п»ї 音楽と私(下)~私にとっての音楽とは~ 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第90回 | ニュース屋台村

音楽と私(下)~私にとっての音楽とは~
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第90回

3月 24日 2017年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住19年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

2011年1月、私が参加していたKUJバンドのバンドリーダーでキーボード担当の田家健一さんが不慮のオートバイ事故で亡くなった。本当に突然のことであった。時を相前後して私も2度にわたり胃ガンを発症。幸いに早期発見で内視鏡での摘出手術で済む程度のものではあったが、私自身もあまり無理が出来ない身体となっていた。

順調に拡大するバンコック銀行日系企業部の仕事をこなすためには、銀行業務と音楽活動の二足のわらじを履くことは困難になっていた。私の身体を心配する妻との関係から、私は12年半ばにサックスを封印した。当時58歳であった私は、60歳の定年退職まではサックスをやめることを決めた。私の身勝手からKUJバンドのメンバーには大変ご迷惑をおかけした。

◆フルート

しかしサックスを封印すると、私は音楽抜きの生活に耐えられなくなってしまった。毎週末にサックスの練習に費やしていた時間が、サックスを封印したことによりぽっかり空いてしまったのである。まるで音楽中毒者のようである。こんな状態で迎えた12年10月の日本出張の際、いつもの習慣でなじみの音楽店によった。サックスをやめたため、何も買う物が無い。衝動的に中古の安いフルートを買ってしまったのである。時間つぶしのためにちょっとフルートを吹いてみようという軽い気持ちであった。

ところが、である。簡単な気持ちで買ってきたフルートが、全く音が出ない。空気が「スカスカ」とフルートの中を通り抜けるだけである。こうなったらフルートも習うしかない。幸いサックスを習っていたチョーブ・フェキット先生はフルートの教師でもある。こうして半年近くのブランクはあったが、再び音楽に接するようになる。

フルートをチョーブ先生に習い始めたが、状況はまったく改善しない。フルートの中に吹きこむ息を音に変えようと空気を強めると、息が続かない。息を続けようと空気の量を少なくすると、フルートの音が出ない。「はっきりとした音を出すこと」と「長く音を出し続けること」の矛盾する課題の解決法が見つからず、私は頭を抱え込んでしまった。

人間の声にしてもサックスにしても「声帯」や「リード」といった空気を振動させながら音を出す機能がある。トランペットはこの声帯に代わる機能を「唇の振動」で代替する。ところがフルートはこうした楽器とは音の出し方が全く違う。今まで習ってきた歌唱やサックスの教訓が全く使えないのである。

「安い中古楽器のせいで音が出ないに違いない」。1年間音出しで苦労した結果たどり着いた、いつもの私の結論である。13年秋の日本出張時には、妻に内緒で「純銀プラチナメッキ製のプロ仕様」のムラマツのフルートを手に入れた。サックスの時と全く同じである。

良い楽器を手に入れたからにはもう言い訳は通じない。練習あるのみである。しかしサックスの時にはまがりなりにも音が出た。フルートは音すら満足に出ないのである。当たり前のことであったが、ムラマツのフルートに替えても状況はいっこうに変わらない。

これ以降の3年間は「音を出すこと」への追求だけに終わった苦節の季節であった。相も変わらず週末はスタジオに終日こもりフルートの音出しをする。その音出しのやり方をメモしながら練習曲を録音する。録音内容をその場で聞き、吹き方の修正をする。夜は家に帰って静かな空間で再度録音機からフルートの音質を確認する。

「土曜日に演奏したフルートの吹き方が翌日曜日には出来なくなっている」ことなど日常茶飯事である。フルートの組み立て方、フルートのマウスピースの位置、フルートの傾け方、首の傾け方、フルートを持つ手の位置、唇のしめ方、舌の位置、舌の形、細い息を出すための唇の形、息を吹きこむ方向など、ありとあらゆることを試してみる。ほんのちょっとの違いで音が出なくなる。また、低音、中音、高音の出し方を分けるためには、息の量、息のスピード、息の圧力の違いが必要となる。この息の量、スピード、圧力の違いが何なのかわかるのに2年も経過した。

光明の見えない練習は人間のやる気をそぐ。何度フルートをやめようと思ったことであろうか? そんな時に私が思うのは「こんなに時間を費やしてきたのに、ここでやめたら全部が無駄になってしまう」という悔しさであった。フルートの中音域でようやく自分が満足できる音が出るようになったのはつい最近のことである。超高音(B以上)と超低音(D以下)についてはまだ満足出来る音は出ない。

バンコック銀行日系企業部の仕事を嶋村SVPに引き継いだため、私は今年に入りサックスを再開した。しかし週末の音楽練習はブランクのあるサックスよりフルートの時間の方が長い。ここまできたらどうしてもフルートで良い音を出したいという執念のほうが勝っているようである。

◆音楽から学んだこと

こうしてフルートの音作りに苦しみ抜いてきた4年間であるが、フルートを始めたことにより私の歌唱とサックスも変わってきた。その要因の一つ目は、フルートの音の透明性にある。歌やサックスは音が中音域にあり、かつ音に幅がある。ところがフルートは音が高音で音幅がせまく、透明な音に特徴がある。こうした音質の特徴から、音程がずれているとすぐにわかってしまう。常に正確な音程をつくっていかなければならない。この音程は指によるキー操作だけでなく、息の出し方でも大きく影響する。演奏する前からその音のイメージを持って音出しをしないと音程がずれる。フルートを吹くうちに自然と音を出す前から音程を気にする習慣が身についてきた。こうした習慣が身につくことにより、私の歌とサックスの音程が格段に良くなった。

もう一つの変化は、音楽の表現力に関してである。私がこの4年間こんなに苦労しているにもかかわらず、フルートはサックスや歌と比べて音質が限定され、残念ながら表現力に限界がある。

フルート演奏の表現力を最大限に生かすのが、タンキング(舌の動き)とビブラートである。このタンギングとビブラートを有効に使わなければフルートの演奏は単調になってしまう。タンギングやビブラートの有効性に気が付き、歌やサックスで意識的に使うことが出来るようになり、私の音楽の幅が広がった。

ここまで書き進めてくると私の音楽水準がかなり高いように聞こえてしまうが、残念ながらまだまだの水準である。プロでさえ一つの楽器をきわめるのが難しいのに、私は歌唱、サックス、フルートとおろかにも三つの楽器にチャレンジしてしまった。更に音楽ジャンルもクラシックとジャズである。どれも中途半端な出来である。ここまで大層な御託を並べ、恥ずかしい限りである。

それでも私は悔いてはいない。こうした複数の楽器とさまざまなジャンルの音楽にチャレンジしたからこそ、私は音楽から多くのものを得たし、自分の人生の助けになったからである。最後にそうしたものについて振り返りたい。

まず第一に私が音楽に感謝することは、自信を与えてくれたことである。子供の頃から「あきっぽい」性格で何もものに出来なかった私だが、歌によって小さな自信を得ることが出来た。もし音楽をやっていなかったら多感な青春時代は劣等感だけに打ちのめされていたことであろう。そう考えると恐ろしくなる。

次に私が音楽から習ったことは「失敗することの怖さ」であろう。プロの演奏家なら一度でも舞台で失敗したら二度とお客様が来なくなる。もし十分な演奏が出来ないなら舞台に立つべきではない。そしてお客様に満足してもらえる演奏が出来るまで練習をしなければならない。舞台での緊張感を振り払うことが出来るのは練習のみである。だからこそ本当のプロは幾つになってもよく練習をする。

私は本業の仕事の関係で、年に数回は「世界経済」や「タイの政治と文化」などのテーマで講演会を行う。私はこうした講演会でも、音楽で舞台を踏むのと同じ覚悟をもって本番に臨む。つまらない講演をしたら、二度とお客様は私の講演を聞きに来ない。そのために私は出来る限りの準備を行う。同じテーマの講演会だからといって下準備を省くようなことはしない。下準備に手を抜くと必ず失敗するのである。

音楽から学んだことの三つ目は「再現の重要性」である。サックスやフルートを練習するようになってから、私は自分の練習を録音するとともにその練習で得たものをメモに残すようになった。最近ではスマートフォンのメモ機能を使ってフルートの吹き方を毎回更新している。

良い音楽は良い音がなければ成立しない。常に良い音を出すためには「良い音を出すための姿勢」「息の出し方」「口の使い方」など常に一定でなければならない。構えが一定であっても、精神が一定でなければ、動作時に狂いが生じる。常に同じ状態に戻れる「再現性」が音楽の基本である。

私はゴルフについても同様の努力をしてきた。私はここ10年近く3カ月に1回くらいしかゴルフをしない。しかしゴルフのラウンド前にはスマホに書きつけたスイングの要点を必ず確認し、お客様に迷惑を掛けない程度のスコアでラウンドする。これも「スイング再現の重要性」を認識しているからだと思っている。

私の日常生活の中にも、こうした「再現性」に根ざしたルーティーンが数多く存在する。5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)などはいつの間にか身についたルーティーンである。面談や読書後のメモ作成も自然に身についたルーティーンである。

しかしこの「再現性」だけでは音楽は十分ではない。良い音だけでは表現力として十分ではないからである。音楽は「演奏家と観客」や「演奏家同士」のコミュニケーションである。「相手に意図が伝わらなければ音楽ではない」というのが私の音楽論である。相手に意図を伝える誠意とテクニックがなければ十分なコミュニケーションとは言えない。

前述のように、私は年に数回は講演会などの講師を務める。こうした講演会では「原稿を読み上げる」講師も数多く見受ける。私に言わせれば「もっての他」である。講演者は観客に対して自分の主張を訴えかけなければ内容が観客に伝わらない。観客に意図を伝えるためには自分の言葉でしゃべるしかない。また時として相手を引きつけるテクニックも必要となる。「声の強弱」「話をするテンポ」「声質の変化」など講演を行う上でのテクニックについては、私は音楽から学んだことが多い。

◆目指す音楽

最後に私の目指している音楽について語りたい。

音楽のジャンルの中には「精神の落ち着きをもたらすイージーリスニングの曲」や「身体を動かすためのダンスミュージック」などもある。しかし私が求める音楽は「自己表現」のための音楽である。ほとんどの曲にはその曲の持つメッセージがある。歌曲は特に「歌詩」がついているため、その曲の持つメッセージが容易にわかる。歌詩やその曲の成立した背景などを理解した上で、自分なりにその曲のメッセージを理解し、私なりの理解を表現することが私の音楽である。

自分なりの理解を行う過程で、自分の価値観でのスクリーニングを行う。極端な言い方をすれば「自分にとって価値があると思われるものを他人に問いかける」ことが私の音楽である。私がつくった音楽の世界に観客が同調し追体験をしてもらうことが出来れば、私は満足な音楽がつくれたと言えるのであろう。

そして、まさにこうした音楽への関わり方こそが、私の人生の在り方そのものであると思っている。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第89回 音楽と私(中)~サックスとの出会い~
https://www.newsyataimura.com/?p=6435#more-6435

第88回 音楽と私(上) ~歌との出会い~
https://www.newsyataimura.com/?p=6397#more-6397

第46回 わが同朋の死を悼んで(2015年5月22日)
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第12回 楽に寄す(2014年1月10日)
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