SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)
勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。銀行定年退職後、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。休日はせめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。
11月8日に迫った米大統領選の選挙戦では突っ込んだ政策論争はあまり見られず、もっぱらお互いの中傷合戦に終始したため品格に欠けるともいわれる。そして、少なくともクリントン、トランプの両候補とも通商問題は正面から取り上げてはおらず、どちらもTPP(環太平洋経済連携協定)への支持表明はしていない。今回取り上げるのは、2人の候補者をそうさせている米国経済の背景に焦点を当てた論文(記事)である。
貿易の絡む外交問題は、外国を候補者自身が直接には傷つかない仮想敵として論じやすい。しかし、資本主義経済の総本山でかつ民主主義社会を自認するアメリカの大統領候補の2人が本当は信じていないことを選挙に当選するためだけに述べているのだとしたら、それは制度としての民主主義が機能しなくなっている不安を覚える。そして、原文執筆者が分析するように技術革新に置き去りにされる人々の存在こそが、格差拡大など米国経済の問題であるなら、それはそれで、資本主義の行く末を論じる重いテーマも思い起こさせている。経済効率主義が際限なく進むなか、ロボットに仕事を奪われる労働者は今後どのように生きていくことになるのかである。そんなことを考えさせる内容である。
以下は、米誌フォーリン・アフェアーズ6月/7月号に掲載された、ダグラス・A・アーウィン(Douglas A. Irwin)氏の「通商についての真実 グローバル経済に関して評論家たちが誤解していること(The Truth About Trade, What Critics Get Wrong About the Global Economy)」と題された論文である。米国東部にあるダートマスカレッジの経済学部教授で、『非難にさらされている自由貿易(Free Trade Under Fire)』の著者でもあるアーウィン氏の記事を抄訳の形で紹介する。(以下、抄訳)。
◆舌鋒鋭い候補者たちの通商政策非難
アメリカの大統領候補が選挙運動中に自由貿易をこき下ろすのは今に始まったことではない。オバマ大統領だって就任するまでは北米自由貿易協定(NAFTA)をけなしていたのに、TPP推進の旗を振った。しかし、今回は少し様子が違う。候補者たちがこぞってアメリカの通商政策を非難する舌鋒があまりに強烈なのだ。だから、大統領の椅子にさえ就けば今までのように変わるだろう、と安閑としてはいられない。共和党ドナルド・トランプ候補は、間抜けな(stupid)交渉でもたらされた合意内容のおかげで中国とメキシコがアメリカを散々な目に遭わせている、とする。一方、かつて国務長官の地位にあった際には
(TPPを)推進していたヒラリー・クリントン候補さえも、今はTPPに対し反対の唱和に加わっている。また、同じく元共和党候補であったバーニー・サンダース氏も通商協定はアメリカの雇用を奪い、中間層を痛めつけてきた、と激しく非難したのである。
アメリカはこれまでも自らの経済低迷を他国のせいにしてきた。これは(世論のマネジメントのための常道として)戦時において真実開示が犠牲にされるのと同様、選挙運動中には自由貿易が真っ先にやり玉に挙げられる。しかし、今回の超党派の攻撃は今後のアメリカの経済面でのリーダーシップに疑念を生じさせている点で異なっている。
自由貿易反対者たちのレトリックは、貿易が米国経済に果たす貢献の実態をひどくゆがめている。こんにち、米国民は自国の経済、特に労働市場について根深い、無理からぬフラストレーションを抱いており、それにこたえるには政策の変更が求められる。しかし解決に当たっては、貿易を疎んじるやり方ではなく労働者の保護を図るべきである。
アメリカは貿易について大きな問題を抱えておらず、また障壁を築いて解決せねばならないような困難も存在していない。実は、直面しているのは貿易に対して抱く不安の根っこにある、より大きな問題である。前の時代には機能した、低技能労働者たちを中間所得層に導いたはしごが壊れていることである(抄訳続く)。
◆貿易をスケープゴートに
トランプ氏は貿易をゼロサムゲームとみなしている。彼は、中国に対する貿易赤字は毎年毎年カネを失い続けていると言う。しかし、国の貿易収支は企業の損益収支とは全く違う。アメリカのような準備通貨を持つ国は、国民の暮らし向きを犠牲にすることなく無期限に貿易収支の赤字を続けることができる。オーストラリアに至ってはアメリカよりも長期間経常貿易赤字を計上しているが、その経済は繁栄している。モノとサービスの取引量を測る指標として最も広く受け入れられているのが経常収支である。アメリカはその指標で、1981年を除き毎年赤字を計上してきた。アメリカは低貯蓄で高消費の国として永く外国から資本流入を受けてきた。
経常赤字を減らすために消費を抑え貯蓄を奨励することは簡単ではない。経常赤字を非難する評論家たちはその難しさを評価していない。評論家たちは輸出が輸入を上回ることによりアメリカは失業者を生み出しているとして経常貿易赤字を非難する。しかし実際には貿易赤字は経済が上向きの局面で雇用が増える際に拡大するもので、逆に縮小するとき経済は縮み雇用は減少する。
米国の経常収支赤字は2006年にGNP対比5.8%であったが2009年には2.7%に減ったものの雇用の落ち込みは防げなかった。経常収支の黒字が万能薬でないことをまだ信じられないのなら日本を見るがよい。彼らは常に経常黒字を計上したにもかかわらず30年間にも及んで停滞している。保護貿易を正当化する誤りは2世紀以上も前にアダム・スミスが指摘したにもかかわらず、この2016年になって不思議なことに息を吹き返している。現行の経済はリセッション後の回復の足取りが期待したほどに順調ではなかったにせよ、ひどい状態とはとてもいいがたいこと、緩やかではあるが着実に成長を遂げていること、そして失業率が5%まで低下したこと――があげられる。そんな現況においてさえ誤解がよみがえっているのだ。
大統領選の運動に群がる人々が主張しているのとは裏腹に一般の米国人は外国貿易を支持しており、特にTPPのような通商合意に対しては賛成である。2016年のギャラップによる世論調査によると58%のアメリカ人が外国との貿易が経済成長の機会と捉えており、脅威とみなしているのは34%である(抄訳続く)。
◆底辺層からの視点
ではなぜ今、貿易がこれほどまでに攻撃されるのか? 一番深刻な理由は労働者たちが失業し、借金を抱えていることになった不況の後遺症にまだ苦しめられているからだ。米国は2007年から2009年の間、900万近い雇用を失い、失業率が10%に押し上げられた。7年を経過して経済はまだ破滅的な打撃からの回復途上にある。実質賃金の伸びも横ばいである。多くのアメリカ人にとって不況はまだ終わっていないのだ。
このように、貿易は広い大衆支持を得ていても、さまざまな世論調査によれば無視できないほどの少数派選挙民-約3分の1の有権者-は断固反対している。反対者たちは民主党、共和両党のどちらの支持者にも含まれ、その人たちに共通するのは景気変動に最も影響されやすい低所得のブルーカラー労働者であること。彼らはここ数十年にわたって、経済的エリートと政治的支配層が自分たちのことだけしか考えてこなかったと思っている。
彼らの目には、政府は金融危機の際、銀行救済はしたが自分たちのことは放っておかれたと映った。また、民主、共和のいずれの政党も彼らの不安を真剣に捉えず職を奪うことになった通商協定を結んだ、と考えるのである。民主党を支持した労働組合はビル・クリントン大統領に裏切られたと考える。大統領は1993年、彼らの反対を押し切ってNAFTA法案の議会通過を確保し、2000年には中国との通商関係を正常化した。
一方、共和党支持のブルーカラー選挙民たちは1992年、パット・ブキャナン、ロス・ペロールらの反NAFTA協定を前面に出した選挙運動を展開した。彼らはジョージ・W・ブッシュ大統領に裏切られた、と感じた。ブッシュ大統領は多くの二国間協定案を議会通過させた。そして、彼らは今トランプ氏を支持しているのである。この階層の人々は貿易がアメリカ人の職を奪い、中間層を圧迫し、賃金を抑圧している、と主張するのである。
実態はもっと複雑である。製造業の雇用喪失の背景にある最も重要なファクターは貿易などではない。主犯は技術革新である。自動化を含む新技術は巨大な生産性と効率性向上をもたらし、多くのブルーカラー作業を陳腐化した。この分野の研究では代表的なボール州立大学(インディアナ州)の調査によれば、製造業で560万の職が失われた2000年から2010年の間についていえば、その失業原因の85%以上が生産性向上によるものだとしている。一方で貿易の寄与率は、衣料と家具の製造業においては40%と高いものの、全体では13%しか失業の原因となっていない。
また、3人のエコノミスト、オーター、ドーン、ハンソン氏による共同研究も同様な示唆を伴う結果となった。彼らの調査によれば2000年から2007年の間に、中国からの輸入が98万2千人の製造業従事者の職を奪ったという。ほぼ10年間で100万近い失業者をつくり出したことは見逃せる事実ではない。しかし、(同期間において)米国の労働市場全体では毎月170万人もの失業者が出たことも同時に想起すれば、より大きな視点で見るべきである。このような調査では、輸入により安価なモノが手に入る消費者利益を数字で評価していない(抄訳続く)。
◆正しい解決と間違った解決
真の問題は貿易ではなく、国内経済における機会と社会的な上昇移動性とが減退していることである。米国は高度に熟練した労働者と強固な技術力基盤を誇っているといっても、いまだ、大学教育は3人に1人しか受けていない。過去10年間で、高卒以上の学歴がないアメリカ人の3分の2が製造業、建設業そして軍隊に職を見つけられないことが珍しくない。これらの経済セクターは従来限られた教育しか受けていない人の多くを受け入れ、生産的な仕事を与え、スキル習得を助けてきた。
しかし、そのような機会は近時消滅してきた。テクノロジーが大規模雇用の供給源としての製造業を縮ませた。そして、米国の製造業は従来と比べてうんと少ない数の労働者を使っているにもかかわらず産出量が伸び続けているのである。建設業需要は住宅バブルのはじけからいまだ回復していない。そして、軍隊は体型と知力について厳しい基準を課しているため80%の応募者を不採用としている。
これらのセクターに相当する規模の高卒者への雇用機会を与えている分野はない。これはアメリカ社会の大きな問題である。大学卒の失業率は2.4%であるが、高校を卒業していない人は7.4%である。そして仕事はしたいがいったん仕事に就いて挫折した者まで含めればその数字はもっと高くなる。それらの人々は、もう一度言うが主因は貿易のせいではなく、経済の構造変化のためである。それらの労働者を支援し、経済がすべての人々に利益を与えられるようにするのが喫緊の優先課題として認識されなければならない。
貿易が失業の根本的問題でないため保護主義も解決処方でありえない。貿易による効用は抽象的だが、貿易規制の対価は具体的である。例えば、米国の衣料産業には約13万5千人の労働者が従事している一方で4500万人以上のアメリカ国民が、いわゆる貧困レベル以下で生きている。衣料産業に従事する13万5千人のうちの低給与労働者を救うためとはいえ、爪で火をともす暮らしの4500万人の低所得アメリカ人が(そしてすべての人が同様に)買う衣料の価格が高騰することを本当に正当化できるのだろうか?
貿易協定を破棄するのと同様に特定の国だけを罰することも失敗に終わるであろう。米国がトランプ氏の提案のように中国からの輸入品に45%の関税をかけて横っ面を張るような挙に及んでも、米国企業が従来以上の衣料品や履物を米国内で生産し始める訳ではなく、また同じく消費者用電化製品を国内で組み立て始めることにもならない。
中国からはモノが入らなくなるとしても、ベトナムのような他のアジアの低賃金の開発途上国での生産にシフトするだけである。それはかって中国に限定して行った通商制裁からの教訓である。2009年、オバマ政権がアメリカ人労働者の雇用を守ろうとして中国産の自動車タイヤに関税を課した際、主にインドネシア、タイのサプライヤーたちが、できた隙間を埋めただけで米国の生産あるいは雇用にほとんど効果がなかった。
そして仮にもし、そのような抜け穴をふさぐべく外国製品すべてに制限を課せば無関係の第三者が、とばっちりを受けることになる。すなわちカナダ、日本、メキシコ、EU(欧州連合)ほかの国々である。そうなれば、どれだけの数の国々が米国をWTO(世界貿易機関)に提訴する手続きを踏むことになるか想像がつかず、製造品の輸出に頼る何百万人ものアメリカ人の暮らしを脅かすことになるであろう。
貿易戦争は勝者を生まない。1930年制定の(農産物など2万品目に平均50%に及ぶ関税引き上げを行った)スムート・ホーリー法、と口に出すだけで忌まわしい世界大恐慌の記憶がよみがえるゆえんである。保護主義が労働者をめぐる多くの経済問題に対し、効果のない非生産的な処方であるなら、輸入製品により失業した人々を支援する狙いの既存の施策もまた役に立っていない。
1960年に始まった連邦政府の施策である通商に関する調整支援制度(Trade Adjustment Assistance)は支給期間が延長された失業給付と再訓練プログラムにより構成されている。しかし、これらの恩恵は輸入品により職を失った人々だけに限って与えられているため、技術革新のために失業している何百万もの人たちには届いていない。さらに言えば当該制度は誤ったインセンティブを内包している。失業補償給付の期間は長くなるだけ労働者は仕事から離れている間の職務経験を失うことになるので再就職できる見込みが低くなっていく。そして、再訓練の考え自体は良いことであるが―元繊維産業従事の失業者を看護師とか技術者になるように支援すること―実際の制度は失敗であった。
米労働省が2012年に外部委託した調査結果によれば、政府による再訓練プログラムは社会にとって参加者1人当たりにつき5万4千ドルの損失を招いたとしている。その内訳はこのプログラムに参加することなく職を得た元失業者たちが調査対象期間である4年の間に稼いだ収入の平均は参加者の収入に比べて2万7千ドル多かった事実。そして政府がこのプログラムに対し参加者1人当たり2万7千ドルの費用を払っていることによる。悲しいことに、この制度は害あって益なし、と考えられる。
それよりも低所得労働者にとって良い方策は勤労所得控除(EITC=Earned Income Tax Credit)を拡張することである。EITCは労働省が輸入品により不利な目に遭っていると認定する人だけでなくすべての低所得世帯の労働者の所得を補填することができる。さらに、EITCは(職に就いている状態で、つまり所得税納付義務が発生して初めて効果が発揮されるもので、働くことへの動機づけがある点において)雇用との結びつきがあり、対象者が経験を積み、スキルを磨くことができるよう労働市場にとどまるインセンティブを与えるものである。
EITCを十分拡張することで、すべてのアメリカ人が時間当たり15ドル以上稼げることを確かなものにする。そしてこの方策は最低賃金引き上げが引き起こすかもしれない失業を伴うことなく効力を発する。すべての支援プログラムのうちでEITCは、オバマ政権と共和党下院議長のポール・ライアン氏の双方により最も支持されている支援策である。EITCを拡張することは万能薬とならないかも知れないが、中間層に這(は)い上がろうとする人々への所得支援にはなる。
EITCを拡張するについての主な不満はコストである。しかし、労働市場から退出し、そしてその多くが障碍者年金をもらい始める労働者を支えるための費用を納税者たちは今でもすでに負担しているのである。障がい者年金は労働市場から落ちこぼれ、働かずにいることで生涯支給される。近年費用が膨れ上がっているこのような国家制度の代わりに、EITCを通していつかは彼らも納税する側に立たせることができるという希望のもと、人々を職にとどめるよう支援するのが良策である(抄訳続く)。
◆自由貿易の将来
貿易の経済効用を証明するあらゆる証拠があるにもかかわらず、今年の大統領候補の多くがそれを悪魔であるかのように訴えている。
サンダース候補は、労働条件が高く米国が相当な貿易収支黒字を稼ぐ相手であるオーストラリアとの通商条約を含めてあらゆる貿易の取り決めに反対している。トランプ氏は、自由貿易そのものは信ずるが米国が貿易相手国に常に交渉で不利な目に遭わされてきたので、中国には45%の関税を課すべきと脅している。そして、まさにTPPが取り除こうとする保護主義に基づく日本の農産物輸入障壁をトランプ氏が攻撃しているにもかかわらず、彼はTPPに反対するのである。
一方で、クリントン氏のTPPへの姿勢も選挙戦が進むにつれ硬化させている。経済学者たちのTPPへの反応はおおむね穏やかな支持か何も意見を言わないかのどちらかであるが、何人かの学者はTTPを非難さえする。自由貿易主義者たちは今こそ声高に、より多くの通商協定締結に向け主張し関与すべきであろう。実際、他の国々の貿易障壁はたいてい米国のものより高いので、協定を結ぶことにより米国製品の輸出に対し外国の市場を開かせるメリットは普通、相手国よりも米国にとっての方がより大きい。
それは、実は今回の大統領選挙の運動でさんざんやり玉に挙げられているNAFTAについてもあてはまる。実は、NAFTAは経済・外交政策上の大きな成功例である。1994年に発効以来米国とメキシコの二国間貿易は急増した。メキシコ製品がアメリカ市場に氾濫(はんらん)することになると散々恐れられたが、メキシコからの輸入総額の40%相当がもともと米国で作られた部品の価格であることを銘記すべきである。例をあげれば、米国産パーツをメキシコで組み立てられる自動車部品である。一般的な二国間貿易収支の計測値だけにとらわれると大きく間違う実例がまさにこのような部品貿易である。
NAFTAはまた、国境に接する各州の移民問題のプレッシャーを軽減するだけでなく、米国製品およびサービスに対する需要を増やすことにつながるメキシコの繫栄と民主的発展への米国の長期的な政治、外交および経済的利益の追求を可能にするものである。一部批評家たちが責めたような第三世界の搾取(さくしゅ)とは全く異なり、NAFTAは今ではメキシコの世帯のほぼ半数近くを占める中間所得層を創りだした。そして2009年以来、米国からメキシコへの帰国者の数が逆の入国者を上回るようになった。
NAFTAが発効してからの20年の間にメキシコは反米感情に満ちた旧態依然の親分子分関係がはびこる一党支配国家から、総じて親米的な大衆を擁し形式はともかく機能的には多党政治民主主義といえる体制へと変貌(へんぼう)を遂げた。近年、麻薬戦争に苦悩してはいるが(これはメキシコというよりアメリカの問題が隣に漏れ出したものであるが)総体的に見れば一部NAFTAのお陰もあり、上り調子で繁栄しているといえよう。
NAFTAを反故(ほご)にしてしまえばその被害は甚大に及ぶであろう。外国との関係において米国は信頼できないパートナーであると証明することになる。そして経済の面で、協定を破棄することで北米全体での生産のためのサプライチェーンを損ない、メキシコ、アメリカ両国を害することになるであろう。それはまたアジアとの貿易にシフトさせ、米国の製造業に雇用を取り戻させることもなく、国境での不法移民問題を深刻にするだけである。
アメリカの一般国民は次のことを理解しているようである。すなわち、2015年のギャラップによる世論調査によれば、NAFTAあるいは中米自由貿易協定(the Central American Free Trade Agreement)から離脱することが米国を利する非常に効果的な手段と考える回答者は全体のわずか18%に過ぎなかった。米国にとってやさしい選択の一つは、オバマ大統領が最初の任期でそうしたように、いったん間をおいて新規の通商協定の交渉を停止することであろう。しかし、このアプローチの問題点は、他の国々が様々な協定交渉を続けるのに米国だけが置き去りにされ、そして米国の輸出が競合国に対し不利になることである。
その兆しはすでに表れている。2012年、自動車メーカーのアウディはテネシー州ではなくメキシコ南東部を新製造拠点として選んだ。というのは、メキシコは対EUを含め多くの国と自由貿易協定を結んでいるおかげでテネシーでの生産と比較した場合、輸出車1台当たり何千ドルもコストを下げることができるためである。オーストラリアは中国及び日本と条約締結にこぎつけ、彼らの農業生産者に両国の市場への優先的アクセスを可能にした結果、アメリカの牛肉輸出シェアは侵食されたのである。
米国政府がTPP不加盟を選択すれば21世紀における国際通商のルール制定への参画機会を放棄することになる。GATT(関税及び貿易に関する一般協定)により取りまとめられた最後の国際貿易協定であるウルグアイ・ラウンドは1994年に終結した。それはインターネットが完全に普及する以前のことである。今、米国のハイテク企業や他の輸出業者たちは透明性に欠け、自国市場へのアクセスを阻害する外国の規制に向き合わねばならない。
そうするなか、他の国々はすでに通商協定締結に向けて動き出しており、ダイナミックに伸びているアジア太平洋地域における米国の輸出者の市場シェアをますます奪っているのである。
TPPに加盟しないでいても米国に良い仕事が創り出されることにつながるわけではない。そして、そのことを否定するポピュリストたちの主張にもかかわらず、投資家と政府間の紛争解決及び知的財産権をめぐるTPPの条項は適切なものである。(1990年代の初めに懸念が誇張されたが結局根拠がないことが証明されたWTOの条項と同様に) 米国はTPP法案を議会通過させ、貿易相手国とのほかの協定締結に向けて交渉を継続すべきである。
比較的少数の似た考えを共有する複数国間のいわゆる多国間貿易協定は貿易障壁を減らすことにより、さらに利益を確保するために可能な唯一の手段を与えるものである。現在の立法府の空気はブッシュ政権時代に目指したような小規模の二国間協定の時代は終わったとするのが優勢である。そして、WTOのドーハ・ラウンドが崩壊したことは巨大な多国間条約交渉の終結を意味する。
自由貿易というものは常に受容されにくいものである。しかし、2016年大統領選挙戦での反自由貿易のレトリックは議会における通商支持たちをしても新しい協定を支持するのを難しくしている。過去の経験から政府が貿易障壁軽減に向けて真剣に動き出すのは重大な通商問題が発生した時のみであることがわかる。すなわち、米国の輸出業者が外国市場においてひどい差別に瀕した時である。それは1947年にGATTを形成した時であり、1960年代に通商交渉のケネディ・ラウンドを始めた際であり、そして1980年代のウルグアイ・ラウンドを始めたのもそれに該当する。
米国は主要な外国市場から締め出される痛みを感じるようになる時には、グローバルな通商に関するそのリーダーシップは衰えてしまうであろう。それこそ、今回の大統領選がもたらす災禍と言えよう。(以上、抄訳終わり)
※今回紹介した英文記事へのリンク
https://www.foreignaffairs.com/articles/2016-06-13/truth-about-trade
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