引地達也(ひきち・たつや)
仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。
◆障がい者と地域の共生
11月2日に東京都新宿区の区立高田馬場福祉作業所で「アトムフェスタ」が行われ、メインステージのライブに歌手の大至(だいし)さんとともに参加した。東日本大震災の風化を防止するために作られた曲「気仙沼線」で、宮城県気仙沼市本吉町の知的障がい者支援のグループを応援していることによるつながりで、作業所より声をかけられてのライブ実現となった。
JR高田馬場駅の横にある、障がいがある人たちのこの就労支援施設はカフェやリサイクルセンターも併設し、昨年秋にオープン。地域のコミュニティ化を目指してはいるが、専門学校などが林立し、若年層の「よそ者」が多い土地にあって、その試みはまだこれから。アトムフェスタは、この施設の「秋祭り」であり、施設と来所する障がい者、その家族や関係者、地域ボランティア、そして地元の方々との融合を目指す取り組みでもある。
ライブは盛り上がった。元大相撲力士の大至さんの和やかな場づくりには定評がある。参加者と語らい、体を動かし、一緒に歌う姿勢はこれまで高齢者施設や被災地の仮設住宅で共に行動してきたから、ここでも大至さんの良さが発揮されたと安堵した。
「気仙沼線」を歌い終わって、観客からは「いいねえ!」との声が上がった。ライブ中、聴いていた知的障がい者がステージにいる大至さんに近づき、一緒に歌う場面があり、それを見た参加者が続々と大至さんに近づき、話しかけた。ライブが進まなくなるので、近くにいる職員が優しく制止するが、それが何人ともなると、数人の職員で対応するが、見切れない。
1人を制止しても、違う1人が盛り上がる。職員1人で2人を見ることはできない。全員で盛り上がったライブ、と評価していただいたのは、よかったが、やはり職員の努力なくして、イベントの成功はなく、職員の日々の苦労に頭が下がる思いである。
◆大変さをどう浸透させるか
知的障がい者に関する仕事も、乳幼児に関する仕事も、人から目が離せないから、苦労が絶えない。また、経済構造として、サービスを提供する1人の労働に対して利用者の数は限られるから、収益の伸び率も高くはない。従って公的補助頼りの、賃金が上昇することのない3K職場、という位置は昔も今も変わらない。
誰もが子供時代を過ごし、高齢化するから、福祉の仕事が社会にとって必要であり、その仕事が大変なこと、は誰もが理解しているはずなのに、その仕事の改善は人任せ、な世の中。自治体は劣悪な労働環境を改善するために、職員1人あたりの乳幼児数など定量的な数値で基準を設け運用しているが、介助が必要なサービス被提供者が1人でも10人でも、職員の「人を守る」という強い責任感は同じであり、これは数字では示せない。社会はその大変さ、というおぼろげな概念を実体化しながら、数値化とセットで、「福祉の仕事」を世の中に浸透させていく必要がある。
日本は障がい者に関する政策・行政において欧米諸国より遅れていると、長年言われ続けている。国際比較調査がなかなかないので、2003年の数値になるが、障がい者関連支出を国内総生産(GDP)比で見た場合、トップはノルウェーの7%以上で、経済協力開発機構(OECD)に加盟する先進34か国の平均は3%。日本はこれを大幅に下回り、ノルウェーの10分の1程度の0.783%。米国やギリシャの半分以下、韓国と同等の数字となっている。
これら数値を分析している勝又幸子(かつまた・ゆきこ)国立社会保障・人口問題研究所情報調査分析部長は、この数字を示しながら「(日本は)どんなにひいき目で見ても、遅れている」と指摘する。アジア諸国よりマシ、という声も聞かれそうだが、GDPや人々の生活水準などを考慮すると、私たちはやはり欧米並みにならなければならない、と思う。そして、ここには背景がある。
◆「普通」の位置づけ目指せ
それは、社会における「障がい者の位置づけ」である。ノルウェーはじめ欧米諸国は、障がい者を特別な存在とせずに一般市民と変わらずに社会参加させることに主眼が置かれ、支出はそのためのコストとして考えている。これが「特別な存在」と位置づける日本との大きな違いである。
勝又部長は、日本のこのあり方の転換を求める。「障害者福祉という狭い範囲から脱し、全体の中で障害をもつことの意味づけをしていく方法へと発展しなければならない。そして特別な存在ではない生活者としての障害者がそこに見えてこなければならない」。平成25年版「障害白書」によると、平成23年の日本の精神障害者数は約288万人、そのうち20歳未満が約18万人(6・1%)、20歳以上65歳未満が約172万人(59・9%)、65歳以上が約97万人(33・8%)。この65歳以上の割合は精神障害者の高齢化率でもあり、同年の日本の高齢化率である23・3%より10%以上高い。精神障害者の高齢化率そのものも平成17年の28・6%から高い伸び率を示している。
つまり、精神障害者の社会にはすでに超高齢化の波が押し寄せ、今後の国や社会の対応は、障害者に加え高齢者としてのまなざしも必須で、従来のスピードでは追いつけない。「あり方の見直しと行動」がいち早く求められるのである。
「収益を示し、事業性を持たせる事業計画を立ててくれないか」。先日、とある復興予算を支出する関係者からいただいた要望である。その方はさらに「実際に収益が出なくても、それは仕方ないので、気にしなくていい。要は頑張っている人への支援であり、復興予算を生かすための支援ならばいいんだ」と続けた。
支援先は、被災地の知的障がい者施設だが、地方の施設で収益を描く仕組みは描きにくいのは実情だから、それは今の日本に理にかなった要望ではあるが、見方を変えれば、「障がい者福祉ではお金は稼げない」というあきらめにも取れる。
安倍晋三政権の「三本の矢政策」で富の拡大を目指し、その恩恵として福祉行政予算の拡大イメージを抱かせているが、それがやはり障がいへの「特別視」にもつながる。そして、社会では「もうける人」と「もうけられない人」の格差も静かに広がっているのが、今の政策の結果である。
おそらく、このままいけば障がい者に関する実体的な政策は何も変わらない。一般労働者と同様に健常者との心の格差さえ広がっていくかもしれない。知的障がい者が社会に「普通に」位置づけられるために、関係職員が仕事の現場で疲弊せず、そこが「普通の」職場となるために、まだ朝日は見えないままである。
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