山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹
「北京駐在になりますが、家族は日本に残します」。赴任が決まった知人は、迷ったすえ一人で行くことに決めた。対日感情の悪化は気になっていたが、近頃話題のPM2.5が決定打になった。このごろそんな人が増えているらしい。
ニュースで流れる白く霞んだビル群、薄ぼんやりとした太陽。そんな映像を目にして「子供は連れていけないな」と思ったという。
資源の浪費を厭わない一足飛びの成長、自転車の列がクルマに変わった大渋滞。躍進する経済の陰で、凄まじいことが起きているのではと想像する人は少なくない。
「北京は住めるところではない」という声さえ聞くこのごろだが、北京から来た友人の記者は「日本人の過剰反応ですよ」と笑う。
彼は中国政府の発表を信用してはいない。そこでアメリカ大使館の駐在医務官に、北京の大気汚染のレベルはどれほどなのか聞いたという。
「酷い時でタバコを一日2本吸う程度、という答えでした。毎日ではないし、このぐらいなら騒ぐことないでしょ」
老人から赤ン坊まで2本のタバコを一日に吸わされるなんて大変なこと、と考えるか、その程度かと納得するかは人それぞれ。中国に好印象を持てない人は「やはりとんでもないことになっている」と反応しがちだが、中国人は激変する暮らしの中で、大気汚染それだけを取り出して問題にしてはいないのかもしれない。
日本の高度成長期もそうだった。家にテレビが来たり、洗濯機が回り出したり、マイカーが視野に入ったりしたころ、ふと気付くと空気まで酷いことになっていた。硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)が騒がれたが多くの人の関心はより豊かな暮らしだった。
外から見ると「そんなになって大丈夫?」と思える変化でも、日常ではさして気にならないことがよくある。
◆麻生副首相の問題発言、内外で温度差
憲法改正問題で、麻生太郎副首相が講演で「ある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。あの手口に学んだらどうか」と発言した。ユダヤ人団体のサイモン・ウィーゼンタール協会が真正面から批判するなど国際的な問題になった。
日本では「麻生さんがまたやってくれた」「ナチスを例にとったのは間違いだ」「誤解されかねない発言」というのが大方の反応だ。
麻生氏はナチスを肯定するわけがない、自由な日本が軍国主義に逆戻りすることなどあり得ない、というのが多くの日本人の認識だろう。そうした前提の上で、とんちんかんな発言をする政治家に国民はガッカリしている。お粗末な政治家が国政の中心にいることを嘆く、という程度の問題とされている。
外から見る目は違う。従軍慰安婦を肯定するような橋下徹大阪市長の発言、村山談話や河野談話に異議を唱える自民党の議員、日本が大陸で進めた満州国建設や軍事進攻を「侵略かどうか分からない」と国会で語る安倍首相。その文脈に「ナチスの手口に学べ」が重なれば「日本はやっぱりおかしいぞ」と疑念が広がるのもうなずける。
白く霞む北京の街並みを日本人が「やばいな」と感ずるのと同じように、日本に暗雲が広がるのを近隣諸国は感じ取っているのではないか。
◆米国は日本の集団的自衛権を求めていない
そこに集団的自衛権が持ち出された。安倍首相は憲法解釈を変えて集団的自衛権を行使できるようにしよう、としている。
「平和憲法のもとでは集団的自衛権は行使できない」というのが政府の憲法解釈だった。解釈を担当するのは内閣法制局である。長官の首をすげ替えて解釈を180度変えようとしている、とメディアは伝えている。「行使できない」という解釈を取ってきた長官を外し、「行使できる」という論者を充てる、というのだ。
安倍首相は憲法9条を変えて国防軍を創設したい考えだ。自民党の憲法改正草案に書かれている。だが憲法改正は簡単ではない。そこで憲法解釈で実質的な改憲を行う。それが集団的自衛権だ。同盟国である米国の軍隊が攻撃されたら日本への攻撃とみなし戦争に参加できる。日本は戦力を行使できるのは国土の防衛に限る、としていた一線を踏み越え、世界のどこでも戦えるようにする。法制局長官を交替させ、解釈で「専守防衛」を外してしまおう、というのだ。
「衆参のねじれがなくなり、自民党が両院で多数を占めたのだから、やりたい放題だね」というのんきな見方も日本にはあるが、よその国はどう見るだろうか。
「米国も日本は何を考えているのか、と思っているでしょうね」と言うのは、かつてイラクへの自衛隊派遣の指揮をとった元防衛官僚の柳沢協二氏だ。防衛庁の中枢を歩み、小泉政権の官邸で官房副長官補として防衛政策を担当した人物である。
「ブッシュ政権は日本がイラクで米国と一緒に戦うことを求めた。オバマ大統領はイラク・アフガンから撤退を決め、日本と一緒に世界で戦争する必要性がなくなった。今では集団的自衛権を求めてはいない。むしろ日本が尖閣列島で中国と小競り合いを起こし、紛争に巻き込まれる事態を米国は心配している。米中戦わず、は両国の基本方針なのに、尖閣で日中が衝突することは米国にとって迷惑以外のなにものでもない」と指摘する。であるなら、小野寺防衛相が提起した「尖閣周辺で米軍が攻撃された時、日本が何もできないのは問題だ」という集団的自衛権の必要性は空論となってしまう。
◆ナショナリズムむき出しの安倍政権、米政府は違和感
「オバマ政権の安倍首相への評価は3月に訪米した時の冷遇に表れている。歓迎晩さん会も共同記者会見もなかった。中国との緊張を煽る安部さんの姿勢が問題にされた。事前のやり取りで米国は、自民党が総選挙の公約に掲げた『尖閣に恒久施設建設』を絶対にするなと念を押したといわれています」
外務省の有力OBの一人は匿名を条件にそう語る。安倍外交はブッシュ時代の日米関係を引きずっているが、オバマ外交は劇的に変わった。財政と経済の立て直しを優先するオバマ大統領は中国との友好を重視し、日本に軽はずみな行動を取らないことを求めている。
「日米同盟」を叫びながら、米国が望んでもいないナショナリズムをむき出しにする安倍政権。ホワイトハウスも違和感を覚えているようだ。
8月15日が近付くが、日本はあの戦争を始めたことへの反省を希薄化させている。歴史認識を問題にするのは韓国や中国だけではない。
ロサンゼルス近郊に従軍慰安婦像が建設された。日本では韓国ロビーの策動のように伝えられるが、過去の過ちを認めたがらない日本へのいらだちが米国の有識者に広がっていることが背景にある。米議会で慰安婦問題の先頭に立っているのは日系の議員たちだ。
日本にいると気付かない異変も、外からはくっきり見えるのかもしれない。
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