引地達也(ひきち・たつや)
仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。
◆ごめんね
前島元子さんは自閉症の卓也君(仮名、14)と2人暮らし。結婚から3年後に卓也君を出産。1歳6か月の時に医師から知的障がい及び自閉症と宣された。父親は「どうせ治るべ」と取り合わず、長い論争の末、父親は結局家を出て、今はどこにいるかも定かではない。
川をさかのぼってきた波に自宅1階は破壊された。ぎゅうぎゅう詰めの避難所で対応できない卓也君とともに自宅2階で住み、3か月かかって1階の修復をした。卓也君の変化はその修復している際の約3か月後、に起こった。机をかじる、耳をたたく、そして人を蹴る。目つきが変わるわが子に元子さんは心の中でこう繰り返すという。「障がいつきで生まれてごめんね」と。
障がいを持って生まれる、この事実に対する元子さんの気持ちは自虐的にも聞こえるが、それは母性と地域風土に起因するかもしれない。そこに震災が起こり、通常より重い負荷が母親に加わり、いわば化学反応として起こった母親のつながりが、「本吉絆つながりたい」といえる。
◆共生に向けて
つながりたいが発足したのは2013年1月21日。「自立」を掲げ、目指すのは、子供も母親も、みんながいられる場所を作ること。まずはプレハブ小屋を購入し、男性の世話役として奔走する地元の民生員、佐藤工さんの自宅敷地内に、大人と子供が集える場所を確保、今年3月開所した。現在のところ、利用者は自閉症、知的障がい、ダウン症、染色体異常の7歳から62歳までの男女。
この中には「フラッシュバック」の子供たちもいる。
母たちは、みんなでそんな子供に向き合い、助け合う覚悟でいる。
資金がない中で、備品はボランティアを通じた調達でまかない、子供が遊ぶための「ボールプール」用のボールは国産カラーボール大手の石山(埼玉県)から寄付を受け、資金獲得のために母たちがつくる革細工の材料を、野球グラブ製造販売大手のトライオンが提供した。
「ごめんね」を繰り返す元子さんも隊のメンバーであり、仲間に勇気づけられ、沈んでいた顔を上げ、未来を語れるようになったという。自分の夢、そして自分が年老いて死んでから、この子はどうなるかという不安。すべてを解消するために、日々、準備作業や革細工をしながら、母親たちの膝詰めでの語らいは続く。
「目指すのは地域との融和、そして地域との共生。障がい者を地域の人に見てもらい、触れ合って、地域の子供もおじいちゃんもおばあちゃんも集まる場所にしたい」(林会長)。それが「この地域で心豊かな子供が育つことになる」と結ぶ。
◆弟
冒頭(第18回)に登場した久人君の「フラッシュバク」は終わったわけではない。
美由紀さんは最近、お弁当屋でのパートを辞めざるを得なくなった。出勤時間に久人君が暴れ始めると、それに手がかかり、久人君は学校にも行けず、結局は自分が面倒を見なければならない。おのずとパートは急に休むことになり、これ以上職場に迷惑はかけられない、という。
それでも表情は明るいのは、暴れる久人君の首に手をかけた次男の最近の変化があったからかもしれない。
「障がいがある人を理解したい」
そう言って、美由紀さんが関わる「本吉絆つながりたい」に「子供ではできないのか、何か手伝えないのか」と問いかけてきたという。常に暴力にさらされて抵抗しなかった次男、そんな毎日に久人君を憎んでいたはずが、意外な一言だったと美由紀さんは言う。
どんなに久人君が暴れても、夜通し叫び続けても、同じ部屋で布団を敷いて寝てきた母と兄弟と妹の4人。家族という絆を今、美由紀さんはかみしめている。
そして、東日本大震災の未曽有の被害の中で生まれた母親たちの結束という萌芽(ほうが)に可能性を見いだし、自分の夢である、行ったことのない家族旅行ができる日を夢見ている。(おわり)
※3回シリーズのこのルポルタージュは、今回が最終回です。
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