山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
「物価は政策で自在に操作できるか?」
古くて新しい命題だ。昭和の頃、政府・日銀は物価を抑えることに必死だった。平成の今は逆だ。物価を上げることが政治課題になった。
日銀の黒田東彦総裁は「2年で物価を2%上昇させる」と約束した。3年半が経ったが、上昇どころかマイナスである。
「アベノミクスのアクセルをさらに噴かす」と安倍首相は強気を崩さないが、政策の中核だった「金融の量的緩和」は、いまや店じまいの気配が漂う。
◆「出来ません」とは口が裂けても言えない
5月まで日銀の理事だった門間一夫氏は、日本記者クラブの会合で「日銀だけでできることではない。しかし日銀としてそうは言えない。物価安定の意味や金融政策の根本的な考え方をめぐって、内外の議論が進むことを期待する」と語った。
慎重な言い回しなので言っていることが分かりにくいが、平たく意訳すればこうなる。
「物価目標に達成は、日銀だけで出来る状況にありません。でも日銀は『できない』と言えない。物価の安定とはどんな状態をいうのでしょうか。2%上昇が必要なのか。金融政策は物価を自在に操れるのか。そうした根本的は問いかけが日銀の外からあがることを期待しています」
言葉にはしていないが「いまの経済環境では2%上昇は出来ない」と言っているのだ。
門間氏はみずほ総研のエクゼクティブエコノミスト。日銀では調査部門が長かったが、このような発言は、在籍中はできなかったのだろう。
「日銀の使命は『物価の安定』と法で定めれている。安定とは0%ではない。2~3%の上昇が一般的な物価安定とされてきた」
門間さんはそう語る。経済は成長するのが当たり前と考えられ、日銀は金利を操作して物価上昇を2~3%程度に安定させる。それは可能なことだ、という前提で政策は組まれてきた。
だから首相から「デフレから脱出を」と言われると、「2%目標を達成します」と約束する。「出来ません」とは口が裂けても言えない。
◆トップの方針に従い、面従腹背が増えた
実際には出来ない。なぜか? 成長力が落ちているからだ。
「潜在的成長率」という概念がある。好況でも不況でもない、一定期間をならした平時の成長率のことだ。昭和の高度成長時代は78%あった。経済が成熟した平成でも2~3%はある、と見られてきた。だが21世紀に入って成長率は概ね1%前後しかない。
門間さんは「中立金利(自然利子率)」という言葉で説明した。緩和でも引き締めでもない中立な金利。日本で中立金利はここ数年ほぼ0%だった。
「日銀がゼロ金利を導入しても、中立的金利もゼロならば景気刺激効果はない」
金利は経済の「儲ける力」を反映し、成長率とほぼ連動する。先進国はどこも低金利。儲ける力が減衰している。しかもモノはあふれている。マネーを増やしても物価が上がる状況ではない。
経済は絶えず成長し、物価は2~3%上昇を「安定」とした20世紀の常識が通じなくなったのである。
「物価安定とはどういう状態を指すのか」という門間さんの指摘は、21世紀の新たな常識を考えましょう、ということだ。
日本は人口減少に入った。2020年を過ぎればマイナス成長という。そんな時に「2%の物価高」を前提に政策を立てていいのだろうか。例えば、2%実質成長+2%物価上昇で、名目成長率4%で年金制度を構築するのでは、実態に合わなくなる。
日本に限らない。先進国はどこも低成長、低金利、低インフレの「3L」に陥っている。現実を踏まえて政策を考えるのは当然だ。
白川方明前総裁の頃から日銀はこうした問題意識を持っていた。「物価目標を決めて金融緩和しても、他の条件がそろわなければ達成できない」と白川総裁は常々言っていた。
だが「出来ない」といえば「敗北主義」「責任放棄」という声がリフレ派の学者や自民党から上がる。
リフレ派が官邸に重用され「白川のような弱気ではダメだ」という意見が強まり「金融緩和でデフレを克服します」という総裁に代える方針が安倍政権で決まった。
選ばれたのが黒田総裁と岩田規久男副総裁(リフレ派の学者)のコンビだった。
「大胆な金融緩和で物価上昇2%を約束すれば世間もその気になり、カネを遣う」というのが黒田理論だった。人々の期待に働きかける政策が始まった。トップの方針に従うのが組織の原則。黒田の考えが日銀の方針となった。
上司が変われば部下の考えが変わるわけではない。面従腹背が増えた。「期待に働きかければ物価が上がる、とは限らない」とする白川流の考えが底流で支配的だった。
◆力を得た「白川派」
3年半が経ち、結果は明らかだ。金融緩和で物価は動かない。黒田路線は失敗し、「アベノミクスは道半ば」という首相も、政策の重点を財政出動や働き方改革に移した。空振りになった金融緩和には触れようとしない。
一方で、金融緩和の副作用が目立ってきた。マイナス金利に銀行や生命保険から悲鳴が上がる。政府が発行した国債の3分の1が日銀に集まり、買い入れの限度が迫っている。
日銀内部でおとなしくしていた「白川派」が力を得た。結果を出せない「黒田派」は苦しい。さりとて「失敗でした」とは言えない。そこで日銀の金融政策はますます分かりにくくなった。
「物価上昇2%」の看板は降ろさないが、約束ではなく努力目標になった。政策手段は年間80兆円という「マネー量」ではなく「長期金利0%」といった金利水準の操作へと代わった。
「黒」のメンツを立てながら「白」へと政策を移したのである。
日銀内部の「白黒論争」は、単なる派閥抗争ではない。20世紀の常識が21世紀の現実に合わなくなったことから起きている。
思えば「右肩上がり」がすべての矛盾を覆い隠してきたのが20世紀だった。これからは成長に頼れない。成熟経済の果実をどう分配するか、知恵が問われる。
政策担当者だけの問題ではないだろう。メディアも庶民も、頭のスイッチを切り替える時代が訪れたようだ。
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