那須圭子(なす・けいこ)
フリーランスのフォトジャーナリスト。1960年、東京生まれ。山口県在住。20年間、山口県上関町に計画される原発建設に反対する人々をカメラで記録してきた。それを知らない占い師に「あなたは生涯放射能と関わっていく」と言われ、覚悟を決めた。人間より、人間以外の生きものたちが好きな変人。
「わしゃ、今イランに来ちょるんよ」
先日の夜半に、祝島(いわいしま)の漁師から電話があった。およそ四半世紀の付き合いのある、60歳代の漁師シゲさん(仮名)からだ。
「はぁ? イラン???」
実際、シゲさんは若い頃にイランの工事現場まで出稼ぎに行っていた人だから、あながち冗談とも思えない。
「こんな大事な時にイランに?」
祝島ではその翌日、中国電力上関(かみのせき)原発をめぐる漁業補償金について話し合う漁協総会が開かれようとしていた。補償金の受け取り拒否を貫けるかどうかの分かれ目となる総会だ。それを欠席することなどあり得ない。
「明日の総会までには帰るいね」
「そんなの無理よ。あれ? なぁんだ、冗談だったのかぁ」
と、イランの話は冗談だとわかったのだが、夜中にシゲさんが電話してくることなど初めてだったので、余程のことがあるのだろうと思った。
「わしゃ、もうなんもかんも嫌になったけぇね、イランに逃げよう思うたのよ」
とシゲさんが言うのを聞いても、私は責める気にはなれなかった。
◆漁業補償金をめぐる県漁協との攻防
この31年間、祝島の対岸約3・5キロにある上関町長島に中国電力が建設を計画している上関原発に反対し続けてきた祝島の漁協は、漁業補償金受け取りの対象となる8漁協のうち、7漁協がすでに補償金を受け取った中で、10億8千万円の漁業補償金の受け取りを一貫して拒み続けてきた。
すると山口県漁協は、祝島に無断でその半額を供託し、その補償金にかかる税金を払えだの、祝島漁協の抱える借金の支払いにその補償金を充てろだの、残りの半額を早く受け取れだのと言ってきている。祝島には1割の原発推進派もいるが、漁協としては補償金を受け取らないとの意見にまとまり、今後一切この補償金問題を議題としないことも決めていた。
ところが今年の春、県漁協は推進派の漁師を議長に任命、採決の方法も議長の権限で挙手から無記名投票へと変え、補償金受け取りを漁協総会で再び採決した。正組合員53人中、議長を除いて31対21、初めて「受け取る」が「受け取らない」を上回ったのである。「祝島、漁業補償金受け取りへ」のニュースが全国を駆け巡った。
しかし、漁業権に関わる総会の議決は過半数でなく3分の2の同意が必要と決められている。その後すぐに、祝島漁協の正組合員31人と准組合員8人が県漁協に対し、漁業補償金の受け取り拒否と議案の決定方法に疑義がある旨を申し入れた。祝島の漁師は漁業補償金を受け取るつもりはない、との意志を全国に改めて示したのだ。
祝島では31年間原発建設を拒み続け、漁業補償金も受け取っていない=山口県上関町祝島で、筆者撮影
◆変わる状況と変わらない思い
ただ、原発など来なくても漁で暮らしていけると言えたのは、昔の話になりつつある。今では島民の平均年齢は80歳。年を取って年収が数十万円しかない漁師もいると聞く。反対派の漁師は、年を取ればあっさり船を解いて漁協の組合員も辞める。補償金をもらうつもりが無いからだ。
一方、推進派の漁師は年を取っても、たとえ船を解いて漁をやめても、漁協の組合員だけは辞めない。補償金をいつかは受け取ろうと考えているからだ。それによって漁協の組合員の中で、推進派漁師と反対派漁師の占める割合が徐々に変わってきているのは事実だ。
しかし、祝島の全人口500人弱のうち、漁協の正組合員はわずか53人。漁業者以外の島民のほとんどが、根強い反対派だ。漁師だけで決められる問題ではない。実際今年8月に県漁協が同じ議題で総会を開こうとした時も、祝島に上陸しようとする県漁協の組合長たちを追い返したのは、ほとんどが漁業者以外の島民だった。
結局シゲさんの電話の翌日、祝島の漁協総会は開かれなかった。県漁協側が総会の会場を予約し忘れたためというのがその理由だが、本当だろうか? また何か裏があるのではと勘繰りたくなる。いずれにしても、「海をカネには変えられん」との祝島の人々の思いは、かろうじて今回も守られた。
祝島で毎週月曜日の夕方行われている「月曜デモ」も、高齢者の姿ばかり目立つようになった=山口県上関町祝島で、筆者撮影
◆クレーン1本に日本の運命がかかっている
クレーン1本の操作に、日本の、あるいは人類の運命がかかっている。福島第一原子力発電所4号機の核燃料棒取り出し作業の話である。その始まりまで、あとひと月を切った。舞台は他でもない私たちの国だというのに、いったいどれだけの日本人がこのことを知っているだろうか。
福島第一原発4号機には、地上から30メートルの所に燃料プールがあり、その中には使用済みの燃料棒が、2011年3月の事故以来置き去りにされている。その数1300本以上、重さにして400トンという。
今年6月に発表された東京電力の行程表によれば、その取り出し作業を11月半ばから始めるというのだ。通常の燃料プールからこれを取り出すのさえ、細心の注意が必要な作業だが、この4号機のプールの場合、さらなる問題が山積している。
まず4号機建屋も、燃料プールも、中の燃料棒も、どれもみな事故で損傷している。燃料棒の損傷の程度については、高い線量の水の中に沈んでいるので確かめる術(すべ)も無い。その燃料棒を水中でキャスクと呼ばれる特殊な容器に入れ、密閉して取り出さなければならない。その作業は人間がクレーンを操って行うのだ。
燃料棒はジルコニウム合金で被膜されているが、万一クレーン操作を誤って燃料棒を落としたり、作業中に地震や竜巻が来て燃料プールが倒壊したり、燃料プールから水が漏れ出したりすれば、空気に触れて発火する。大量の放射性物質がばらまかれる。
プール内の400トンもの核燃料からばらまかれる放射性物質の量は、広島型原爆1万4千発分に相当する。近くにいる作業員は、言うまでもなく即死する。福島第一原発から250キロ圏のすべての住民が避難しなければならない。250キロ……どこかで最近聞いた数字だ。そう、2020年の東京五輪開催が決まった国際オリンピック委員会(IOC)総会のプレゼンテーションで安倍首相が言った「東京は福島から250キロ離れているから大丈夫です」の、あの250キロだ。
福島県浪江町請戸の立入禁止区域ゲートを入ると、木立の奥に福島第一原発がぼんやりとかすんでいた=福島県浪江町請戸で筆者撮影
◆世界が固唾をのんで見守る
話はこれだけでは終わらない。そのような高度なクレーン操作の技術を持った作業員を、たくさん確保しなければならない。燃料プールは汚染がひどいので、1人の作業員が入っていられる時間は短い。被曝線量の限度をすぐ使い果たすことになる。次から次へと作業員を送りこんで、交代させる必要がある。それだけの技術を持った作業員、いったい何人この国にいるのだろう?
このハラハラドキドキのクレーン操作を、1度のミスもせずに10年以上続けるつもりらしい。もちろん地震も台風も竜巻も無しで、である。4号機だけで2年以上、それが終われば1号機、2号機、3号機と続く。汚染水漏れとも闘いながら、ということになるだろう。しかもその10年はオリンピックに向けての建設ラッシュと時期的に重なる。そちらにもたくさんのクレーンや、それを操るたくさんの作業員が必要だろう。
このスリリングな作業の開始に無頓着なのは、私たち日本人だけのようだ。世界は固唾(かたず)をのんで見守っている。
祝島と福島。この2つの場所が、原発の抱える最も難しい課題を体現しているように思えてならない。
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