教授H
大学教授。専門は環境経済学および理論経済学。政府の審議会の委員なども務める。「知性は、セクシーだ」が口癖。趣味は鉄道(車両形式オタク)。
行政は一度決定した計画を変えない。計画が大昔作られたもので、現状がどんなに当初と変わっていても、そのまま実行しようとする。そんな例はどこにでもある。こうして、大多数の市民にとって不必要であるばかりか迷惑でもあるような道路や施設が平然と造られる。市民はそれを半ばあきらめをもって受け入れる。私もその一人である。
しかし、國分功一郎著『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書、2013年)を読んで少し考え方を変えるようになった。市民の声をなんらかの形で行政に反映させないと、不必要な建築物や道路で溢れかえるばかりでなく、民主主義の根幹が脅かされる可能性があることに気づかされたからである。
◆行政に対して住民の関与・参画を求めていく
著者はもともと市民運動などに関心を持っていたわけではない。また、東京都小平市を通ることが計画されている都道328号線の建設問題にも全く疎かった。ところが、ふとしたことをきっかけに建設説明会に参加するハメになり、この偶然が一人の若手哲学者の運命を変えることになった。説明会に参加して著者が感じた素直な疑問は、今なぜ半世紀前に計画された道路を造らなければならないのだろうかということである。交通量は当時と比べて減っている。しかも、武蔵野に残された少ない林を伐採してまでなぜ道路を造るのだろうか。
それから著者の運動が始まる。と言っても彼の住民運動は、旧来型の市民運動のスタイルとはひと味違う。いわゆる建設反対運動ではないのだ。対決型、糾弾型の市民運動では何も変えられない。それが著者のスタンスであり、行政に対して住民の関与・参画を求めていくというのが基本姿勢なのだ。この住民運動は、道路建設に関する住民投票を小平市に求めることになるが、投票の選択肢は「住民参加により計画案を見直すべきか」「計画案の見直しは必要ないか」というものであって、単なる「賛成」「反対」を問うものではない。
だが、住民の声を行政に反映させると言っても壁は高い。住民投票を実施するには、まず住民投票条例を作らねばならない。署名集めも順調に進み、住民直接請求による都内初の住民投票条例案が可決された。幸先の良いスタートだ。
ところがである。後になって、小平市長が住民投票の投票率が50%を超えないと住民投票は不成立という修正案を議会に提出し、修正案が通ってしまったのである。市長選挙の投票率が37%であることを考えると、この壁はどう見ても高過ぎる。結局住民投票は、投票率が35.1%で不成立となり、投票の中身もわからずじまいになった。
◆新しい民主主義と問題解決型の住民参加
しかし住民投票が不成立に終わってもくじけることなく、結果を前向きに捉えている著者の姿勢には大いに好感が持てる。本書では運動の顛末(てんまつ)が実にわかりやすく説明されていて、こうした問題に不慣れな読者にも都道328号線問題や住民運動のあり方がすっきり頭に入ってくる。しかし本書のメリットはそれだけにとどまらない。以下2点だけに絞って述べよう。
第1は、この問題を通して民主主義のあり方を根本から問い直している点である。これまでの民主主義の基本は、国民や市民が立法府の成員すなわち代議士を選出することにあるとされてきた。つまり国民ないし市民が立法過程に間接的に関わることによって民衆の声が国政や市政に反映されると考えられてきたのである。だが、国民や市民に大きな影響をもつのは、立法行為もさることながら行政行為なのである。いや、むしろ行政の方が国民や市民の生活に直接的な影響をもたらすことが多い。にもかかわらず行政に民意を反映しにくいのが従来型の民主主義なのである。住民投票制度はあるにはあるが、先にも述べたように実際はハードルが高過ぎる。新しい民主主義では、道路などのインフラ建設について住民の声がもっと反映されなければならないと著者は説く。
本書の第2のメリットは、問題解決型の住民参加を具体的な形で提唱している点である。「反対、反対!と言うのはやめましょう」と著者は言う。肯定的なビジョンがなければ運動は長続きしない。確かにそうだ。また「運動を成功させるためには、自民党の人たちとだってつきあわなければならない」とも言う。問題解決型の住民運動の成功の秘訣(ひけつ)は、いかにサポーターを多く巻き込むかということなのだ。それには党派を問わず、議員の人たちにも味方になってもらうことが重要だ。実にプラグマティックな考え方である。
著者の研究の専攻分野は哲学である。しかしこの人は、頭の中だけで物事を処理するタイプの人ではない。偶然が作用した面もあるが、運動の現場に踏み込み、渦中の人物となって新しい運動論を展開しようとしている。大学の教師にありがちな、口では言うが行動しないタイプの思想家ではないのだ。「哲学者たちは世界をさまざまに解釈したにすぎない。大切なことはしかしそれを変えることである」(マルクス)を地で行く人である。著者の今後の活動から目が離せない。
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