記者M
新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間100冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味は食べ歩きウオーキング。
NHKラジオ第1で毎週土曜・日曜の夕方、「ちきゅうラジオ」という番組があり、その中に「作文書いたよ」というコーナーがある。海外の日本人学校や補習授業校などに通う日本の子どもたちが現地で感じたことや、海外にいるからこそ日本について気づいたことをつづった作文を本人が朗読して紹介する。僕は毎回これを楽しみにしている。家にいる時は家族で夕飯のしたくをしたり、あるいは妻や娘が包丁を使っている「トントントントントン」という音を聞いたりしながら聴いている。今回は、日本人学校や補習授業校の現状から日本の外交について俯瞰してみようと思う。
子どもたちの作文には、驚かされることが多い。まず、そのユニークな着眼点と、発想力や表現力の豊かさ。こんな作文術をいったいどこで学んだのだろうかと感心させられる。また、世界のいたるところに日本人学校や補習授業校があることにも改めて考えさせられる。今年4月以降にこのコーナーに登場した子どもたちの住む都市をみると、ヤンゴン(ミャンマー)、サンホセ(コスタリカ)、シドニー(オーストラリア)、ハノイ(ベトナム)、ケルン(ドイツ)、アクラ(ガーナ)、クライストチャーチ(ニュージーランド)、ヨハネスブルク(南アフリカ共和国)、ワシントンD.C(アメリカ)などと実にさまざまである。
おそらくは、父親の仕事の都合などで日本を離れ、家族いっしょに生活しているのだろうが、日本の祖父母や友だちと離ればなれになる時、さぞかしつらかっただろうなあと思いをはせる。
◆現地日本人社会の名士が名を連ねる理事会
僕の2人の子どもも、南米と東南アジアで一時期、日本人学校に通った。長女は僕の帰国と再赴任に伴って小学生時代の前半と後半を日本人学校で過ごし、中学高校はインターナショナルスクールに通ったが、長男は小学校入学時から中学2年生の後半までずっと日本人学校に通った。長男の場合は、日本人学校の中でもかなりの「古株」にあたり、古株同士の付き合いは彼らが大学生になった今も海を隔てて緊密に続いている。
日本人学校は海外に在留する日本人の子どものために、学校教育法に規定する学校での教育に準じた教育を実施することを主たる目的として海外に設置された教育施設をいう。2011年4月現在、世界51カ国・地域に88校あり、約1万9千人が学んでいる。一方、補習授業校は56カ国・地域に203校あり、約1万7千人が在籍している。
誤解している人も少なからずいるが、日本人学校や補習授業校は文部科学大臣から日本国内の学校と同等の教育課程を有する旨の認定を受けているが公立ではなく、純然たる私立学校である。ふつう、現地の日本人会などが主体となって設立され、その運営は日本人会などや、進出企業の代表者、保護者の代表などからなる理事会(学校運営委員会)によって行われている。
現地の日本人社会のいわば「名士」が名を連ねており、中小企業や現地企業で働いたり現地で起業・開業したりしている父親をもつ子どもや、母親が現地生まれの子どもなどはすんなり入学が認められないケースもある。また、かつては、日本人学校に通う子どもをもつ父親が勤める企業の規模別に入学金の多寡が一方的に決められ、これに応じないと入学を渋る場合もあった。日本国内の私立学校よりもある意味、排他的である。
いずれも「私立学校である」ことを盾に、「日本人子弟だからといってだれでも入学が認められるとは思うな」という、かなり横柄で高飛車な態度である。新参者には冷たく、全体の総意に応じない者は仲間から外すかつての日本のムラ社会が、海外では今もしっかり息づいている。
◆懸念される教員の指導方法や授業レベル
僕はかつて、日本人学校の理事会のオブザーバーを務めていたが、問題は、前述のように半ば硬直化した学校運営の形態のほかに、日本人学校の教員の資質にもあると思う。
シンガポール、バンコク、香港のような児童生徒数が1500人以上の大規模校などでは、親の転勤や勤務の都合で複数の日本人学校に通ったり通学年数が相当長かったりする子どもたちが多い。当然、国際感覚が身についていて現地の文化・習慣を熟知し、英語のほかに現地の言葉に堪能な子どももいる。
日本人学校の教員の募集から採用までの業務は、元々は外務省と文部省(当時)の肝いりで発足した海外子女教育振興財団が一括して行っている。
これから募集が始まる2014年度の「日本人学校等専任教員」の第2期募集要項をみると、応募資格と条件の中に「児童・生徒に愛情を持ち、教育に情熱と使命感を持っていること」「海外子女教育に対する理解と熱意があること」「明るく、心身ともに健康で、生活・職場等大きな環境の変化への適応力が高いこと」などが挙げられている。これだけをみると、なにも日本人学校の教員でなくてもよさそうな感じである。
日本人学校に関する問題点として保護者や企業の間ではいつも、「教員の指導方法や授業レベル」が上位にランクされている。日本人学校の教員の任期は通常2~3年。複数の日本人学校で教壇に立つ先生もいるが、海外での教員生活が通算で10年になるような先生は滅多にいない。国際感覚や言語の物差しだけを取っていえば、日本人学校の児童生徒のほうがずっと進んでいるのだ。
「海外で先生をやってみたい」「教員として貴重な経験をしてみたい」といった動機で応募し、現地に2~3年赴任して帰国する教員は、海外での生活が長い子どもたちに対してどんなことを植え付けてくれるのだろうかと、いささか懐疑的に思う。
「日本人学校で教壇に立った経験が帰国後の教員生活に生かされる」ということだとしたら、日本人学校の子どもたちはかわいそうだし、その先生とのつながりは赴任期間だけに限られた一過的なものだろう。また、日本人学校の教員が応募の動機として、自身の「自分磨き」や「思い出づくり」などのために海外を目指すとしたら、教員などといわずバックパッカーでいいではないかと言いたくなる。
◆日本人学校は民間外交を担う一翼
さて、最近よく登場する「グローバル人材」という言葉と、その方向性が気になる。新聞の投書欄で先日、「グローバルになるとは決して戦うことではない。どこに属し、誰のために働き、何が生き残るのかを刷り込む教育はあってはならない。子どもたちという木が、世界中に枝を広げて花を咲かせるとき、それをしっかり受け止め育てる土壌が日本にはあるだろうか」と問いかけた、タイ在住の日本人教員の意見に注目した。
日本政府は、国際バカロレア(IB)を「2018年までに高校200校で導入」するという目標を立てている。IBは世界で通用する大学入学資格を与えるプログラムだ。インターナショナルスクールの場合、生徒が様々な国の大学に進学するため、統一された大学入学資格の枠組みが必要になり、IBが生まれた。
このプログラムを取り入れた学校を非営利団体「国際バカロレア機構」(本部・スイス)が認定し、認定校で授業や試験を受けると、共通の評価基準で点数が与えられ、多くの国の大学入学資格と同等の「国際バカロレア資格」を持つと認められる。文科省によると、米ハーバード大、イエール大、コロンビア大、英オックスフォード大、ケンブリッジ大などでは、入学合否判定の審査資料にも使われている。
翻って、改めて「外交」とはなにか。その定義を言い始めると、紙数はいくらあっても足りないが、なにも外交官ひとりに任せるべきものではないと思う。国益一辺倒であったり、弱肉強食の論理で外交を進めたりすると摩擦も生じやすい。市井のわれわれも、そして日本人学校で学ぶ子どもたちもその一翼は担えるのだ。
僕は、日本人学校を民間外交を担う一翼と位置づけ、「グローバル人材」やIBプログラムにつながる教育を施す施設に進化させるべきだと考える。
そのためにはまず、教員への教育と現地日本人会を頂点とする旧態依然とした運営が多い日本人学校理事会の改革が必要である。理事会の役員名簿ひとつ取っても、それに名を連ねる多くはすでにわが子が小中学校をとっくの昔に卒業し、義務教育に縁遠くなってしまった人たちばかりだ。これでは、日本人学校で子どもたちにいま何が教えられ、何がおろそかにされているかわかるはずがないし、しょせんは他人ごとである。「子どもたちという木が、世界中に枝を広げて花を咲かせる」ようなグローバル人材を育てるために、その土壌の一つとして、日本人学校の刷新は急務である。
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