小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住18年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
この8月、イタリアへ旅行に出かけ、この国の人たちの食事習慣を見て、改めて私達の食事のあり方を考えさせられた。今回は、イタリアで見て来た食事の流儀についてお話ししたい。
◆早飯と接待で向上しなかった味覚
私が若い頃言われてきたのは、「食事は早く食べる」ということであった。サラリーマンであった私の父は、「早飯早糞(ぐそ)芸のうち」と私に教えた。戦後復興の間もない中で、なるべく多くの時間を勉強や仕事に充てることで豊かさを追い求めるという、言わば時代の要請であった。否、それ以上に厳しい生活の現場があったような気がする。
高度成長期前の日本では、円型のちゃぶ台に座り、家族全員がそろって食事をする。まさに今NHKで放映されている「とと姉ちゃん」の食事風景である。父母、私と妹2人の5人家族の食事では、おかずなど取り合いとなる。勢い早く食べる者の勝ちとなる。こんな環境で育てば「早飯」は習い性となる。食事とは、生きていく上で単なる栄養補給に過ぎなかった。
大学時代に入ると、私は何人かの友人から「グルメ」だと言われた。高校時代に祖父母先に居候(いそうろう)していたが、この祖父母が大学教授をしており、弟子達からめずらしいものがいっぱい届いた。高価なものや珍味を食べたことがあるだけで、友人からはうらやましがられた。「グルメ」だと人におだてられ、悪い気はしない。しかし、本当のことを言えば、この頃の私はおいしさの味覚など持ち合わせず、単に西洋的な油っこいものが好きだったような気がする。
バンコクに赴任してからのこの15年ほどは食事に関して言えば、更に悲惨であった。お客様との営業の最前線に立ち、ほぼ毎日食事接待。日本出張の際など、1か月連続でほぼ毎日、昼食、夕食とも懐石料理などということもあった。こうお話しすると、「うらやましい」と思われる方が大半であろうが、決して人にうらやましがられる状況にはない。営業の人間にとって食事接待は真剣勝負の場。全ての意識はお客様との会話に向かっているわけであり、食事を味わう余裕など一切無い。お客様をおもてなしするために最高級の料理を注文したとしても、何の料理が配膳されていたかすら覚えていないこともしょっちゅうである。カロリーの高いものを食べ続け、体重は増えたが、味覚は向上しなかった。
2015年初めよりバンコック銀行日系企業部の統括の仕事を嶋村浩SVPに引き継いでから、私はようやく食事を楽しむ時間的余裕と精神的な余裕が出来た。過去15年間に食べに行った中で何となく記憶に残っているレストラン、料理屋などに妻と共に足を運び、個人のお金で食事をするようになり、料理のおいしさが少しずつわかるようになってきた気がする。今では馴染みのお店に行き、シェフや板前さんと話をしながら、おいしい料理に舌鼓を打つ喜びを覚えてしまった。
◆イタリア人にとっての前菜
今回のイタリア旅行では、大都会ミラノ、ハムやチーズの産地として有名なパルマ、スパゲティボロネーズの本場として有名なボローニャなど、イタリア北部のグルメの街を渡り歩いた。
特に印象的であったのが、パルマでの経験である。昼前にミラノから電車でパルマに移動した。私と妻はホテルにチェックインした後、午後2時ごろ遅めの昼食をとりに、トラッテリアと呼ばれる大衆レストランに入った。土曜日のためか、遅い時間にもかかわらず、広い屋内は家族連れやカップルで満杯である。
私達は店内の2人席に案内されたが、メニューを渡されたあと、いつまでたってもウエイターは注文を取りに来ない。絶対的にウエイターの数が足りないのである。現に我々と同じ頃に入店した客達も同様な扱いを受けている。
ところがイタリア人のお客はこうしたことに全く気にせず会話をしている。するとウエイターが近づいてきて注文をとる。ところが我々はメニューを片手にウエイターを待っているが逆にウエイターは来ない。人数が少なく忙しいウエイターは注文とりの無駄足を踏まないため、注文が決まっていなさそうな客には近づかない。どうも我々はまだ注文が決まっていない客に見えたようである。
せっかちな私はウエイターを呼びつけ、前菜としてパルマ名物の「ハムの盛り合わせ」と「地元野菜のサラダ」、メインディッシュとして当地「パルメザンチーズのリゾット(イタリア風のおかゆ)」と当地独特のパスタ「トルテッリ」を頼み、飲み物としてイタリアのスパークリングワインである「プロセッコ」を1本頼んだ。すると驚いたことにパンと前菜、それにワインがすぐに運ばれてきた。先ほどとは打って変わっての対応の早さである。この時、私は初めて気がついたのである。前菜とは時間のかかるメイン料理までワインと共に時間を稼ぐつまみであり、あらかじめ準備されている皿であるということを。
前菜とワインで少し落ち着いた私は、まわりを見回してみると、まだ多くのテーブルでゆっくりと酒と前菜を楽しんでいる。大きなテーブルには数家族が集まっている。小さな子供もいれば犬もテーブルの下で鎮座している。大人達は赤ら顔で楽しそうに会話をしている。こうした家族の集まりが幾つものテーブルで見られる。
◆会話と料理の双方を楽しむ
イタリア人にとって食事とは会話と料理の双方を楽しむものだろう。誰一人としてスマートフォンをいじっているような人はいない。料理だっておそろしくぜいたくなものだ。この後かなり時間がかかって出てきたメインディッシュは、素材のチーズやパスタのうまみを生かした絶品である。
メインディッシュを食べ終わると、ウエイターがゆっくりとデザートの注文を取りに来る。確かに日本人的感覚からすればウエイターの数は少ないかもしれない。しかしウエイターに追い立てられるように注文することが果たして良いことなのだろうか? 家族や仲間と共にゆっくりと料理の品評をし、メニューを選ぶ余裕があっても良いのではないだろうか?
その日の夜はホテルのそばのバールに出かけた。バールは「BAR」と書き、英語読みではバーのことになるが、夜になって酒を専門で出す日本のバーとは異なる。イタリア人は元来コーヒー好きで一日に何杯もエスプレッソを飲むが、座ってエスプレッソを飲む場所がカフェ、立ち飲みをするところがバールと呼ばれた。
現在イタリアではカフェとバールに大きな違いは無いようで、日本の喫茶店に近いものであるが、夕方以降はアルコールも提供する。音楽好きで美食家のイタリア人はコンサートが終わる午後9時過ぎから夕食をとるが、コンサート前に小腹がすくとバールに立ち寄り、カクテルとつまみを食べる。こうした習慣は「アベリティーヴォ」と呼ばれ、ミラノなど北イタリア中心に発展している。近年ではつまみ食べ放題の「アベリティーヴォ」が北イタリアではやっており、正式な夕食を食べずに「アベリティーヴォ」だけで夕食を済ませる人が多くいると聞いた。
私達が泊まったパルマのホテルはもと貴族の館で、市内から10分ほど歩いた閑静な場所にある。バールに来ている人達も、近くの住人達である。さすが田舎町であるパルマでは全く東洋人を見ない。大都会ミラノでは英語が通じたが、パルマのバールでは全く英語が通じない。何とか指差しで「アベリティーヴォ」を頼んだ。飲み物はイタリアワインをベースとしたカクテルが多い。このバールは近隣住民の集会所のようだ。老人会、家族の集まり、若者のカップルなど様々な人が集まっているが一杯のカクテルをちびちびと飲みながら、店内で皆が声を掛け合っている。イタリア語で何を話しているのか我々にはわからなかったが、時々笑いの渦が店内をこだまする。
夜9時過ぎに小学生以下の子供2人を連れた家族連れがバールに入ってきた。自分たちは「アベリティーヴォ」を頼み、子供達にはサンドイッチとジュースを頼んでいる。街路にせりだしたテラス席で子供達の面倒を見ながら、自分達はカクテルを楽しんでいる。同じくテラス席にいた他の人達とも声を掛け合っている。さすがにイタリアのバールである。店内にはクラシックのオーケストラ曲がかかっている。もちろんテレビなど無い。皆が会話を楽しめる環境を整えている。イタリアでは子供が夜外出しても誰も非難しないのであろう。こんな光景は平日のミラノ、ボローニャでも散々見てきたのだから。
◆その日常に地方創生のヒント
さて振り返って日本の食事風景である。平日そろって外食に出掛ける家族がどれほどいるだろうか? 「父親が仕事だから戻ってこない」「子供が毎日塾に通っている」「小さな子供を連れてレストランに行くと周りの客から怒られる」「家で食事を作らないと周りの人から悪口を言われる」「外食は高くてぜいたく」「家族で食事に行っても何も話すことが無い」。多くの理由や言い訳が聞こえてきそうだ。
私も若いときそうだった。毎日の食事を大切にしてこなかった。でもそのことによって失ったものも多かったのではないだろうか? もっと家族の絆を強められたかもしれない。もっと友人達との絆を築けたかもしれない。そしてこれらの家族、友人達から、もっと多くのことを知り得たかもしれない。
「たそがれのイタリア」などと揶揄(やゆ)されながらも、過去に十分な遺産を築き、現在も豊かな食事の流儀を謳歌(おうか)しているイタリア人。案外こんな日常生活のあり方に地方創生のヒントがあるのかもしれない。
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