれの文化としての笑いを理解し、自分が何に反応し、笑いを得ているのか、または与えているのか、それを考える必要がある。
◆おやじギャグも仕方ない
先日、文部科学省の「障害者の多様な学習活動を総合的に支援するための実践研究」の第2回オープンキャンパスで「メディア」をテーマにし、お笑い番組を取り扱い、その変遷を講義した。障がい者向けの学びだから、かみ砕いて話をしたのだが、そこであらためて気づいたのが、お笑い番組は時代を重ね進化したように見えるが、全般的には非常に幼い、ということだ。
大人の高度な笑いが発展していないのである。フランス風のエスプリが効いた笑いは日本のテレビ番組ではあまり見られないから、文化として定着していないから、大人たちも経営者たちは、つまらないおやじギャグで冷たい風を吹かせてしまうのは仕方ないことかもしれない。
滑って、転んで、カツラが飛んで、落とし穴に落ちる――。米国でも日本でもスラップ&スティック、ドタバタ劇ともいえるこの演出は「ローコンテクスト」とされ、万国共通である。見れば笑える、言葉はいらないという単純化した笑いだ。その反対にあるのが背景などを知ったうえで高度な言葉で織りなされた笑いで、「ハイコンテクスト」と言う。このハイコンテクストの笑いを会得するには教養や知識がいる。お笑いのフォーマットで主流であるパロディーも元ネタがわかることで笑いが深くなる。
しかしながら日本のお笑いはハイコンテクストであるけれども、大人の笑いではない。タレントの日常やキャラクターなど、そのタレントに依存する形で笑いが展開するものばかりで、笑えるのはタレントに関するネタを知っているからで、情報番組でタレント情報をより多く知っている人がより笑える構造にある。
◆深い教養とともに――
大人の笑いの代表をエスプリの効いたもの、とすれば、エスプリとはフランス語で精神や心とともに機知や知性という意味も含む。その笑いとは、知性に裏付けされた軽妙洒脱(しゃだつ)で当意即妙に発せられる言葉であり、やはり知性を含めたその人の質が問われることになる。さらに、笑いは場合によっては人を卑下したり馬鹿にしたりする際の道具にもなるから、人を貶(おとし)める笑いにならず、健全であることも重要だ。この点をクリアし、真の意味でのハイコンテクスト化された笑いを身に着けている人は、おそらく格好いいだろう。
1970年代から日本のお笑いをリードしてきたテレビのコンテンツである「8時だョ!全員集合時」や「オレたちひょうきん族」、「めちゃ²イケてるッ!」「アメトーク」はいずれに日本のテレビ文化が積み重ねられていく中でどんどんとハイコンテクスト化が進んでいるが、深い教養の中で笑いが格好良くはなっていない。社会科学分野にせよ、自然科学分野にせよ、得意分野における原理を見つめ、その上での得意な「笑い」をリーダーが身に着けると、確実にリーダーの質は上がると思うのだが。
■いよいよ始まる!2019年4月開学 法定外シャローム大学
http://www.shalom.wess.or.jp/
■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
http://psycure.jp/column/8/
■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link
■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/
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