古川弘介(ふるかわ・こうすけ)
海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。
◆本稿の狙い
IT革命と聞いて、少し前まではIoTやIndustry 4.0を思い浮かべたが、最近ではAIやブロックチェーン、プラットフォーマーという新語が続々登場し、それらが社会に与える影響が議論されるようになった。経済は世界的に大きく変貌(へんぼう)しつつあるが、それは単なる技術の進歩にとどまらないようだ。社会を変革しつつあるのだ。ではどのように変わるのであろうか。その疑問に対する答えを探して野口悠紀雄(*注1)の近著『「産業革命以前」の未来へ─ビジネス・モデルの大転換が始まる』を読んだ。
書名にある「産業革命以前」とは、「現在進行中のIT革命によるビジネス・モデルの大転換によって産業革命以前の大航海時代に戻った」という意味だ。この「ビジネス・モデルの大転換」とは何かを第一の論点とする。次にこうした歴史的大転換は主に米国と中国で先行しており、日本は周回遅れであること、遅れの原因は戦時体制の遺構である「日本型企業」の閉鎖性にあり、社会の仕組みを変えて人材の転換を進めるべきという野口の年来の主張の是非を第二の論点としたい。
野口は『1940年体制―さらば戦時経済』(1995年)(*注2)において、戦時体制の遺構が日本の長期停滞の原因だとした。本書は、その後の20年余で世界の経済・社会環境は大きく変化したが、日本はそれに対応できず大きく立ち遅れたままだと警告するのである。本稿では、まず第一と第二の論点について検討し、次に野口の見解への反論を試みたい。それは、資本主義の変化がわたしたちの生活にどのような影響を与えるのかについて考えることでもある。
◆第一の論点:ビジネス・モデルの大転換とは何か
要約すると、『現在世界で起きていることは「組織から個人へ、集権から分権へ、垂直統合から水平統合へ」というビジネス・モデルの大転換であり、産業革命以前の冒険的起業家精神に溢(あふ)れた「大航海の時代」に酷似した状況だ。』ということになる。企業組織の歴史的変化が起こっており、変革の時代に乗り出すには起業家精神が不可欠だという主張である。本書で言う歴史的変化とは具体的に何かを以下見ていきたい。
●企業業組織の歴史的変化
18世紀半ばに起きた産業革命によって、経済組織の構造や人間の労働が大きく変わった。企業は大組織の時代となり、人間労働においては雇用されて働く組織人としての働き方が中心となった(「組織人の時代」)。事業の「垂直統合化」が進み、設計、製造、販売などの業務を一つの企業内に垂直的に統合し、生産プロセスを統一的にコントロールした。ビジネス・モデルの課題は大規模化、組織化、効率化であった。日本の大企業はこうした産業革命モデルの優等生であった。
こうした時代は約200年続いたが、地理的フロンティアが尽きはじめて資本主義の限界が懸念されるようになった。そこに新しいフロンティアとして情報処理・通信が登場したのである。IT技術の急速な発展を背景に急成長を続ける情報処理・通信産業は、組織面では垂直統合型より技術変化に対応して素早く動ける水平統合型(市場を通じた分業)が適している。また、ビジネス・モデルはプラットフォームを提供して顧客を集める形が大きな成功を収めている。プラットフォームとは商品・サービス・情報を提供する「場」を指す。収益源は、プラットフォームの提供時の広告課金であるが、今後はそれによって集めた膨大な情報の提供による収益拡大への期待が高まっている。日本では、IT化はIoTに代表される生産現場のIT活用による省力化、効率化の一層の追求という生産側のイメージが強いが、プラットフォーム構築によって、消費者に直接アクセスできる場を形成して消費市場を支配しようという新しいモデルが主役になったのである。
IT革命の現在の勝者は、GAFA(ガーファ)である。GAFAとは、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの4社を指し、世界の時価総額上位6社に入る巨大企業である(2018年9月末)。GAFAに続くユニコーン(非上場で時価総額推定1000億円以上)企業も米国や中国で続々誕生しており、将来GAFAの優位を脅かす可能性もある。野口はこうした状態を「規制のない自由な市場の中で経済が発展する。組織から個人へ、画一性から多様性へという変化が生じている」と積極的に評価する。
●起業家精神の存在が時代対応力を決定
本書では、新天地を発見したマゼランやコロンブスの大航海を例にとり、新しい技術の開発や応用は利益追求行為として行われたのであり、国家が公共的な目的で行うべきものではないという。そして利益追求のためにリスクを取る起業家精神こそが最も重要であり、現在の世界はそうした精神が充満していた大航海時代に似ているとする。
野口は、こうした世界の変化に対して日本は社会の仕組みが起業家精神にマイナスに作用しており、経済の停滞につながっていると主張する。本書では多くの新興企業が誕生している中国が引き合いに出される。中国は垂直統合型の国営大企業が中心であるが、一方で水平分業型企業が出現し、GAFAの中国版(BAT)(*注3)もある。また、フィンテックやブロックチェーンの急成長も見られるなど、日本は米国だけではなく中国にも負けているのだとして危機意識の喚起を促す。
◆第二の論点:日本の課題
●「1940年体制」の遺構―産業革命型モデルから抜け出せない日本
日本の戦後の経済成長は、「日本型企業」(終身雇用、年功序列賃金、企業別組合等)が垂直統合型大量生産に最適モデルであったから実現した。その結果、高度成長期の大規模化と効率化の成功体験が、「信仰」となって現在も続いている。現在の日本経済の問題は、環境変化に合わせてビジネス・モデルを変えられなかったことにある。今必要なのは、1940年体制の遺構である「日本型企業」を閉鎖型から開放型に変えることだというのが、野口の年来の主張である。具体的提案としては、短期的には、次に見るような人材の流動化、働き方改革における労働の多様化推進、中長期的には教育改革(大学の国際レベルの向上)(*注4)が重要ということになる。
●人材の流動化
大企業が成功体験を捨てるのは困難なので、新しい企業の出現が不可欠であるが、日本の起業活動率の低さ(米国11.9%、日本4.8%)が問題だとする。原因は、日本人の安全志向にあるのではなく、社会の仕組みにある。大企業の人材囲い込みをなくし、中途採用の活発化による組織間の人材の流動性を促す(例えばものつくりエンジニアから情報分野の専門家への人材転換)ことが必要だとする。
●新しい働き方の実現(働き方改革)
税制改革の重要性も指摘する。例えばフリーランサー(雇用から業務委託契約に切り替え)になると税負担が増える。現在議論されている働き方改革は、雇用という形態を前提としてその枠内での超過勤務を問題にしているだけだ。本来は雇用という形態を超えた働き方の改革を目指すべきであり、所得税の改革が必要だ(事業所得の勤労所得分に所得控除を認める)とする。
◆資本主義の変化をどうとらえるか(本書に対する反論)
●資本主義の限界説と新しいフロンティア説(第一の論点への反論)
資本主義の本質は永続的な自己増殖運動にある。この運動法則は、他社(他国)との競争に負けないように、毎年毎年利益の拡大を求めて経済活動を続けることを要請する。したがって常にフロンティアを必要とする。しかしヨーロッパで生まれた資本主義は、約200年間拡大を続け地理的・空間的限界に達しつつある。この現実を前にして、資本主義は最終局面に達しており、終焉の迎え方(ソフト・ランディング)が必要だという資本主義の終焉論がある。これに対し本書では、情報・通信という新しいフロンティアの出現で資本主義は限界を突破したと反論する。IT技術の発展には、地理的・空間的限界がないからだ。
両論を比較するために、終焉論の代表として水野和夫(*注5)の『資本主義の終焉と歴史の危機』をみてみよう。同書では、地理的フロンティアの消滅に直面した資本主義は「電子・金融」空間を新しいフロンティアにしてきたが、それも限界に達しつつある。それを表しているのが現在の歴史的な利子率の低下だという。なぜなら利子率は「長期的に見れば実物投資の利潤率」と同じだからであり、永続的な自己増殖という資本主義の本質が機能しなくなっていると言う。水野は、現代の資本主義システムは高度に発達した金融資本主義の時代に入っていると考えており、その根本の金融を表象する利子率の低下に資本主義の危機を見ていると言ってもいいだろう。
一方野口は、IT革命の進行とそれを最大限活用した規制のない自由な市場による経済成長の追求は資本主義のダイナミズムの象徴であるという信念のもとに、資本主義本来の荒々しいまでの収益獲得本能への先祖返りの時代が来たと告げているのである。しかし、野口の言うIT技術の発展に支えられた情報・通信産業という巨大なフロンティアの出現も、金融資本主義システムのもとでの資本の自己増殖運動の一つと見れば、利子率の長期的低下に限界を見いだすことになるのである。
こう考えてくると、第一の論点である新しいフロンティアの出現やビジネス・モデルの大転換は資本主義システムの運動の中に位置づけられ相対化される。それらは、資本主義の限界を打ち破る新しい資本主義と考えるのではなく、資本の自己増殖運動の中から生み出されたものと捉えるべきだ。そしてそうした動きにもかかわらず、資本主義の本質が機能しなくなっていることに問題の本質を見いだすべきなのである。
●新しい時代の否定的側面(第二の論点への反論)
本書で指摘するように、IT技術の発展は続いており、AIとブロックチェーンによって人間の働き方は大きく変わるだろうと予測されている。なぜならそれによって多くの職業が代替されるからだ(IT革命の破壊的な影響)。本書では、『自動化された組織では、人間にしかできない創造的な仕事が労働者の仕事の中心になる。最も人間らしい仕事に専念して、働く喜びを実感できるようになる。これこそ人類が長い歴史を通じて求めてきたものだ。ただし、それを享受できるのは一部の人達であり、格差の拡大は不可避である。』としている。IT革命は情報・技術の非対称性ゆえに格差を一層拡大するのである。
また、本書では米国におけるフリーランスの増加(近い将来労働人口の半分超へ)を「産業革命以前」の組織に属さない自由職人になぞらえて新しい時代の象徴とみなしている。しかし、これらは「1:99」の超格差社会の出現を意味しているだけだと思う。一部の富裕層とテクノクラートが富と情報を支配する社会は産業革命以前と言うよりも「中世」の支配層と農奴からなる社会と表現したほうが実態を表しているのではないだろうか。
野口は、より自由な市場、より自由な資本主義という視点から、十分対応できない日本を批判する。ただそれは「1940年体制」のときほど激しくない。それほど日本型企業の諸慣行の持続性は強力だったということを示しているのだと思う。戦時期に作られた「特殊」であるので変えられると言った性質のものではなく、資本主義発展という「普遍」の運動の中で日本の土壌をベースにして生まれたと考えるべきなのである。その現出の仕方が、日本的(タテ社会)なものを土台にしていたということである。したがって環境の変化に合わせて変わるべきだとしても、ただ壊せば良いというものではなく、それが社会の中で果たしていた役割(不確実性の縮減)をどういう形で継承するかを考える必要があるのだ。その意味でも働き方改革の議論の積み重ねの重要性が増しているのである。
◆おわりに
資本主義は歴史上幾度か危機を迎えたが、延命策(ケインズ政策)や新市場の開拓によって乗り切ってきた。本書がいうようにIT革命は新しいフロンティアを生み出しており、今度も大丈夫だという楽観論がある。またIT技術の進歩によって人間の職業が奪われるという懸念に対しても、同時に新しい職業も生まれるという反論がある。
確かに資本主義システムは生き残るだろう。しかし危機の本質は資本主義の持続性にあるのではなく、資本主義がもたらす格差の拡大によって社会が不安定化することにある。なぜなら資本主義は自由な活動の結果、格差を生み出しそれが耐え難くなったとき深刻な社会不安を生起する。歴史をみると、それを契機として戦争を引き起こす要因ともなってきた。本書において野口の指摘するIT技術の発展による情報・通信という新しいフロンティアの出現は事実だとしても、それによって格差拡大は加速する可能性が高いのである。野口も指摘するように、AIとブロックチェーンによって自動化された社会では、人間にしかできない創造的な仕事を享受できるのは一部の人たちであり、格差の拡大は不可避なのである。
また、IT革命の主役であるGAFAの負の側面にも注意が必要だ。歴史的に例を見ないほどの巨大企業でありながらそれに見合う雇用や税金を産まない、あるいは個人情報を含む膨大な情報を独占していることの不気味さは、抑圧的で管理主義的な資本主義の将来を暗示しているように思えるのである。またGAFAに対抗しうる勢力として中国のアリババやバイドゥを位置づけているが、これらの中国版GAFAは国家による情報統制という国家資本主義の管理主義的体質と共生して発展してきたことを忘れてはならないだろう。本書はこうした側面をあまりに軽視しているように感じる。野口は本書を「まず今起きていることの本質を正確に把握するところから出発するしかない」と結んでいる。その言葉にしたがって、本書では十分に分析されていないGAFAがもつ問題点を次稿で考えてみたい。
<参考図書>
『「産業革命以前」の未来へービジネス・モデルの大転換が始まる』(野口悠紀雄著、NHK出版新書、2018年)
『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫著、集英社新書、2014年)
(*注1)野口悠紀雄(1940〜):旧大蔵省出身の経済学者。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。
(*注2)第23回および第24回『1940年体制―さらば戦時経済』を参照いただきたい。
(*注3)バイドゥ(百度)、アリババ、テンセントの3社の頭文字をとって「BAT」と呼ばれる。
(*注4)本書では、ビジネス・モデルの開発に最も重要な人材の育成には大学の役割が大きいいにもかかわらず、日本の大学の世界ランキングが低いことを問題にしている。世界のトップ200校において、米国が62校を占めてトップで、英国(31校)、ドイツ(20校)、中国(7校)が続く。これに対して、日本は2校のみしか入っていないとしている。また、大学の工学部は伝統的な産業分野が中心であり、これをソフトウェア関連にシフトさせる必要があると指摘する。
(*注5)水野和夫(1953〜):日本大学国際関係学部教授。
※『視点を磨き、視野を広げる』過去の関連記事は以下の通り
第24回「総力戦体制」という視点:野口悠紀雄『1940年体制―さらば戦時体制』を考える(後編)
https://www.newsyataimura.com/?p=7838#more-7838
第23回「総力戦体制」という視点:野口悠紀雄『1940年体制―さらば戦時体制』を考える(前編)
https://www.newsyataimura.com/?p=7760#more-77
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