引地達也(ひきち・たつや)
コミュニケーション基礎研究会代表、就労移行支援事業所シャローム所沢代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。
◆就労移行支援がスタート
精神疾患者や精神障がい者に対し、就職に向けたサポートを行う「就労移行支援事業所」であるシャローム所沢が8月3日に埼玉県所沢市の西武線所沢駅近くに開設された。これは私が現場代表を務める施設だから、正確には「開設した」だが、やはり開設までは多くの方とのつながりと、多くの方の手助けがあってこそ開設にこぎつけられたのであり、感謝とともに「開設させていただいた」というのが、最もしっくりとくる。
この事業所は、「就職」という形で社会に出ていこうという意欲を持ちながらも、知的障がいや疾患など阻害要因を持っている人たちに、コミュニケーション能力やビジネスマナー、パソコンスキルなどを学習してもらい、採用に向けて企業にアピールできるようにしていく場である。私の専門領域であるコミュニケーションを使って、そのような人を活(い)かせるのか、社会で役立つのかが問われるから、使命感と責任感はずしりと重い。
私としては、記者や社会活動、そして現在の研究活動など今まで取り組んできた、または取り組んでいることの一環だから、必要なことを考え全力で行う気持ちは変わらない。しかし、周辺で働くスタッフや関係者が、私が考えるコミュニケーションについて、就労支援に役立つのではないか、と期待と信頼を寄せてくれている分、一人でも多くの人に精神的な苦しみから脱してもらいたいという思いとともに、脱しさせる、という成果を強く意識しなければならない。
この事業は、障害者手帳や医師の診断書などの証明書をもとに、就職までのプログラムを作成し、役所言葉でいう「訓練」を行い、所得が少ない人は個人負担はなく、公的資金が投入される国委託の都道府県認可事業だから、好き勝手なことはできない。対象者が目標を見据えて、社会で活かされるための橋渡しの役割なのである。その役割をどのようなメソッドで行うかは全国どの事業所も模索しているようだが、シャローム所沢が追求していくのは、その人の個性にあったコミュニケーション向上に活路を見いだしていきたいと考えている。
◆理解浅い社会
「心が壊れた」。この表現を聞くようになったのは、社会人になってからだった。1990年代中ごろ。バブル崩壊で就職が困難になった時期、日本の自殺者が経済的な理由により男性の自殺が急増し年間3万人を突破した時代である。私が就職した時期で、新聞社入社2年目の初めての人事異動は、「心が壊れた」人が地方勤務に耐えられず、本社に呼び寄せるのに伴うものだった。その後の通信社記者時代にも、コンサルティング会社時代にも、「心が壊れた」と言われ、就業が困難となった人は少なくなかった。周辺で「あいつメンタルやられちゃったよ」という発言をよく聞いたが、そこには「脱落した」というニュアンスも含まれていた。
それは抗鬱(うつ)剤を多用する米国のまねごとから始まり、「心の病気」として認識されるようになったが、いまだに「精神疾患」へのまなざしは偏見が多い、ましてや精神障がい者へは、「関わらない」雰囲気が漂う。
今回、ビルのフロアを賃貸し事業所を開所したが、事業所を決めるまでは、「障がい者が出入りする」ことでどれだけのビルオーナーから断られただろう。「心の病気」という表現が浸透しても、自分とつながる問題として共有できる社会にはなっていない、障害者は「問題を起こしそう」というイメージが残り、借り主は静かで問題のない人、が相場にあっているということなのだろう。これも風潮であり、社会の見識を示すものであると、記憶に刻みたい。
この見識には少し失望感を伴う。東日本大震災で再認識した「つながり」を忘れた姿でもあるからだ。このコラムで何度も書いているように、私は東日本大震災後から「小さな避難所と集落をまわるボラティア」と題した被災地での支援活動を行い、震災の悲劇や再興する勇気を、後世や広く社会に伝えようと歌曲として、それを表現し展開する活動を行ってきた。その活動で、最も支援が必要な場所が宮城県気仙沼市本吉町の知的障がいのある子どもを持つ親の会であるとの認識から、支援を続けている。
◆落ち込んだ人へ
私の活動は、震災で大切な人を失ったり、大事な何かを喪失したりした人の精神的ショックを和らげようと試み、知的障がい者の問題を世間に広めて、支援環境の醸成を行うなど、自分が思う最たる弱者への支援が基本であり、気持ちとして、「落ち込んだ心を何とかしたい」という思いによるものである。
ただし、この「落ち込んだ」気持ちは何も災害時に限ったことではない。被災地に限られてことでもない。人がひしめき、情報が行き交う都会でこそ、精神的に大きな重圧からつぶされている人がいる。つぶされまいと必死に耐えている人がいる。そして、それらを支えようとする人はあまり多くはない。だから、福祉事業でも比較的新規で参加できる就労移行支援事業にコミュニケーション向上で切り込み、新しい風を吹かせようと、今現場に立っているわけである。
「心」を扱う事業だから、覚悟が必要だが、こんな事業が出来るのは、人の可能性を信じているからなのだろうと、自分を振り返ってみる。何かのきっかけで人は壊れるかもしれないが、何かのきっかけで修復されたり、よくなったりするものだと。私のコミュニケーションに関する対応が、有効なツールになるかは未知数だが、これまでの個別相談や震災などの活動で手ごたえはある。
それを確実にするためにも、事業所は明るく、楽しげな雰囲気を演出しようとカラフルな椅子や、壁にはポスター画家レイモンド・サビニャックのポスター数点を散りばめた。シャローム所沢の挑戦がはじまった。と書けば、コラム風で客観的だが、これは私の挑戦でもあるので、はじめた。というのが、私の覚悟も含めて正しいのだろう。
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