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科学者や技術者としての“矜持”とは何か?
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第110回

12月 28日 2017年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住19年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

人は何のために仕事をしているだろう? 「生活のため」「金を得るため」「人に認めてもらうため」「世の中に役立つため」――。人それぞれの考えがあり、置かれている環境や時代などによっても仕事をすることの目的は違うだろう。科学者や技術者にはこれ以外の目的として「新たな真実や事実の発見のため」とか「新しい技術の創造のため」などというものも加わる。

40年以上にわたり銀行に勤め、会社の利益追求のために働いてきた私にとって「真実の発見」や「新しい技術の創造」などという高邁(こうまい)な発想は縁遠いものであった。また縁遠いものだからこそ、強い「憧れ」もあった。ところが昨今、私のこうした考えが間違っているのではないか、と考えさせられることに何度か遭遇した。こうした私の疑問について考えてみたい。

◆『ウラニウム戦争』を読んで考えたこと

私が最初に科学者の態度に疑問を持ったのは、アミール・D・アグゼルの書いた『ウラニウム戦争―核開発を競った科学者たち』(青土社書房、2009年)を読んだ時であった。この本を勧めてくれたのは、大学時代からの友人で慶応大学経済学部の細田衛士(ほそだ・えいじ)教授である。細田君は「今年の慶応大学の塾長選挙の教職員選挙で1位になりながら、評議委員会で決定内容が覆され、塾長になれなかった」という、慶応大学の前代未聞のスキャンダルで脚光を浴びた教授である。

彼は清廉潔白で曲がったことが大嫌い。自分の信念を貫き通す、まっすぐな性格の持ち主である。大学時代から細田君とはよく議論をしたが、彼は読書家で、伝統的な理論に依拠した論理展開を得意とした。現在も日本出張の機会をとらえて年に2、3回は彼と酒を飲み交わし、書生っぽい議論をする。

そんな細田君との付き合いだが、もう一つ私が彼に頼っていることがある。それが「良本」を紹介してもらうことである。バンコクに住む私にとって、気軽に本屋に寄って立ち読みをしながら面白い本を見つける作業は出来ない。このため、細田君が推薦した本を日本でまとめて購入し、それをタイに持ち帰って読むのである。『ウラニウム戦争』の本に出合ったのは、細田君の推薦によるものであった。

本書は人間がウランに出合った時から核兵器開発にいたるまで、科学者たちのウランとの関わり方を丁寧に追いかけた研究書である。ところが、驚くべきことにアインシュタインらのごく一部の研究者を除いて、大半の科学者たちは積極的にウランの研究にいそしみ、核兵器開発に進んで協力していくのである。「核兵器により大量の人が殺戮(さつりく)されていくのをわかりながらも自らの研究をやめない」科学者の姿勢に脅威を覚えた。平和な日本において「科学研究が殺人目的に使われる」などの究極的なテーゼは現実感に乏しい。過去の偉大な科学者の生き方に若干疑問を感じたものの、その時は特に深く考えることもなく、私はこの本を読み終えた。

最近になり、産学連携の試みから大学教授や企業の技術者の方たちとお話をするうちに、私の中で似たような疑問が湧き上がってきた。それが冒頭の問題提起である。

◆「日本人は別格」だった時代

そもそも私が「産学連携の橋渡しをしよう」と思ったのは、昨今の「日本の国力の劣化」に対する危機感である。日本がこの20年間、経済停滞をしたところで「タイの銀行に勤め、タイに暮らす私にはあまり影響が無いだろう」と思う方も多かろうが、決してそんなことはない。日本人の私は、米国でもタイでも「日本人」としてまず認識される。「日本国の存在感」「日本企業の存在感」そして「日本人の存在感」が薄れれば、私そのものの「価値」も低減していくのである。1980年代初頭に米国で暮らした時、地元有力紙ロサンゼルス・タイムズに日本話題が取り上げられるのは年に2、3回程度だった。日本は高度経済成長期にあったが、米国での存在感はほとんどなかった。

1987年からの2回目の米国駐在の時は米国経済が最悪期であり、一方で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として日本が持ち上げられた時期である。「再建屋」として米国社会に深く入り込まざる得なかった私は、米国の階級社会の各階層の人たちと付き合い、多くの知人、友人を得た。それらの人との付き合いで分かったことは、米国の支配者階級である白人たちは「アジア人は黒人より下の最下層の人々」として見ている現実であった。

ところが、である。私が日本人だと分かると、話は別物となってくる。当時の日本の勢いある国力を背景に、「日本人は別格」として扱われたのである。もちろん白人支配階級の人たちの中には、会議やパーティーで私を無視して口を利いてくれない人たちも少なからずいたが。

◆「産学連携」に期待する理由

1998年、私は東海銀行バンコク支店長としてタイに赴任した。日本はバブル経済が崩壊したものの、名目国内総生産(GDP)が過去最高を記録し、日本の国力が頂点にあった時代である。一方のタイは、アジア通貨危機で国が破綻(はたん)状態にあった。当時のタイにとって日本は「救いの神」であり、日本人である私に対して「下にも置かない扱い」であった。私が現在もタイの要人の方々とお付き合い出来るのは、この当時の日本の国力を背景としているからである。

「“国家”と“個人”の在り方は違う」と概念的に論じる人がいるが、実際には大きな依存関係があるというのが、私の経験に基づく考えである。更に言えば、1980年代後半の米国や1997年以降のタイと、最悪期の経済を見て来た私にとって、国家の貧困はトラウマである。国が貧しくなると、生活破綻者が増加し社会不安が増幅する。人々が対立し、ねたみと憎しみが社会に蔓延(まんえん)する。私はこうした悲惨な光景を何度も見てきた。だからこそ、是非とも日本の国力が回復するのを望んでいる。そして、そのための有効な一つの施策になりうると期待しているのが、産学連携である。

今年10月に日本の大学を訪問し、最先端の科学研究に従事されている先生がた数人とお話をする機会を得た。すると驚いたことに、これらの最先端の研究をしている科学者たちに最も積極的にアプローチしてくるのが、中国やドイツの企業だという。

中国政府の駐日機関の中に日本の大学教授の研究を個別にレビューし、有望な研究を中国企業に紹介する機能があるという。こうして、日本の最先端の科学研究に中国企業がアプローチしてくるのである。一方で日本企業からのアプローチは少ないという。

この背景には日本の大学が置かれた厳しい経営環境がある。日本政府から国立大学の各研究者に配分される「国立大学運営費交付金」が年々減少。科学者や研究者は研究資金の捻出(ねんしゅつ)に四苦八苦している。12月10日に放映されたNHKスペシャルで「東大研究不正」を取り上げていたが、研究資金捻出のためには不正を起こさざるを得ないほど研究者は追い詰められている。たとえ研究資金の供給者が中国やドイツの企業であっても、またそれによって技術が海外に流出したとしても、科学者にとってはその研究を続けることが重要なのである。

更に日本の技術者にも同様のことが起こっている。今年初めに私は中国の大手通信機器メーカーであるファーウェイ・テクノロジーズ(華為技術)の日本の責任者に再就職した古い友人A君に会った。彼は日本の大手電機メーカーから転籍したのであった。A君によると、ファーウェイ・ジャパンには彼と同じ日本の大手電機メーカーの同僚500人ほどが働いているという。ファーウェイ・ジャパンは日本の優秀な技術者に目星をつけ、1千万円の年収を提示する。すると、多くの技術者は転職に同意するという。A君は続けて語った。ファーウェイ・ジャパンでは日本の科学者や技術者に自由に研究をさせる。このため皆、生き生きと働いているという。更にファーウェイ・ジャパンは来年度の大卒者の初任給として40万円支払うことを発表している。優秀な日本の学生の取り込みにも余念がないのである。欧米のコンサルタントの言葉を信じ、ガチガチの人事制度や会社組織を作り上げてしまった日本企業には、初任給に40万円を払ったり他社の人間を高給で引き抜いたりすることが出来ない。日本企業には「なす術(すべ)」もないのである。

◆日本の技術の海外流出にどう対応すべきか

科学者や技術者にとっては自分の研究が認められ、より多くの金銭保障があるならば、海外企業や外国のために働くこともいとわない。これは、核兵器開発に積極的に関与していった過去の偉大な科学者の姿勢と同じである。

「日本を強くしたい」というのは私の勝手な希望である。同様に科学者や技術者には「真実や新たな技術のために研究を続けたい」という欲求がある。こうした欲求は誰にも止められない。たとえこれが「人類の終わり」や「日本の国力の相対的低下」につながるものであっても、止めるのが難しいことは歴史が証明している。

しかし、「化学兵器の開発」や「技術の海外流出」の責任を科学者や技術者だけに押し付けるのは間違いであろう。日本の科学者や技術者の研究資金が枯渇(こかつ)し、また研究自由度が低くなっているという事実から眼を背けてはいけない。科学者や技術者が外国企業に取り込まれ、日本の技術が海外に流出しているという現実。この責任は、日本政府や日本企業の姿勢にも大きく起因している。官僚化し、硬直化した日本社会そのもの、及び日本企業の早急な体質改善が望まれる。

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