引地達也(ひきち・たつや)
仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。
先週に引き続き、全国のコミュニティFM局に番組を配信している衛星ラジオ局「ミュージックバード」の「未来へのかけはし Voice from Tohoku」の先週放送分をお届けする。まずは、ラジオ放送の内容を紹介する。
◆絆は呪文じゃない
東日本大震災からまもなく3年。このコーナーでは被災地の「今」を、現地の方々ご自身が綴った思いを、生の声で語っていただきます。
本日お伝えするのは、東日本大震災直後から宮城県や岩手県を中心に学生ボランティアを派遣し続けている学生中心の組織「Youth for 3.11」の代表、河合信哉さんです。
2011年には、のべ1万人のボランティアを派遣したこの団体。今も東北の支援を続けながら、伊豆大島の台風被害や、次に来る自然災害に対応するために、日々準備をしております。この団体の事務所のポスターには、こんなことが書かれていました。
「絆は呪文じゃない。来て、見て、触れるもの。」
河合さんの朗読をお聴きください。
【河合信哉さん朗読】
「Youth for 3.11」は2011年3月11日、震災当日に立ち上がった団体です。帰宅困難になった大学生が、テレビの津波の映像を見たときに、「何かしなければ」と立ち上がりました。
阪神・淡路大震災や新潟中越地震ではボランティア不足が起こっていました。そこで、時間のある大学生がボランティアを行うことで、現地でのボランティア不足は解消され、復興の一助になれるのではないかと考えました。このような考えから、現地の活動団体と協力し、学生向けのボランティアプログラムを複数開発し、現在までにのべ約1万5千人の学生を東北に派遣してきました。
震災の起きた年、私は初めて宮城県気仙沼を訪れ、ボランティア活動を1週間行いました。がれきが1カ所に寄せられ、物寂しげな風景。津波で打ち上がった魚などの腐敗した臭いを今でも覚えています。
災害大国日本では、地震でなくても、毎年台風などによる水害や竜巻など、自分の住む地域が被災する場所が多くあります。そういった緊急災害時に対してすぐに動ける学生を、私たちはこれから増やしていきたいと思います。
2013年10月に発生した伊豆大島の台風被害でボランティア活動をした学生のうち、半分は東北でボランティアを行ったことのある学生でした。つまり、学生ボランティアの流動性を高めることで、困っている地域のお手伝いに行ける人を増やしていくことができると考えています。これが、東日本大震災をただ単にマイナスの出来事にしない、私たちなりの考えです。
【エンディング】
「Youth for 3.11」の詳しい活動内容は、ホームページでご覧ください(http://youthfor311.com/)。
今後も支援活動は続きます。若い力が必要です。
震災の風化を食い止めようとつくられたこの歌、『気仙沼線』。活動は「気仙沼線普及委員会」のフェイスブックでご覧ください。
(以上放送内容終わり)
今回の河合さんのお話を受ける形で、以前私が東京大学医科学研究所で編集・発信していた情報ツールへの原稿を加筆修正して「ボランティア」について考えたい。
◆義勇兵の覚悟
岩手県一関市に住むカズ(仮名)は中学卒業以来、漁船の乗組員として約20年を過ごしてきた。若い頃はマグロ船で1年の大半を遠洋で過ごし、国籍も人種も違う乗組員とともに世界中の海を渡り、海上で拿捕(だほ)されたことも、上陸したアフリカでは強盗にあったこともある。このキャリアの中でカズは一貫して雑務を任せられる「下っ端」として生きてきて、カズが乗る船には必ずや威勢のよい乗組員からの「こらあ、カズ!」の怒号が飛び交ってしまう。
それでも漁船の上でのカズは素人の私から見ると、網のたたみ方や綱の巻き方、すべての所作はプロフェッショナル。しかし弁当を買いに行かせると数が足らなかったり、はしがなかったりと、何かが不完全で「こらあ」となる。そのたびにカズは神妙な顔でシュンとするが、数秒後には乗組員の笑い話に混ざり、前歯のほとんどなくなった口を開けて大笑いするから憎めない。
そのカズは東日本大震災直後、宮城県気仙沼市の避難所からあがる物不足の声を聞き、なけなしのお金で物資を買い、運転免許証のない彼にとって唯一の足である自転車で避難所をまわり、配布していた。
「おしめがないってよ。みんな車もねえ、って言うから、ほれ買ってもっていって、自転車だからいくらも積めねえがら、まだほら、行って、買ってだもの」
今の漁業はお金にならない、とは経営視点で語られるが、彼ら末端の乗組員はなおさらで体を張って海で過ごしても、生活はぎりぎりだ。漁を引退した父と弟の3人暮らしを支える一家の大黒柱のカズだが、自宅から自転車で約1時間の気仙沼で自転車を疾駆し、内陸のスーパーで物資を調達し、危機にある人へ注力し続けたという。
この話をカズから聞いて私は高貴な「ボランティア」精神を見る気がした。自分の生活や時間やお金や大事なものを犠牲にして、困難にある人のために身を挺(てい)そうという姿勢は、本来の言語が意味するところの「ボランティア」=「義勇兵」であり、そこに本能的な自己犠牲の精神があっても、感傷的な感情の押し付けは見られない。さらに言えば、ドイツで若い時期の一定期間に社会奉仕活動をするいわゆる「チビー」や韓国の徴兵にも似て、ある種の体の芯から出た覚悟のようなものも垣間見られる。
◆ボランティア野郎
カズとはまったく別の例を挙げる。九州地方から来たボランティアに駆け付けたリョウ(仮名)の場合、彼は誰から見ても「ボランティア野郎」だった。震災直後、自家用車に生活用品を詰め込み、宮城県石巻市に入った。彼はつなぎ服に粉塵(ふんじん)マスクを付け、安全靴を履き、さながら兵士のような格好だが、それは勇敢というよりも、何か敵味方の区別がつかない危険な香りが漂っていた。
ボランティア仲間から「変わった奴でやる気はあるんだけど、5000円しか手持ちのお金がなくなったっていうから、ちょっと面倒見てよ」と引き受けたが、彼は私が仲間と管理・運営していたボランティア用の宿舎で半ばアルコール中毒となり、暴力沙汰(ざた)も起こし、強制的に退去させられた。その後も被災地のボランティア団体を転々としているうわさを聞くたびに、トラブルの心配で胸が締め付けられる思いがする。
被災者という弱者を相手に「優位」に立った立場で物事を進める人がいる。ボランティアという言葉に酔いしれて、その言葉に属することで何かを成し遂げられたと錯覚する人がいる。そして、人に何かを施すことで、新しい自分を発見しようとする人がいる。それぞれが真剣に人生の道程において自分の出来ることを考えようとしているかもしれない。
しかし、使い方を間違えばそれは凶器となる。被災者という非日常的な状態に置かれている方々を前にすれば、ましてやボランティアとは縁遠かった地方での「ボランティアの波」の中で麻痺(まひ)した感覚で事にあたると始末におえなくなってしまう。
ボランティアとはどうあるべきか、この命題は今回の震災で強くもまれはしたが、言葉の持つ大義的な雰囲気は変わらない。高貴なる精神も自分探しの旅も、「ボランティア」の言葉の前にかき消されているのが実態である。
かく言う私も震災直後からの自らの活動を「小さな避難所と集落をまわるボランティア」と題して、活動を分かりやすく表明しているし、被災民家を訪れる際には、極力ボランティアという言葉を言わないように心掛けてはいるが、相手が「どんな立場で支援してくれるの」という疑問の表情が崩れない時には「ボランティア」を口にしなければいけないのを肌身で感じている。
「ボランティア」。やはりいまだに水戸黄門の印籠(いんろう)にも似た効果絶大の地位は揺るぎそうもないのである。
そうかといって前述のカズは「ボランティア」という言葉には無頓着だった。一方の後者のリョウはボランティア組織にいることにこだわり続けている。これは言葉が喚起する幻想に敏感に反応するか否かによるが、自発的なボランティア精神によるボランティア活動並びに行動が定着することは、「支え合う」社会の発展となり、この場合、おのずとボランティアの言葉は不必要になる。
その無償の活動に「支えられる」「支える」双方の人がかけがえのない感謝のやりとりに終始することだろう。この実現に向けては、オーソリティーの手ほどきは必要なく、かけがえのない思いの連鎖によって成し得るはずである。
東日本大震災から3年でボランティアの姿が少なくなってきた。月日が経過しているのだから、当然である。それを補おう、との考えで学生ボランティアの重要性を説くのは、大人の安易な押し付けだと思う。
責任を持って、私は呼びかけたい。自分のために、胸を張って被災地に出よ、と。そうすることによってのみ、私たちの社会の可能性は広がるのだと思う。それが「ボランティア」なのか、なんなのか。それは自分が決めることである。
今回の放送内容はユーチューブでご覧いただけます。
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