引地達也(ひきち・たつや)
特別支援が必要な方の学びの場、シャローム大学校学長、博士(新聞学)。一般財団法人福祉教育支援協会上席研究員、ケアメディア推進プロジェクト代表。コミュニケーション基礎研究会代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
◆ケアステージon Web
新型コロナウイルスの影響は世界中を不安にさせ、各国では国民に行動制限を課す措置が講じられ、すべての人が閉塞(へいそく)した環境と心境の中にいる。
物理的な接触が制限された中で、世界は連帯し協力しなければいけないとのユヴァル・ノア・ハラリ氏(イスラエルの歴史学者)の英誌タイムへの寄稿は世界を駆けまわっている。そんな大きな話につなげたい小さな一歩をどうしようかと考え、先日から始めたのが盟友であるピアノコーラスグループ、サームとのツイキャスを使ったオンラインライブである。
タイトルは「ケアステージon Web-Dialogue and Song」とした。30分の中でピアノ演奏と、今だから考えるべきお話、そして歌、という構成である。小さなダイアローグからつながる先に希望があるとの思いを共有できればと考えている。
◆クライシスの中のダイアローグ
第1回放送のテーマは「クライシスの中のダイアローグ」。
まずはダイアローグの対義語がモノローグであり、それは「独白」であると確認した上で、ダイアローグは相手を「強く」意識することが要諦であり、コミュニケーションの中で異質な存在であることを示した。
つまり「対話」である。
相手に対して正面から向き合い、真摯(しんし)に相対する印象そのままである対話は、その態度や心の在(あ)り様をも試される行為だ。だから、「対話」に人は真剣になれるし、相手の声に耳を傾けられるし、発する言葉も吟味される。このダイアローグが成しえる真剣さをクライシスの中にあって意識しなければいけない、という話である。
さらに、クライシスとは「危機」と訳されるが、これは危険ではなく、危険と安全の狭間の機、である。「危ないかもしれない」が、今をどのように乗り越えるかで次は安全に、そしてより良い方向に向かう分岐点なのである。
現在、私たちは危機にあるが、これをどうとらえるかで行動が変わってくる。隔離することでウイルスを抑え込む方針に協力しながら、混乱することなく、萎縮することなく、できる限りのコミュニケーションをつないでいくことを考えたいと思う。このコミュニケーション行為を行うにあたってはダイアローグが意識されなければならない。「誰が」「何の目的で」「どんな思いで」など、ダイアローグでは通常成しえている意識を働かせることをおろそかにすると、不安が先走りデマに流され、パニックになってしまうこともある。
一部で都合の悪い情報を「偽物」と切って捨ててしまったり、偽情報をもとに不当な利益を得たりするケースが、この危機の中でも目立ってきている。ペスト時代から遠く来た現代でもその構造は同じだ。
◆合間に音楽
「受け入れる」「話す」「考える」。このコミュニケーションやダイアローグで繰り返される一連の行為は、いつの世も一緒なのだが、ソーシャルメディアの全盛時代にあってそのスピード感はめまぐるしく、「考える」時間は最短になっているのが現状で、デマやフェイクスニュースが「拡散」することにつながっている。メディア機能の発達は人の思考する時間、考える余裕を奪い去り、瞬間的な反応でやりとりするコミュニケーション形態へと変容した。
新型コロナウイルスで世界が分断されようとする今、「考える」時間を意識したコミュニケーションがどうあるべきかも考えたいと思う。ダイアローグの見直しである。
それが、「ケアステージ」の話の合間に披露される歌である。ピアノや歌の調べに身を委ねながら、考えを深く巡らせ、次の話に入っていける隙間の設定だ。これは歌とコントなどで構成される昭和時代のバラエティー番組のように、ほっとしたスピード感を大事にしながら進めたいと考えている。
次回の生放送の日程は以下でご確認ください。
https://twicasting.tv/psalm.member/
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