п»ї 拝啓、松山英樹様『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第22回 | ニュース屋台村

拝啓、松山英樹様
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第22回

6月 06日 2014年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住16年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

拝啓 松山 英樹様。米国男子ゴルフツアーのメモリアル・トーナメントでの優勝、おめでとうございます。心からお慶び申し上げます。

最初に申し上げておきますが、私自身はそれほどのゴルフファンではありません。アメリカ、タイとゴルフの環境に恵まれた土地に都合 26年も住んでいながら、ゴルフは大して上達しませんでした。上達もしないからゴルフに打ち込むわけでもなく、この 10年はタイに住んでいながら月イチゴルファー(月に1回)に甘んじています。

また、正直に申し上げて、あなたのこともよく知りません。ただ弱冠22歳の若さで堂々とグリーンを歩く姿、どんな状況でも動じる様子なくきれいに振り抜くスイング、時として自分の失敗に向けられる抑え切れない怒りの仕草、英語のインタビューなどに際しても臆することなく日本語で貫く姿勢(もっとも、インタビューの際には日本語であってもほとんど言葉を発していませんが)。どれをとってみても、私はあなたの仕草から“美しさ”を感じます。そんなわけでタイの時間で6月2日は早朝から生中継、夜は再放送と、テレビで何時間もあなたのご活躍を見てしまいました。

◆ピアノ、クラシック歌唱、オペラ

なぜ、あなたの所作から“美しさ”を感じるのでしょうか? 6月3日付の日本経済新聞の記事を読んで多くの点で合点がいきました。①大学時代から、世界に飛躍することを念頭に高い技術の探求を行ってきたこと②コーチがいなくてもiPadなどでスイングを撮影し、自分で考えながら進化を続けていること③アプローチショットやバンカーショットなどの苦手なクラブは米国一流プロから直接話を聞き、この1年間徹底して練習をしてきたこと④苦しく緊張している時に最後は自分を信じてスイングしたこと――など、多くの話に私自身、納得しました。

ここで少し脱線しますが、私自身のことを話させてください。母親の影響で記憶のない頃からピアノを始めた私ですが、親子間で教わることの難しさから小学2年のときにクラシック歌唱の先生に師事しました。大学時代には、持田 篤先生(元文京大学教授)や原 昌子先生に師事し、オペラを習いました。持田 先生はドイツで勉強した後に日本で帰国コンサートを開くなど、当時新進気鋭のバリトン歌手でした。

貧富の差が少なく、金持ちのパトロンが少ない日本の音楽業界で生活を営むことは簡単ではありません。日本においてプロの音楽家を目指す人が、日々の糧を得る最も安全な方法は大学の先生になることです。しかし大学の先生になるためには、海外で修業することはマイナスになります。大学の先生になるためには自分の恩師や先輩から推薦を受ける必要があり、海外に行くことが恩師や先輩とのつながりを自ら断ち切ることになるからです。

しかし、持田先生や原先生は「本場の音楽を修得したい」「自分の音楽を創(つく)りたい」という強い信念のもと、リスクを背負いドイツに留学されました。あなたにも共通する「世界を目指す意気込み」に私は強く惹(ひ)かれ、この両先生に師事しました。

◆イタリア人バリトン歌手に師事

その後に私は銀行に就職し、転勤で米国ロサンゼルスに移りました。ここでめぐり会ったのが、昔ニューヨークのメトロポリタン劇場に出演していたイタリア人バリトン歌手の プッチネーリ先生でした。73歳とは思えぬ力強い歌声は、日本でめぐり会ったことのない素晴らしく美しいものでした。弟子を採らない方針でいたプッチネーリ先生でしたが、不思議なことに私は気に入っていただき、週2回のレッスンをタダ同然タダで受けさせていただきました。先生は「私は高齢なので君は最後の弟子だ」と言ってくれ、「秘伝の技術」をたくさん教えてくださいました。

先生から習ったことは、それまで日本で学んできたオペラの歌唱法と考え方を全く変えるものでした。「1+1=2」という積算法で音楽を積み上げる日本式に対して、「全体の曲を 1」として捉え、それを「1/2、1/4、1/8」と分けていく西洋式の考え方で、音楽が全く異なるものになっていったのです。

一方で、発声方法も極めて理論的なものでした。一つ一つの練習方法の意味と、そのやり方について先生は丁寧に教えてくださいました。日本に帰国後、ジョイントコンサートでの私の歌を聴いた原 昌子先生から「小澤君はすっかりイタリア人になってしまったわね」と言われた時、私は最大の褒め言葉をいただいたと思いました。自分の目指したもの、努力してきた結果を「本当に価値のわかる人から評価してもらえる」のは、うれしいことです。

◆アルトサックス、フルート

タイに赴任してからは51歳にしてアルトサックス、59歳でフルートを始めました。「なぜこんなものをやり始めたのか?」は話が長くなるので割愛しますが、現在フルートに悪戦苦闘しています。最初に私は「月イチゴルファー」だと申し上げましたが、土曜日と日曜日は朝 8時から夕方 6時までスタジオにこもり、昼食の時間を除いてずっとフルートの練習をしています。目指すはランパルやエマニュエル、パユといった超一流フルート奏者の音色ですが、残念ながら簡単には上達しません。

しかし現在は、私がオペラをやっていた頃に比べ、格段に便利な社会となりました。グーグルで検索すれば、フルート理論がいくつか出てきます。また「YouTube」ではランパルやパユなどの演奏やレッスンが無料で視聴できます。当時プッチネーリ先生から教えていただいた「秘伝の技術」が、現在は英語さえわかれば簡単に入手できるのです。もちろんフルートの楽器や自分の唇の形、更にはフルートの演奏方法の違いなどから、自分に合った演奏手法を確立しなければなりません。試行錯誤の連続です。

そこにも、レコーダーの登場という画期的な発明があります。私もあなたと一緒で、練習を録音しては、どのように吹いたら最も私の理想に近い音が出るか、演奏ができるかを常に自分で探求しています。いつの日か、あなたのように世界一にならなくてもいいから、自分の満足できる音楽が演奏できるよう夢見て努力を続けていくつもりです。

◆クーデター後も変わらないタイの日常

自分の思いがこもり過ぎて長い文章になりましたが、最後に少しだけタイの状況を話させて下さい。軍部によるクーデターで軍政下にあるタイですが、私たちの生活にはほとんど影響がありません。商売に影響が出ている観光業や飲食業の方には申し訳ありませんが、2006年の例で言えば、軍政下にある方が社会秩序が安定するのがタイです。

一部の新聞などでは冷静な書き方がされていますが、テレビを中心とした報道の大半は相も変わらずセンセーショナルにタイのクーデターを取り扱っているようです。ただ、タイをわかっている人たちはクーデター後も通常通り生活を送っています。

私の勤めるバンコック銀行も、クーデター翌日の5月23日 に「日系企業向けセミナー」を開催し、約100名の方にご参加いただきました。先週は山梨県の商談会も予定通り開催されました。当地の各種ゴルフコンペもキャンセルされることなく続けられています。

こんな時ですから本来ならば是非、松山選手にタイに来ていただき安全にゴルフが出来ることをアピールしてもらえたら良いなあと思います。この先スケジュールの詰まっている松山選手に、こんなことを申し上げるのは無謀だとわかっています。ただいつの日か、松山選手がタイで開催されるゴルフツアーで優勝される姿をこの目で見たいと思っています。

最後になりますが、松山選手のますますのご活躍を祈念して筆を置きたいと思います。敬具

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