引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、シャローム大学校学長、一般財団法人福祉教育支援協会専務理事・上席研究員(就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括・ケアメディア推進プロジェクト代表)。コミュニケーション基礎研究会代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般社団法人日本不動産仲裁機構上席研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆豪奢な建物は公共財
今春、関東・甲信越地区の各都県教育委員会を訪問する業務が多い。多くが県庁(都庁)の中にあるからおのずと県庁訪問の日々となるが、各県それぞれ、地域の顔でもある県庁には威厳がある。
豪奢(ごうしゃ)な建物、堅牢な造り、ゆったりとした車止からはじまり、広いエントランスに幅広い階段、とてつもなく高い吹き抜け。建物の規模もお金のかけ方も民間の会社では到底及ばない規模とスケールの建物は、税金で建てたみんなの公共財産である。税金を支払っている側からすれば立派であって当たり前だという人もいれば、何のための豪華なのかと疑問に思う人もおり、外観には賛否があるだろう。
私にとっての関心は、激変した「人当たり」だ。20年以上前の記者駆け出し時代に県庁の取材をしていて感じた、県庁内の部署内に入ると外部の人を煙たがる雰囲気はなくなっていて、私が案内板を見ていると「どちらに行かれますか」と聞いてくる「サービス」としての行政マインドが進化したのだと実感する。ただ、それは結構、県庁によって差はあるのだが。
◆窮屈さに気の毒
県庁といえば基本的に石造りで回廊型の西洋風様式のイメージが強い。現在の財務省や日本銀行のように西洋の様式美を踏襲した門構えは、近代国家を目指す脱亜入欧の思想の名残のようなものだ。
各県の権威の象徴でもある県庁も同様の建物が多かったが、改築や移転により昔の姿を残す県庁も少なくなってきた。昔の名残を感じるのは今回訪問した中では神奈川県庁、埼玉県庁、山梨県庁であろうか。それらはすべて主要駅に近い場所にあるのも特徴で、市民からのアクセスは抜群。山梨県庁の甲府駅からの近さは全国一かもしれない。
ただ、庁舎中の窮屈さは職員が気の毒で、しかもペーパレス時代に紙が大好きなのもお役所のようで、旧い建物は現代の機能に対応できていないから、なおさらに窮屈になる。山梨県庁内ではいくつかの部署を回ったのだが、会議室や面談室がないから立ち話となり、私の横ではデスクに向かって全く違う仕事をする人がおり、さぞ迷惑だったのではないかと気の毒に思う。
◆税金の無駄と毒づいても
一方で新しく建てられた新潟、群馬、茨城の県庁は駅から遠い郊外にある。茨城は水戸駅からのバスの少なさに驚き、結局タクシーしか手段がなかった。広大な駐車場と周囲に土地があるのに意味があるとは思えない高層化。そして、その不便さの「かわり」のように最上階は市民に開かれた食堂や展望広場がある。
建物を外から見て「税金の無駄」と毒づいてみても、展望からの眺めのよさにその毒は抜かれる具合だ。平野に開けた街並みと遠くの山々、茨城や新潟では遠くに海も広がっている。天守閣に限られた人間しか登れなかった時代からすれば、展望コーナーのガラス窓の向こうの景色を指さして「あれなに!」と子供が声を張り上げる時代は平等でやさしい時代なのかもしれない。エントランスやエレベーター内にある地域の特産品やキャラクターが模されたデコレーションはどこかあたたかい。地域を「知ってもらう」目的のコンテンツは少し心に優しい気がする。
◆大切なのは
時代が移り変わっても建物で権威付けするのは、旧出雲大社や大山古墳(仁徳天皇陵)の時代から変わらないかもしれないが、少しずつでも本当に大切なものに気づいてくる人も少なくない。
東日本大震災後、市役所や役場が津波の被害にあい、プレハブ建ての仮設庁舎で運営していた時期に頻繁に出入りしたことを思い出すと、「仮設でも結構いける」の声を多く聞いた気がする。それでも建て替えには結果的にそれなりにお金をかけて再建した。役所を作るのにお金をかけることは作法のようなものだろうか。県庁をまわりながら思うのが、次の時代のキーワードは建物ではないこと、私がどこへ行けばよいか迷っている時に声をかけるメンタリティーと庁内に示されたソフトコンテンツのホスピタリティーが大切な気がする。
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