山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
医者を育てる教育ってなんだろう。そんなことを考えさせるのが、東京大学医学部で続発する研究不正に決起した医学生5人の行動だ。説明を求めた公開質問状に、大学は「心配しないで勉強してなさい」という対応だった。東大はどんな医者を育てようというのか。
◆研究データ改ざん、関係者に口止め
東大理科3類、通称「理3」は、同世代の0.01%の頭脳集団にのみ門戸が開かれる受験の最難関である。数学五輪に出場するような俊才が集まり、放っておいても勉強する若者たちだ。だが、受験の勝者が良い医者になるか、というと微妙である。善悪の判断がずれた医師や研究者ほど恐ろしいものはない。
ノバルティス製薬の事件や理化学研究所の論文ねつ造が社会問題化しているが、似たような構造が東大で表面化した。
アルツハイマー病の国家プロジェクトで研究データの改ざんが発覚。証拠となるデータが書き換えられるという不正の上塗りがなされた。更に担当教授による「内密の上で」とする関係者への口止めまで。国家予算24億円が投ぜられたこの研究は、38病院から認知症高齢者のデータを集めるが、データ処理は製薬会社の社員にゆだね、エーザイから出向する室長格がデータの書き換えまでやらされていた。
白血病治療薬の臨床研究にはノバルティスの社員が組織的に関与。患者の個人情報が製薬会社に渡っていた。エーザイもノバルティスも労務提供だけでなく、奨学寄付金という名目で資金を研究室に渡していた。
分子細胞生物学研究所では論文51本に不正が見つかった。画像のねつ造や改ざんがあった43の論文が撤回された。
一連の疑惑は内部告発で明らかになったが、迅速な調査は行われていない。学界の権威である教授がかかわっているためか、大学本部は及び腰で、厚生労働省に至っては、告発を当事者である研究室に通報するという失態まで演じた。
激化する開発競争、実情に合わない定員、足らない研究予算などが背景にあるが、独立王国のような研究室のあり方に病根があるといわれている。
◆正面から向き合わない大学当局
腫れ物を扱うような大学の姿勢に真正面から異を唱えたのが、医学部6年生の5人だった。来春、研修医として巣立つ若者たちだ。
「先生方のご説明がなければ信じたくないことも信じざるをえない」
「国民に信頼されうると確信する医学部においてこそ、将来患者さんに貢献できる医術を学べると信じております」
東大総長、医学部長、東大病院長に宛てた公開質問状は、糾弾調ではなく、ぎこちないほど丁寧な言葉でつづられている。
医学部は5年から医療現場に入る。5人一組になって診療科を回り、基礎を学ぶ。
「疑惑は報道で知るだけで、現場では全く語られない。尋ねても断片的なひそひそ話で終わる。私たちが学んでいる場で起きていることを知らされないなんておかしいですよ」。名を連ねた医学生の一人はそう語る。大人社会の隠し事を、何も知らない子供が真顔で問いかける。そんな構図だ。
ところが、大学は正面から向き合わない。医学部長と病院長は連名で「調査が完了し本学としての見解と対応が明らかにされた時点で『臨床研究の倫理と適正な活性化の方策について考える会』の開催を検討しています」。当面は説明する意思がないということで、「諸君らは安心して学業に取り組んでいただきたい」と結んだ。
総長からは返事はなく、再度回答を求めると、コンプライアンス担当理事の名前で「まずは部局である医学部・病院における対応を見守っていきたい」。 医学部の体質が問われているのに、本部は傍観するというのだ。コンプライアンス担当理事は文部科学省からの天下り。総長の顔が見えない、と医学生たちはがっかりしている。
◆足元から揺さぶられている「権威」
医学教育は「先人の背中から学ぶ」ともいわれる。患者への対応、指導教授との関係、データ処理の仕方、とっさの時の優先順位の付け方など、現場で学ぶことが多い。
「若い時に大組織に組み込まれ、長いものには巻かれろ、という気風を身に着けてしまうと、ものを考えない医師になってしまう」と医学研究者の一人は言う。医局の秩序に従順な頭でっかちばかりでは、上が望むことなら都合のいいデータをつくるような風土は断ちきれない。製薬会社との不適切な関係も、黙って受け入れる。そんな積み重ねが疑惑の背景にあることに気づいている人は少なくない。
世間のルールから外れたことを正当化できるのは、東大医学部という「権威」があるからだ。その権威が足元から揺さぶられているのに東大は、ことの重大さにまだ気づいていない。
医学を包む闇は深いが、医学生が声を上げた。500人ほどの中でたった5人だが、一筋の光明である。
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