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Archive for: 12月, 2013

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こんな企業は海外進出の資格がない
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第10回

12月 13日 2013年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住15年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

タイは今や日本にとって一番近い国のようである。韓国や中国の方が地理的には近くても、気持ちの面ではタイが最も近い国だと思われている。確かにタイから日本への観光客は急増中だ。最近では、日本の地方の中規模都市に行ってもタイレストランを見かける。

しかし、今の日本人がどれくらいタイのことを知っているだろうか? 「国民に慕われている王様がいる」「首相は美人の女性」「多くの日系企業がタイに進出」「車の渋滞が激しい」「洪水が頻繁に起こる」「政治が不安定」……。あなたはこれ以外に、タイについていくつ挙げられるだろうか?
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日産スプリング(タイランド)
日系進出企業紹介『おじゃまします』第6回

12月 13日 2013年 経済

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バンコク週報

1976年10月創刊のタイで発行する日本語新聞。在タイビジネスマンに向けてタイの政治・経済・社会ニュースから人物紹介まで多彩なコンテンツを提供している。

◆従業員の定着率向上に資格制度導入も

「ダントツ品質宣言! 目指せ、世界一品質」をスローガンにかかげる精密バネメーカー「日産スプリング」の創業は1951年12月。それから半世紀を経た2005年5月、同社は海外初となる子会社「日産スプリング(タイランド)」をタイ・ラヨン県のイースタンシーボード工業団地に設立した。社名に「日産」を冠しているが、日産自動車の系列会社ではなく、創業者が〈日々産ずる、またお客様に日参(ニッサン)することから付けた〉(同社HP)とのことだ。

タイ工場の製造品目は、線ばねと板ばねだ。線ばねは、ブレーキのマスターシリンダー、シートのスライド部、コンソールボックス開閉部、ドラムブレーキ用など自動車での使用が中心となる。一方、板ばねは、カーオーディオ、プリンターなどに用いられる。取引先は在タイ日系企業が8割という。
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異文化を受容する優しいまなざし
『読まずに死ねるかこの1冊』第7回

12月 13日 2013年 文化

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記者M

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間100冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味は食べ歩きウオーキング。

もう30年以上も前の話だ。ルー・フィン・チャウという女性アイドル歌手がいた。谷村新司作詞・作曲の「スター誕生」という曲で1982年12月24日のクリスマスイブにデビューし、翌年12月に芸能界から突然姿を消した中国系ベトナム人の難民出身の歌手である。

彼女は、両親と弟とともに80年に来日し当時、神奈川県大和市に開設された大和難民定住促進センターで生活を始めた。父はサイゴン(現在のホーチミン)の高級クラブ、マキシムの舞台芸術監督、母は舞踊家。そんな環境もあってか、チャウは来日してまもなく、日本の芸能界に憧れを抱くようになった。
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パリの街散歩―上を向いて歩こう
『タマリンのパリとはずがたり』第2回

12月 13日 2013年 文化

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玉木林太郎(たまき・りんたろう)

経済協力開発機構(OECD)事務次長。35年余りの公務員生活の後、3度目のパリ暮らしを楽しむ。一万数千枚のクラシックCDに囲まれ、毎夜安ワインを鑑賞するシニア・ワイン・アドバイザー。

「建物は所有者に属するが、その正面(ファサード)は全ての人のものだ。」とはヴィクトル・ユゴーの言葉らしいが、パリの街を歩けば建物の壁にはめ込まれたプレートがやたらに目につく。先日も場末の変哲もない道の変哲もないホテルの壁に「周恩来が1922年から24年までこの建物に住んだ」と彫像入りで立派なプレートがあるのを見つけた。当時この建物に在欧州の中国人青年の共産主義組織(旅欧中国少年共産党)の本部が置かれ、その機関誌の印刷を若き鄧小平が担当して「ガリ版博士」とあだ名をつけられていたそうな。

パリに来てすぐのころ、パンを買いにサン・ジェルマン・デ・プレ界隈を歩いていたら、とあるバールの脇の扉に小さめのプレートがある。近寄ってみると≪リシャール・ヴァグネールここに住む、1841年10月30日から1842年4月7日≫と読める。おお、ワグナーの失意のパリ滞在(1839年から)の最後の住処(すみか)はここか、と大いに感じ入った。
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アジア観の変化
『アジアの目線』第1回

12月 06日 2013年 経済

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池部 亮(いけべ・りょう)

福井県立大学地域経済研究所アジア部門准教授。1992年日本貿易振興機構(ジェトロ)入会。ハノイ、中国・広州などの駐在を経て2012年4月から現職。進出日系企業の動向や中国リスクなどに詳しい。近著に『東アジアの国際分業と「華越経済圏」』(新評論、2013年)。

福井に来て約1年半が経った。振り返れば「日本企業にとってのアジア観」に様々な変更が加わった1年半であった。例えば、民政移管したミャンマーへの関心が急速に高まり、連日の新聞紙面でミャンマーの文字を見ない日がないといった盛り上がりが今も続いている。

「これからだけどまだまだの国」と当たり前のことを確認するだけの日本企業の現地視察が相次いでいる。それでもバスに乗り遅れるなと前のめりのメディア論調を見ていると、1990年代中頃のベトナムブームを思い出す。
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日本を破壊するブラック企業
『教授Hの乾坤一冊』第11回

12月 06日 2013年 文化

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教授H

大学教授。専門は環境経済学および理論経済学。政府の審議会の委員なども務める。「知性は、セクシーだ」が口癖。趣味は鉄道(車両形式オタク)。

ある日新聞広告を見ていたら目に留まったのがこれから紹介する本、今野晴貴著『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文藝春秋、2012年)である。自分の無知をさらすようで誠に恥ずかしいのだが、それまで私は「ブラック企業」という言葉を知らなかった。一体どんな企業だろうと思って大学生協に注文し、手にしてようやくその意味するところがわかったわけである。

ゼミの学生に聞いたらもちろん全員がこの言葉を知っていた。なかには、本書にも出てくる居酒屋チェーン店Wの名前をブラック企業の代表例として声に出して挙げる学生もいた。就職活動をする学生は、ブラック企業に就職してしまったら命取りになるから、知らないはずがないのである。そんなことも知らないでいたとは、私は実にのんきな教師だ。
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美しくも苛酷な芙蓉の高嶺
『読まずに死ねるかこの1冊』第6回

12月 06日 2013年 文化

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記者M

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間100冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味は食べ歩きウオーキング。

関東地方はいま、晩秋から冬へとせわしく移ろうさなかにある。昼前はとくに空が碧(あお)く、空気が冷たくて心地いい。オフィスで机に座っているのが恨めしくなるほどだ。残念ながらオフィスから富士山は見えないが、荒川をわたって東京の対岸のすぐのところに住む僕の家からは、天気がよければ見ることができるし、通勤電車の車窓からもビル群の向こうに見える。この時期の富士山は空気が澄んでいて、どこから見てもとくにきれいだ。

南米での勤務を終えて1996年に帰国した後、99年にバンコクに赴任するまでの3年ほどの間、わが家では少なくとも月に1回は富士山に出かけた。春や秋は毎週のように出かけた。都内杉並区の社宅から中央高速道を経由して車で2時間ほど。富士山は、快適なドライブと雄大な自然を提供してくれた。
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「嫌タクシン派」衰えず―再び不安定化したタイ政情
『東南アジア観察記録』第1回

12月 06日 2013年 国際

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記者H

日本のメディア勤務。経済記者として20年。現在、東南アジア経済と政治を勉強中。趣味はゴルフと自転車、山歩き。「週末は書を捨て原っぱへ」がモットー。

タイ政情が再び不安定化している。2000年代前半、タイ経済を立て直し、政治的、社会的に圧倒的な人気と権力を掌握した元首相タクシン・シナワット氏をめぐる国内対立が再燃したのだ。今年11月に火を噴いた反タクシン・反政府デモは、タクシン氏に強く反発する勢力の力がいまだ衰えていないことを改めて示した。

◆唯一の対立軸

ここ数年のタイ政治の対立軸は、イデオロギーや政策ではなく、「タクシン」というただ一点に尽きると言っていい。11月に始まった反政府デモは、有罪判決を受け、“国外逃亡中”の身となっているタクシン氏を無罪放免とし、帰国を実現させるという法案が下院で強行採決されたことが直接のきっかけとなった。
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