п»ї 米ラスベガス銃乱射事件で対応した葬儀社 『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第30回 | ニュース屋台村

米ラスベガス銃乱射事件で対応した葬儀社
『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第30回

10月 19日 2017年 文化

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SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)

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勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。銀行定年退職後、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。休日はせめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。

米ラスベガスで10月1日、58人が死亡する米史上最悪の銃乱射事件が起きた。今回は、この事件に関連する米誌ザ・ニューヨーカー10月11日号の記事を全訳で紹介したい。

事件は衝撃的なもので世界中での反響は大きい。しかし、この記事は事件そのものを掘り下げるものではなくたまたまこの異例な事態に対応する葬儀社の話であり、むしろ経営者に焦点を当てるものである。記事は、訳者に何度も読み直しを強いた箇所があったが、もうそんなことにはわざわざ触れないのがアメリカの社会なのだと少し驚いてもいる。
暗い、やりきれない事件であったがこの記事を通して、日本人との対比において米国人の死に対する感覚、女性の仕事に対する触れ方が少しだけ分かったようなつもりでいる。衝撃の事件を実に変わった切り口での関連記事として読ませている(以下、全訳)。

◆神聖な天職として向き合う

ラスベガス銃乱射事件後、犠牲者家族にささやかな安らぎを与えようと奮闘する葬儀社(ザ・ニューヨーカー アマンダ・フォルテーニ氏)

先週火曜日の午後、ラスベガス所在クラフト・サスマン葬儀社(火葬サービスも行う)では地元の同業者、およびルート91号沿いの収穫祭の催し会場で日曜日の夜に起きた乱射事件で犠牲になった人たちの親からの電話が鳴り始めた。ラスベガス管轄のクラーク郡検視局は直ちに遺体の身元確認作業を始め、多くの関係者の情報によれば、木曜日までに全犠牲者58人のリストが発表されたとみられる。しかし、家族にとって待たされる間は地獄であった。先日の取材でローラ・サスマン氏はこう述べた。「自分たちにとってもつらいことだった。頻繁に電話が入り、『まだ(検視局から遺体が)届かないのか?』『もう準備は済んだのか? そちらに行ってもいいのか?』と聞かれた。ご遺族にささやかな安らぎを感じてもらいたいのだけれど十分な時間がありません。私たちは事柄に関わる大きな仕組み、関係者の歯車のごく一部なのです。(できることはかです)」

とはいえ、大規模乱射事件のような悲劇が起きた際に、遺族たちが愛する犠牲者の姿を最初に目にするのは葬儀社においてである。検視所での死者の本人確認はしばしば写真を使って行われる。サスマン氏は言い添える。「遺族は亡くなった家族の体を洗い清め、傷を縫合されたあとの姿で見せられるわけではない」と。「そして、ここに遺体が来てそれがかなうのです」。サスマン氏と彼女の共同経営者であるウェンディー・クラフト氏は免許を持った遺体防腐処理士を雇っており、そのプロたちが事件や司法解剖で被った傷を縫い合わせ、体を洗い、家族が持ってきた衣装を着せるのである。水曜の夜、彼女たちは乱射を受けた1人の犠牲者の親たちが宿泊するホテルに車で出向き、娘に着せたいとする服を受け取りに行ったのである。

この2人の女性は自分たちの仕事を神聖な天職として向き合っている。彼女たちは遺体を見ることで遺族が初めて、やすらぎ、現実認識そして終結感を気持ちに収めることができることを理解している。ある家族は娘がまるで眠っているようだと言った。「そうなんですね、その娘さんは検視所でそのようには見えなかったはずですから。あるいは家族たちが最後に彼女を見た際の姿であっても、ボーイフレンドが覚えている撃たれる直前の彼女の姿でさえ、そのように安らかではありません」。サスマン氏は続ける。「ですから、彼女が私たちに処理を施されてから家族は彼女が心を込めた扱いを受けていることを知って随分と救われた気持ちになれるのです」。 私が会った金曜の夜までにサスマンさんとクラフトさんはすでに4人の若い犠牲者の世話を終えていたのである。手がけた犠牲者は2人の男性と2人の女性で、みんな20代か30代であった。2人がこのビジネスを始めてから8年半の時が経つが「こんなに多くの人が一度にひどい目に遭うのは見たことがありません」 と、サスマンさんは言う。そして57歳のクラフトさんは、ボストンなまりで「そしてみんな私たちの子供の年代なんです」と続けた。クラフトさんと62歳のサスマンさんは2001年から共に暮らし、2015年には結婚した。彼女たちは一緒に3人の娘を育てた。

亡くなった人たちの身元が判明するにつれて、犠牲者の出身地が北米全土に広く分布している事実に人々は衝撃を受けている。アラスカ、テネシー、カリフォルニア、ニューメキシコ、ほかに14の州とカナダが加わる。地元のネバダ州住民は7人のみであった。ラスベガスでは旅行者の数がクラーク郡の定住人口2百万を大きく上回る。2016年だけでも4290万人が訪れている(ネバダ州で火葬にされる死者の比率80%は全米で最高というがその理由は住人のこの地での居住が一過性であることがその一因とされる)。クラフトさんが言うには、他所から来た人がラスベガスで亡くなる場合、遺族の家族みんなが飛行機で飛んでくることは 普通ありえない。ところが今回の4家については皆そうした。当該犠牲者の家族だけでなく親戚とコンサート会場にいた友人すべてがこの葬儀社内の二つの小さな礼拝所に集まったのである。

自分の家から遠く離れた場所に来ることはそれだけでまごつくのであるが、悲しみとショックが加わり混乱は深まるばかりである。そしてそんな状況の中でも家族は短時間のうちに難しい、やり直しのきかない決断をせねばならない。 「今回のある家族と一緒にいたときのことですが、一同がお互いを見つめあいながら言うんです。『あの子はどれを着たいんだろう?』。そしてそれぞれ意見が違うんです。だって、誰もそんなこと前もって話し合うことがないんですから」。「自分の20代、30代の子供がこんなことになるとあらかじめ考えるなんて一体誰ができたでしょう? 聞いたことがないわ」とサスマンさんは言う。「事件で子供を亡くし、東海岸、カナダ、カリフォルニアからそれぞれやってきた4家族のうち、2家族が火葬を選び、1家族が遺体を自宅に送ることを選び、もうひと家族も搬送の手続きを進めているが役所のせいで遅れている」と、家族の特定ができないよう気遣いながら説明した。(全訳続く)

◆思いやりのケアを提供する

段取りを話し合うためにクラフト・サスマン社の2人が犠牲者家族を案内した、道に面した小さな部屋は丸いマホガニーのテーブルと、栗色のいす、キューリグのコーヒーマシンが備えられ、かごいっぱいの紅茶ティーバッグ、分包されたココア、数枚ずつ包装されたクッキーとピーナツバタークラッカーが盛られていた。両人ともスーツの正装姿でほぼ毎日業務に立ち会う。クラフトさんは自分が少女の時代から死と臨終に惹(ひ)きつけられてきたと話す。彼女は葬式の列が進んでゆくのを見て亡くなったのはどんな人だったんだろう?参列している人たちは今どんな気持ちでいるんだろう?と考えた。しかし、それは1992年までのことである。その年彼女は月満ちて男児を出産したがその子はへその緒が首と腕に絡み亡くなるという不幸に遭遇してからは、赤ちゃんを失った女性のための支援グループに「立場を変えて今度はテーブルの向こう側に座り、自分たちが同じ不幸にある人達を助けなければならない」と説き始めた。彼女はある会社が所有するラスベガスの葬儀社に短期間雇われたことがあったが歩合給で仕事をすること、家族と過ごせる時間がわずかしか残らないほど過密な仕事量のどちらも好きにはなれなかった。

そして2000年にクラフトさんは南ネバダユダヤ人共同体センターを通してサスマンさんに出会ったのである。そこではサスマンさんが上級幹部として在職していた。2人ともユダヤ人埋葬協会でボランティアとして奉仕した。その協会はイスラエルの言葉でチェルバカディシャと言い、2人はその組織のために葬儀屋に出向きユダヤ人女性の埋葬の手伝いをしていた。すなわち、遺体を清め、死に装束を着せ、祈りをささげるのである。サスマンさんはその一連の儀式の精神性に引きつけられた。「お返しができない誰かに何かをしてあげることができる」と感ずる喜びである。しかし、彼女はそこでとどまらず、奉仕のため訪問したいろんな葬儀社のサービスを自分の目で観察し、自分だったら違うやり方をするのに、と考えるようになった。過去およそ20年の間に死をケアするサービスは大きなビジネスとなった。家族経営の葬儀社が企業に買い上げられるケースが増え、社員は歩合給で仕事をこなし、遺族の愛する家族の世話に費やされた時間の累計に対して料金を請求し、必ずしも必要でない豪華な棺桶、骨つぼとか余分なサービスを押し売りしていた。「何度も同じ誤解に基づいた照会を受けるのです。『ワイフをカリフォルニアに連れて行きたいんだけど州境をまたぐ際には腐敗防止処理をしていないとダメなんですよね?』、と」。この問いに対しクラフトさんは応じる。「いえ、処理は必要ないですよ。『でもそう聞きましたけど』『業者は儲けになるからそう言うんです。しかし、長時間に及ぶ弔問を無蓋(むがい)のひつぎで受けることでもない限り必要なはずがありませんよ』」、と。

クラフト・サスマン社はラスベガスで今や残り少ない独立系葬儀社で、さらに米国中を見渡してもこの種の業界で女性が所有する企業としてはめずらしい存在である。クラフトさん、サスマンさんの2人は思いやりのケアを提供するという創業に際しての道徳的信条を真剣に捉えている。彼女らは遺族に対し、空港への送迎を行い、彼らの家あるいはホテルで寄り添い、清めとか装束を着せる儀式にも参加してもらうことを受け入れている。そしてそのあとも電話などで遺族をフォローするのである。

事件が起きて以来、社では遺族が愛する家族に直ちに会えるよう専属の腐敗防止処理士を通常業務時間を過ぎてもスタンバイさせている。火葬後犠牲者の遺骨遺灰をホテルまで、あるいは埋葬の場合遺体を空港まで彼女たちが直々に届けている。遺体が外国人の場合、該当の領事館に掛け合い、どちらか片方の両親だけはなるべく早く帰国できるよう交渉する。「彼らの娘、息子たちがコンサートに来たのであって、遺族たち自身がまさかラスベガスに来ることになるとは考えてもみなかったのです」と、サスマンさんは言う。親たちがサスマンさんに言ったのは「こんなにつらい旅行は今まで経験したことがない。そして家族や友達そして私たちを支えてくれる環境に早く戻らねばならない」と。彼女は続ける。「ですから私たちがなすべきは遺族たちをここに迎え入れ、少しの時間愛する家族と過ごしてもらったらできる限り早く帰ってもらえるようにすることです」と。でも一番大事なことはその人たちをせかしたりしないことである。「だってそうでしょう。人が誰かに別れのあいさつをする際には『まだ居ていいですか?』と聞きますよね。ですから、私はいつも言ってあげたいのです。『その人にもう二度と会えないことが分かっていて、さよならを言うのに十分なだけいつまでも居てください』、と」(以上、全訳終わり)

※元の記事はビデオつきで見ることができる。サイトアドレスは以下の通り。アマンダ・フォルテーニ氏は作家でラスベガスのネバダ大学客員講師でもある。https://www.newyorker.com/news/news-desk/giving-families-peace-at-a-funeral-parlor-after-the-las-vegas-shooting

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