п»ї 09 | 5月 | 2014 | ニュース屋台村

Archive for: 5月 9th, 2014

原点に立ち返ろう日本の観光事業
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第20回

5月 09日 2014年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住16年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

私は4月10日から日本に出張し、全国各地を歩き回っている。各県を訪問すると、一様に「タイ人観光客を誘致したい」と私に訴えてくる。2013年7月から実施されたタイ人の日本での短期滞在時(15日以内)のビザ免除の効果により、タイ人の訪日観光客数は2012年の26万人から、2013年には45万人と飛躍的に増加。今年はさらに80万人を期待する声もある。

こうしたことから、日本各地においてタイ人観光客誘致の高い期待が感じられるのである。しかし、その声を聴いてみると、「当地にはよい温泉があります」「水がきれいな土地なのでおいしい地酒が振る舞えます」「昔ながらの有名な和菓子があります」と、どの地も似たり寄ったりの内容である。
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ホシノハナになった君
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第12回

5月 09日 2014年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。

◆殉職に捧ぐハーモニカ

今回も全国のコミュニティFM局に番組を配信している衛星ラジオ局「ミュージックバード」の「未来へのかけはし Voice from Tohoku」の放送分をお届けする。今回はある殉職した警察官と、その母親の話。東日本大震災ではあまりにも多い一般の方々の犠牲により、殉職は目立たず、沿岸部の現場にそっと佇(たたず)む。どの死にも突然の別れを余儀なくされる周辺の人々がいるから、それは等しく痛ましい。まずは、ラジオ放送の内容を紹介する。
 
【ラジオ番組内容】
 東日本大震災から約3年。このコーナーでは、被災地の今を、現地の方々の思いを、生の声で語っていただきます。きょうお伝えするのは、宮城県警巡査として避難誘導中に殉職した佐藤宗晴(さとう・ときはる)さんの母、佐藤きみ子さんです。人を助ける仕事がしたい。そんな思いを胸に、8年間務めた家業の木工所を辞め、30歳で一念発起し警察官となった宗晴さんでしたが、震災はその2年後でした。今回きみ子さんは、天国にいる宗晴さんに向けてのメッセージを読み、悲しみを乗り越えようと始めたハーモニカで、その思いを伝えました。
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クラシック少年だったころ
『タマリンのパリとはずがたり』第3回

5月 09日 2014年 文化

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玉木林太郎(たまき・りんたろう)

経済協力開発機構(OECD)事務次長。35年余りの公務員生活の後、3度目のパリ暮らしを楽しむ。一万数千枚のクラシックCDに囲まれ、毎夜安ワインを鑑賞するシニア・ワイン・アドバイザー。

パリでの私の勤め先(OECDという国際機関)に日本が加盟してから、今年で50周年になる。当時の写真が展示されたり、総理が来訪されたりと、こちらではなかなかの盛り上がりで、私もやや回顧モードである。

50年前といえば1964年(昭和39年)、新幹線が開業しオリンピックで沸いた年だが、私自身はまだ東京・新宿の小学生だった。しばらくして中学に進むころにクラシック音楽に関心を持つようになったのだから、私のクラシック歴(聴いて楽しむだけだが)も長い。半世紀近く飽きずに続いた趣味はこの他には将棋くらいだろうか。音楽を聴くのに費やした時間とエネルギーを学校の勉強に向けていたら、どんな立派な人になっていただろう。
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人生に彩りを与えてくれた名作の数々
『えいがと私』第1回

5月 09日 2014年 文化

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マレーの猫

エネルギー関連業界で30年以上働いてきたぱっとしないオヤジ。専門は経理、財務。実務経験は長く、会計、税務に関しては専門家と自負。2012年からマレーシアのクアラルンプールに単身赴任中。趣味は映画鑑賞、ジャズ、ボサノバ鑑賞、読書。最近は浅田次郎の大ファン、SF小説も

マレーシアでの単身駐在期間が長くなるにつれて、最近は趣味や自分の過去について時々思い巡らすことが多くなってきた。これから書く話は、私の全く個人的な趣味の話であり、映画が自分の人生にどのような影響を与えたかということについての回想録のようなものである。今回は「映画と私」の第1回として、私が幼稚園時代から高校卒業までの間に見た映画について書かせていただく。

◆幼稚園の時に初めて見た「ゴジラ」

最初に映画館に入ったのは、幼稚園の時であった。私が住んでいた東京・中野には、JR中野駅南口に東宝映画を上映している映画館があり、当時「ゴジラ」の映画を見たいがために同居していた祖母に頼んで映画館に連れて行ってもらったのである。
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