古川弘介(ふるかわ・こうすけ)
海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。
◆はじめに
ポピュリズムについて2回にわたって考えてきた。社会学者の水島治郎はその著書『ポピュリズムとは何か』において、ポピュリズム政党は、民主主義が持つ「人民の意思の実現」という本来の機能を果たしているのだと指摘する。グローバル化の進展やIT情報革命によって産業構造の大変化が起きているが、その潮流から「置き去りにされた人々」がいる。ポピュリズム政党は、そうした既成政党の網の目からもれる人々の声を政治に反映しようとしている。そうであれば、既成政党やメディアが喧伝(けんでん)するようにポピュリズムが問題なのではなく、社会に問題があるからポピュリズムが出現するということになる。
前回取り上げた英国のジャーナリスト、ダグラス・マレーの『西洋の自死』は、欧州への移民の大量流入に不安を感じる大衆と寛容な移民政策を擁護するエリート層との分断を描く。既成政党は左右を問わずEU(欧州連合)支持であり、リベラル色の強い政策を推進している。それに反発を感じる大衆の意思を汲み上げたポピュリズム政党が「反移民、反EU」を掲げて勢力を伸ばす。そこからマレーは欧州人の内面に切り込んでいく。近代を切り開いた欧州人の「自己不信」に行き着くのである。欧州をモデルに近代化を進めた日本にとっても示唆的な解釈である。しかし、こうした現象をもたらした原因を移民に求めてイスラム教に結びつけていく論理展開に性急さが感じられて気になった。むしろ、既にそこにあった構造的な問題を、移民の流入が顕在化させたと理解すべきなのではないだろうか。
そう考えて、欧州主要3カ国(フランス、ドイツ、英国)の移民政策の試行錯誤の歴史を調べてみた(末尾の参考資料参照)。分かったことは、自分たちの都合で増やした移民を止めようとしたが失敗したことが、誤算の連鎖の始まりだったということだ。現在各国は移民の存在を認め、社会への統合を重視する政策に転換している。ただ、意図したようには機能していないことは、ポピュリズム政党の伸張をみれば明らかである。このような欧州の過去の教訓と現在の課題を知ることは、昨年移民導入政策に転換した日本にとって意味があることだと考えるのである。
◆試行錯誤を繰り返す各国の移民政策
移民政策は二つの側面――新たな移民受け入れ政策と既に居住している移民の統合政策――をもつ。欧州各国は第2次世界大戦後に労働力不足に直面して大量の移民を求めた。しかし1970年代前半の石油危機後の不況によって政策を転換する。新たな移民の受け入れを原則止めて、既に居住する移民には帰国を促したのである。しかし政策はうまく機能しなかった。家族の呼び寄せや結婚を認めざるを得なかったし、単純労働の分野では労働力としての移民を必要としたからである。時間の経過とともに移民のコミュニティーは増大していく。そして移民二世、三世が関与する暴動やテロが積み重なっていき、各国は失敗を認め移民の社会統合政策を重視する方針に転換している。
<フランスの移民政策>
・移民は自然に同化するという成功体験
フランスは、世界的にみても人種差別が最も少ない国の一つといわれる。フランス語をしゃべり、フランスの価値観(自由と平等、人権、政教分離など)を理解、遵守(じゅんしゅ)すれば、肌の色に関係なくフランス人と認められるのである。出生地主義なのでフランス生まれの移民二世は成人すると一定の条件を満たせば国籍が付与される。いまやフランスは、総人口約6500万人のうち、移民にルーツをもつ人々は約1600万人(人口の約24%)といわれる自他ともに認める移民大国である(*注1)。
移民出身で活躍しているフランス人は多い。少し古いが歌手・俳優のイヴ・モンタン、サッカーの国民的英雄であったミシェル・プラティニはイタリア移民の子であるし、サルコジ元大統領はハンガリー移民の子である。彼らは皆典型的なフランス人の雰囲気を漂わせているように、移民は時間が経てば「同化」すると考えられていた。ただ彼らは欧州内からの移民であった。第2次世界大戦後は、自動車産業や炭鉱などの労働力不足を解消するために、旧植民地のマグレブ諸国(アルジェリア、モロッコ、チュニジア)から多くの移民を迎え入れた。彼らは家族を呼び寄せ大都市郊外の集合住宅でコミュニティーを形成する。しかし今度は自然に「同化」することはなかった。
・移民政策の転換:「同化」から「統合」へ
同化がうまくいかない背景には、非移民のフランス人と比べて失業率が高く、貧困層が多いという格差と貧困の問題が存在する。景気が良いうちは歓迎されるが、悪くなるとまっさきに首にされる。就職しようとしても、外見で判断されてしまいがちだ。
またイスラム教徒が多いことから宗教的な対立という要素もある。フランスの建国の原理である「世俗主義」(*注2)では政教分離が求められるが、イスラムの戒律と対立する場合があるからだ。公立学校(公的な場)におけるスカーフの着用(宗教的な意味を持ち込むこと)を巡る論争はその一例である。フランスのイスラム教徒は約570万人と欧州最大であり、モスクの数は3千あるといわれる。移民が多い郊外の集合住宅地区では移民二世の若者と警察の衝突が繰り返され、ついに2005年、パリ郊外での事件を契機に移民の暴動はフランス全土に広がった。
これは共和国原理に基づく移民同化政策の破綻(はたん)として受け止められ、事件後、移民法が改正された。移民二世、三世を含めた「社会統合政策」を導入し、語学習得講座、格差是正のための職業訓練、住宅状況の改善、社会文化的適応のための活動支援などを行っている。こうした支援の対価として「受入・統合契約」(移民と政府が結ぶ)の義務化、共通原則(自由、平等、人権の尊重)の理解のための教育講座への出席の義務化などがある。
・「選択的移民政策」と「社会的統合政策」
現在のフランスの移民政策は上記の「社会的統合政策」と「選択的移民政策」を柱としている。「選択的移民政策」とは、高度人材の優先的受け入れとそれ以外の外国人の流入を阻止する政策である。優秀な移民だけを受け入れたいという政策であるが、どこの国も同じような政策を打ち出しており、競争は激化している。
また、「社会的統合政策」についても、60年経ってもうまくいかなかった「同化」が、「研修」で可能となるのかという懐疑的な意見があるようだ。マレーは、各国の歴代政府はこうした小手先の政策で「国民のガス抜き」を行ってきたと批判する。なぜなら「解決しようがない」からだという。フランスの統合政策の成否は日本にとっても参考になると思われ注視すべきである。
<ドイツの移民政策>
・ドイツの「血統主義」
ドイツは「血統主義」といわれる。民族としての出自・血統を重視する。フランスと同じ経過をたどって外国人人口が増加したが、自らを「移民国家」として認めてこなかった。移民政策は「同化」に重点が置かれており、移民が自然にドイツ文化に同化するのを期待していたといわれる。
・リベラルな移民政策への転換
1998年の中道左派政権(社会民主党と緑の党)の誕生によって、移民政策はリベラルな方向に転換していく。「移民国家」であることを認め、2005年施行の「移民法」では、移民をドイツ社会に統合させる政策が明確にされた。それは移民の祖国の文化的背景(アイデンティティー)を尊重し、「同化」ではなく「共生」するための統合と位置づけられた。そして、移民をドイツへ「統合」するための「統合コース」が開始された。統合コースはフランスと同様に、ドイツ語の学習(600授業時間)とドイツの法秩序、政治システム、社会生活と就職などからなる。しかし、理想と現実のギャップが指摘されている。問題点としては、受講登録をしても授業に参加せずに中断してしまう(妊娠、結婚、就職など)、祖国で初歩的な教育さえ受けていない人も多いため受講しても(試験で)基準レベルに達しない、公的扶助の受給目当てだけで受講する、そもそもドイツ語を話せなくても移民地区に住んでいれば生活に支障がないなどである。
ドイツには現在、二世三世を含めた移民が約1900万人(人口の約23%)を数え、フランスと並ぶ移民大国である(*注3)。移民の中で最も多いのがトルコ系(約300万人)である。ドイツでは、保守系政党(キリスト教民主党など)とリベラル系政党(社会民主党など)が連立を組み替えながら政権交代を繰り返しているが、どちらも程度や力点に違いはあるものの移民を容認している。その背景には、少子高齢化の進展がある。保守系政党は、生産年齢人口の減少を補い、経済の活力を維持するため、経済的に有用な移民の受け入れが必要だと主張する。また、高度人材を移民として積極的に受け入れてIT情報革命時代の競争力強化につなげようとする。リベラル系政党は、リベラルな価値観(多様化、寛容)から、移民の文化的・宗教的価値観を認め共生を目指す。庇護(ひご)認定されない難民も就労や滞在を認める政策を支持する。なお、福祉水準を維持していくためには介護人材としての移民は既に不可欠の存在となっていることも、こうした政策の背景にあるといわれる。
・統合政策の動揺
こうしたドイツのリベラルな価値に基づく移民の統合政策は、2015年の欧州難民危機の際の100万人の難民流入やケルン事件(*注4)の衝撃で揺れ動いている。移民が絡む犯罪の増加、イスラム過激派によるテロ事件の続発は、一般大衆に移民への反発を生んでいるからである。ムスリム移民はドイツが基本とする価値を遵守できない「異質な文化的他者」だという見方への共感、支持が広がっている。その表れが、移民排斥を唱えるポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の台頭である。
同党は、反移民だけではなく、反EU、反エリートを主張している。EUが掲げるリベラルな価値観そのものに疑問を投げかけているのである。それは戦後のドイツの政策の基本であるEU統合推進への挑戦を意味するものと考えられる。EU統合強化を牽引(けんいん)してきたメルケル首相は来年の任期満了時の退任を表明しているが、後継候補が辞職するなど政局は混迷している。
<英国の移民政策>
・パラレルワールド(並行社会)
英国全体で外国生まれの人口が930万人(全人口の約14%)いる(*注5)。移民二世を含めれば2割を超えるだろう。なかでもロンドンは、白人の英国人の比率が5割を切っているように様々な人種が集まって暮らしており、多文化社会を象徴する街である。わたしは約6年住んだが、外国人にとって暮らしやすい環境で家族ともどもすっかりロンドンのファンになった。
しかし生活していると、そうしたイメージと違う顔も見えてくる。まず南アジア系やアフリカ系の移民の多くは特定の地域に住んでいることを知った。「イーストエンド」と呼ばれる下町や、テムズ河の南岸地帯である。英国人の同僚からは「危険なので行くな」といわれる地域だ。人種差別はないが、人種区別があるといわれる理由が分かった気がした。また、毎朝の出勤時にオフィス街で市バスを待っている大勢のアフリカ系の人たちは、深夜のオフィスでの清掃作業が終わって帰宅するのだと分かってくる。日本人スタッフは毎日夜遅くまで残業したので帰宅時に「ミニキャブ」と呼ばれる白タク(現在はライセンス制になったそうである)を利用するのだが、運転手は南アジア系ばかりだった。英国では移民は住むところも働く時間も別なので、マレーがいうようにパラレルワールド(並行社会)を生きているようだ。
・隔離と集住
英国にやって来た移民は公営の集合住宅に住んだ。政府の政策でもあったが、移民も同じ民族の集団で住むことを好んだとされる。言葉も十分話せない外国で生活や子育てなど助け合って生活できるからである。インド、パキスタン、バングラデシュから英国への移民排出地域は、四つに限定されるそうだ(*注6)。いずれも典型的な貧しい農村部であり、同族結合が強い地域なので、二世が結婚するときも祖国から婿や嫁を呼び寄せた。こうして隔離され集住する部族社会が成長していく。また民族ごとに固まって住んでいるので民族が違えば相互の交流はないといわれる。英国の国民統計局の最新のデータを見ても、イングランド中西部にはパキスタン人が圧倒的に多く、ロンドンイーストエンド(特にタワーハムレッツ地区)はバングラデシュ人ばかりだ。英国の特徴である「隔離・集住」政策は、現在に至るまで維持されているのである。上の世界に住む人々が見えないふりをする「並行社会」が存在しているということだ。マレーが指摘するように、英国の多文化社会とは民族が別々に住むことを指しているに過ぎないのかもしれない。
・新しい移民
現在の英国は「選択的移民政策」を採用しており、高度技能者を優遇している。今世紀に入ってからは、EU域内、特に東欧の新加盟国からの移民(ポーランド系が多い)が増えている。2004年から2014年までの10年間で年平均24万人の移民の純流入があった。英国が欧州域内で魅力的だということだが、現保守党政権は当時の労働党政権の無策が移民の急増を招いたと批判し、雇用における自国民優遇を表明している。しかし人の自由な移動を原則とするEUからの移民は積極的な規制が困難で、英国のEU離脱の一つの要因となったとされる。移民政策のコントロールは難しいという例である。
◆移民の貢献について
移民の増加がもたらす負の側面ばかりみてきたが、貢献についても検討したい。
・人口増加に貢献
フランス、ドイツ、英国は日本と同じように成熟した先進国である。少子高齢化の問題に悩んでいるはずであるが、図表1に見るように、フランスや英国はここ20年で見ると、人口を伸ばしているのである。要因の一つに移民の増加がある。人口は国力を反映するので3カ国は競っているようにも見える。ちなみに19世紀までは3カ国の中でフランスの人口が最大であったが、19世紀なかばにドイツに抜かれ、19世紀末には英国にも追い越された。ドイツは東西統合もあり欧州最大の人口を誇っているが、今世紀に入ってからは少子高齢化が進んで頭打ちで、国連推計では今世紀中にフランスに抜かれるとみている(*注7)。ドイツは2015年欧州難民危機で100万人の難民を受け入れて人口を増やしているが、その背景には人口減少への危機感があったのかもしれない。
フランスは、家族政策の成功によって合計特殊出生率を向上させたことで知られているが、移民の出生率の高さがフランス全体の水準を押し上げている点を忘れてはならないだろう。非移民の合計特殊出生率1.77に対し移民は同2.60で全体では1.88となっているのである(*注8)。また移民は若い人が中心なので、生産年齢人口の増加にも貢献している。こうしてみると、フランスと英国が移民の貢献をうまく引き出しているように見える。
ただしマレーは、出生率の差が続くと、移民の数が白人の数を上回る日がやがて来ると懸念を示しており、「貢献」とは捉えていない。立場によって評価が変わってくるということだろう。
・多様性と移民
移民が受け入れ国にもたらす多様性と聞いてすぐに頭に浮かぶのは、音楽やスポーツの分野だ。特に肉体的な強さや速さが求められるサッカーは、移民出身選手の活躍が目立つ。欧州におけるサッカーは、米国や日本の感覚でいう娯楽としてのスポーツとは少し違う。大衆がサッカーに熱狂するのは、それを人生の一部だと考えているからだと思う。人々は地元のチームを応援しており、土曜日の午後はホームであれアウェイであれ、サポーター仲間と試合に出かける。代表チームの試合は、国の威信をかけた戦いなのでナショナリズムを鼓舞する役割を果たす。そうした背景があるので、3カ国の代表チームへの移民出身選手の登用は時間を要した。特にイングランド(*注9)では、ポピュリズム政党の英国国民党(BNP)が「フーリガン」と呼ばれる熱狂的なファンを扇動して、人種差別的な嫌がらせを繰り返したことも影響しているかもしれない。
そうした慎重な姿勢から大胆な転換を図ったのは、フランスであった。それまでの欧州のサッカー強国といえば、ワールドカップ優勝経験のあるイタリア、ドイツ、イングランドであった。フランスは華麗なサッカーを好んだが、強さと速さを武器とするドイツにどうしても勝てなかった。そこで、方針を変え移民出身選手を積極的に登用したのである。その代表がアルジェリア移民の子であるジネディーヌ・ジタンである。ジタンに率いられたフランスは、1998年の自国開催のワールドカップで悲願の初優勝を果たす。フランス国内は大いに盛り上がり、多様性の勝利だといわれた。その後もフランスは強国の地位を維持し2018年のワールドカップで2度目の優勝をする。フランスチームの特徴はチーム写真を見るとよく分かる。2016年の欧州選手権の準決勝(対ドイツ戦で勝利)の先発メンバー11人中、白人は1人だけである。2018年のワールドカップ優勝時には、米国のテレビ番組で、ある司会者が「アフリカの優勝」と表現して物議を醸したことがあった。しかしフランス人は肌の色にこだわらない。多くの国民はワールドカップの優勝を喜んだのである。このようにフランスは移民がもたらす「多様性」の貢献をサッカーで証明したのである。
ドイツの場合は両国の中間といえるが、複雑な事情を抱える。ドイツは純血主義を貫き、過去の代表チームはドイツ系白人選手中心であった。その後トルコ系やアフリカ系の選手も選ばれるようになっているが多くはない。フランスとの比較のために2016年欧州選手権準決勝(対フランス戦で敗北)の先発メンバーをみると、ドイツ系は11人中7人で、移民は4人である。内訳はトルコ系2人、ガーナ1人、ノルウェー1人となっている。ドイツ代表の複雑な事情とは、トルコ系ドイツ人選手の問題だ。彼らの立場は複雑だ。ドイツに対する忠誠を求められる一方で、祖国トルコに対する帰属意識を隠さない選手がいる。試合前の国歌斉唱を行わず、心のなかでコーランのお祈りを唱えていると発言したり、トルコの(強権政治で知られる)エルドアン大統領を尊敬していると言って物議を醸したりしたことがあった。背景にはドイツで差別を受けていると感じるトルコ系移民にとって、経済発展が著しい祖国を誇らしく思いたい気持ちがあるものと思われる。
3カ国のサッカーには、国民性や移民政策の違いが反映されていて興味深い。フランスは、サッカーにおいて移民との融合を成し遂げ、国民の一体感を高めることに成功した。ナショナリズムは血ではなく、フランスが体現する共通原理にあることを示したのだ。ドイツは、サッカーで勝利を収めているが(ワールドカップ優勝4回)、チームへの移民の融合はうまくいっているとはいえない。ドイツとトルコの両国への帰属意識に悩む選手がいることも要因の一つだろう。ドイツはナチズムへの反省から政治面ではナショナリズムを抑えている。また国籍については、血統主義から出生地主義に転換するなどリベラルな政策をとっている。しかし、ドイツへのナショナリズムはどう考えればよいのだろう。ポピュリズム政党の「ドイツのための選択肢」はまさにそこを突いて勢力を伸ばしているのである。英国は、両国とは違って移民政策で統合をそれほど強調していない。また、現在の保守党政権は、雇用に関して自国民優先を鮮明にするなどナショナリズムに訴えかけているようにみえる。おそらく、ワールドカップではこれからも勝てないだろうが(優勝は1966年の一度だけ)、EU離脱にみられるように国民国家としての自立を優先したということだろう。多様性を生かしながら統合を実現するのは依然として大きな課題なのである。
◆おわりに―欧州から日本が学ぶべきこと
・日本の移民政策の転換
4月15日付の日本経済新聞の記事の見出しに「外国人243万人、最多に」と「日本人の自然減、49万人(過去最多)」が並んでいた。記事によると243万人のうち生産年齢人口(15〜64歳)が207万人(85%)いるという。労働人口の増加に貢献していることは明らかである。人口が減少している日本で「人手不足を補う」ためには、外国人に来てもらわないとだめだという気になってくる。移民増加を要請する産業界に応える形で、昨年政府は外国人受け入れ政策の歴史的転換を図ったとされる。従来は高技能に限定していた外国人労働者の受け入れを実質上単純労働にまで広げたのである。5年間で最大34万5千人の受け入れを見込んでいる。法案は既に可決され運用が始まっている。政府は外国人という表現を使っているが、国連の定義では、1年以上居住国を離れて外国に住む人を「長期移民」(3ヶ月以上1年未満を「短期移民」)としている。この定義に従えば、日本は既に243万人の移民がいて、さらに単純労働分野で今後5年間で34万5千人の移民を受け入れるのである。政府が移民という表現を避けるのは、ずっと日本に住むということはないということを言いたいのだろう。様々な仕組みを用意するのだろうが、既にみたように欧州の経験から得られる教訓は「移民の数はコントロールできない」である。
・優先順位は格差と貧困の克服に置くべき
欧州の経験から得られる、より重要な教訓は、移民は隔離であれ統合であれ、受入国の社会構造に否応なく組み込まれていくということだ。受入国が格差と貧困の問題を抱えているとすれば、移民はその問題を増幅するだけではなく、より複雑化し深刻化させる。それは移民二世の代になって顕在化する。貧しい移民の家庭で育ち、教育や就職でハンディキャップを負うことが多い移民二世にとって、格差と貧困の社会は不条理以外の何物でもないからである。そこに暴力を行使してでも問題を一挙に解決しようという過激思想が入り込んでくればどうなるのか。一方で、受け入れ国の「置き去りにされた人々」は、社会の矛盾へのやり場のない怒りを移民に向けがちである。既成政党が聞こうとしないその声を聞き届けてくれるのはポピュリズム政党である。ポピュリズム政党はナショナリズムに訴えて、移民排除を唱える。こうした下の世界の対立は、上の世界のエリート層にとっては「寛容や多様性への理解不足」と映るのである。欧州が陥っているのはまさにこうした分断なのである。
欧州が60年前に戻れるとしたら、現在の移民問題はなかったのかと考えてみた。答えは「同じだった」ではないだろうか。労働力不足で移民を呼んだが景気が悪くなって帰ってもらおうとした。でもできなかった。移民が居住継続を望んだこともあるが、それよりも移民が従事していた3Kの仕事を自国民は嫌がったからだ。牧場や農場、清掃や飲食などのサービス業は、移民労働者がいなければ成り立たなくなっていたのである。欧州各国は移民労働者を原則禁止した後も、人数を絞っただけで単純労働者として移民を受け入れ続けていたことから分かるように、経済構造に組み込まれていたのである。1990年代以降のグローバル化の進展やIT情報革命によって産業構造の大転換が進行している。それによって中産階層が二極化し、下の階層が非正規化して低所得層にのみ込まれていく。そうした人たちが移民労働者と対立する構図が出現しているのである。
以上が欧州から得られる教訓である。したがって、日本が移民を増やそうというのであれば、まず日本社会の格差と貧困の問題に全力を上げて取り組んでいくべきだと考える。それをしないで少子高齢化に急かされるようにして移民を増やすことは拙速と言わざるを得ず、移民と日本の両方にとって不幸な結果をもたらすように思えてならない。
<参考図書>
『ポピュリズムとは何か――民主主義の敵か改革の希望か』(水島治郎著、中公新書、2016年)
『西洋の自死――移民・アイデンティティ・イスラム』(ダグラス・マレー著、東洋経済新報社、2018年)
<参考資料>
『欧州における外国人労働者受入れ制度と社会統合―独・仏・英・伊・蘭5ヶ国比較調査』労働政策研究・研修機構報告書No59(2006年)
『移民社会フランスの新たな挑戦』森千香子一橋大学大学院准教授(2019年7月5日)
『ドイツにおける移民・民族問題の現状』四釜彩子、ドイツ日本研究所
『ドイツの移民政策における「統合の失敗」』小林薫、東京大学ドイツ・ヨーロッパ研究センター(2019年3月1日)
『ドイツの移民制度と日本への示唆』昔農英明、明治大学文学部専任講師(2019年11月)
『イギリスのムスリム。コミュニティと教育――「集住」と「隔離」に揺れるイギリス』佐久間孝正、日本国際問題研究所JIIA
(*注1)フランスには移民二世などの移民にルーツを持つ人の公式統計はない(「共和国は一つにして不可分」の原則に反するので人種・民族・宗教の属性別統計がない)。ここで採用したのは、森千香子一橋大学准教授「移民社会フランスの新たな挑戦」(三田評論Online 、2019年7月5日)の推計値。それによると一世が750万人、二世が850万人で合計1600万人である。
(*注2)世俗主義(ライシテ):いかなる宗教も優遇せず、公共の場に持ち込ませない代わりに、信仰の自由などの権利を平等に保証するという原則。
(*注3)ドイツも移民二世の数字を発表していなかったが、最近「移民の背景を有する人」というカテゴリーを導入したそうだ。その数字が2017年時点で984万人であり、外国人942万人と合わせて合計1926万人が移民ということになる。出所は昔農英明(明治大学文学部講師)「ドイツの移民制度と日本への示唆」(2019年11月)。
(注4)2015年大みそかに起きたドイツケルンでの北アフリカやアラブ系移民による多発的な暴行事件。
(*注5)英国の国民統計局(ONS)の数字(2019年)。外国生まれの人の出身国はインド(83万人)が最大で、パキスタン(54万人)、バングラデシュ(24万人)を含めるとインド亜大陸3カ国合計で160万人を超えている。
(*注6)インド亜大陸から英国への移民排出地域は、バングラデシュはシルヘット、インドはグジャラート、東パンジャーブ(シーク教徒が多いアムリットサル周辺)、パキスタンは西パンジャーブから北西辺境州。これらの地域はビラーデリィと呼ばれる同族結合の強い、典型的な農村部である。(出所:「イギリスのムスリムコミュニティと教育――「集住」と「隔離」に揺れるイギリス」佐久間孝正(公益財団法人日本国際問題研究所JIIA)
(*注7)「今世紀中にドイツの人口逆転 フランス、産む国へ100年の執念」SankeiBiz(2018年10月24日)
(*注8)資料:独立行政法人労働政策研究・研修機構「移民と出生率の高さの関係について」2020年3月
(*注9)英国はサッカー発祥の地であるのでイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドにそれぞれサッカー協会がある。ワールドカップや欧州選手権にはこのサッカー協会単位で国として出場する。その他のすべての国は1カ国にサッカー協会は一つである。なお、サッカーはラグビーと違い代表になるには国籍が必要である。
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