п»ї 社会主義国に見るバレンタインデーの意義『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第10回 | ニュース屋台村

社会主義国に見るバレンタインデーの意義
『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第10回

2月 27日 2015年 文化

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SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)

勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。銀行定年退職後、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。休日はせめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。

2年前にラオスの首都ビエンチャンで、Vientiane Timesのこの記事(2013年2月15日付)に出あい、今年のバレンタインデーに合わせて出稿するつもりだったが、年のせいかひどい風邪を引いて寝込んでしまい、少し時機を逸してしまった。まずは、以下に訳文を掲げる。

“あなたにとってバレンタインデーとは?”
世界中の人々が昨日、愛をめぐる特別の日としてバレンタインデーを迎えた。ビエンチャンタイムズも何人かの若い人々に対してその日に関しての考えを尋ねようとインタビューを行った。(以上見出し)

◇ラオス国立大学4年生男子 Daxong Navongxayさん

僕が個人的に考えるには、バレンタインデーとは若い恋人たちがお互いに対して抱いている深い感情を表現しあうことが許される特別な日であると思います。しかし、私たちは愛情は毎日表すべきであり、この特別な日だけに限定すべきではないと考えます。そしてまた、バレンタインデーは自分たちの本当の文化の一部ではないので、格別大げさにとらえるべきでないと思います。

◇中等学校女子学生 Dalalay Bouphavanhさん

バレンタインデーに夢中になりすぎるのは若者、特に学生にとってふさわしいことではないと思います。とにかく愛(Love)とはボーイフレンドとガールフレンドの間に限った感情ではなく、両親や親せきそして友だちのこともその対象と考えるべきです。ほとんどの中等学校生徒たちはその両親たちの指導のもとにあるので、異性との関係にとらわれるのは適切なことではないのです。若者は学業に専念すべきであって浪費の癖を避けるべきです。パーティーに出かけたいのであれば、何か不快なことが起こった時に守ってもらうよう両親と行くのが良いと考えます。

◇経済管理学専攻の女子学生 Aling Nuansichanさん

私たちが感じる愛(Love)とは毎日存在するものなので、バレンタインデーが特に特別なものとは考えません。私たちが胸に抱く愛(Love)とは、パートナーに対するだけではなく我々を取り巻く特別なみんなのために向けられるものです。私たちはそれがボーイフレンドに対するものであれ、家族に対するものであれ、愛(Love)とは何であるかを知っています。誰もが愛(Love)を必要としますが、それをセックスと混同するように思いつめてはいけません。もし、ボーイフレンドの彼がセックスを求めたなら別れることでしょう。なぜならセックスは愛(Love)とは全く関係がないからです。

◇会社員男性 Hatsady Inthavongさん

私たちはこのテーマについてみな様々な考えを持っている。しかし、過去を顧みて抱く疑問は、私たちの両親はこの特別な日が祝福する愛(Love)を知ることなくどのようにして結婚できたのであろうか? 私は若い人々には、不用意な愛(Love)は将来にマイナスの効果を及ぼすことを注意したい。男子はバレンタインデーにかこつけてガールフレンドを意のままにしてはならない。愛(Love)はセックスの上に成り立つものではない。それは人々の心のうちに存在するものであり、お互いにどれだけ相手のことを思いやるかによって育まれるものである。だからといって、皆さんがこの日を楽しむことの邪魔をしようとするわけではありません。でも、取り返しのつかない事態に陥ることがないように、また昔からの伝統、文化そして私たちの国の決まりからはみ出すことのないよう注意すべきです。

◆人畜無害な内容ゆえに考えさせられる記事

実はこの記事を読んだ後に知ったのであるが、Vientiane Timesはラオスの情報・文化・観光省傘下の部局が発行している英字紙である。当然、外国人読者を想定したもので、ビエンチャン市内の外国人向け食料品店で購入した。
 ラオス人民革命党による1党独裁という国の性格からして体制側からのメッセージ以外には政治・社会的主張の記事はそもそも許されないものと思われる。その点、たわいない人畜無害なこの記事であるが、かえっていろいろと想像させてくれる。素直に我々の社会と現地の社会との間における若者が抱く恋愛に対する感覚の違いに驚くべきなのか、あるいは圧倒的な物量で流れてくる欧米の大衆文化に毒されまいとする若者の良心をアピールしたいのか、貧しくとも自国の文化、歴史に対するプライドを示したいのか、いずれしてもほぼ政府刊行物である当紙に今更、なぜバレンタインデーなのかと考えさせてくれる。
 日本では日頃気づくこともなくメディアによる情報氾濫(はんらん)のなかで当然のように日々を過ごしているのであるが、彼我(ひが)の環境の差を思い知らされることになった。

【写真説明】2013年2月15日付のVientiane Timesの記事=筆者提供

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