小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住22年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
2018年度の日本の食料自給率は37%(カロリーベース)と主要先進国のなかでも際立って低い。小麦やとうもろこしの海外から輸入は世界一であり、大麦や大豆などの自給率も10%を割り込んでいる。牛肉などの畜産物も海外飼料によらないカロリーベースの計算ではいずれも10%未満である。米も主食用のものは100%自給となっているが、米菓やもちの原材料などは輸入に頼っており、世界第10位の輸入国であることはあまり知られてはいない。
経常収支の黒字国である日本は食料を海外輸入に頼りきっているが、世界的な食料不足(たとえばサバクトビバッタによる被害)や戦争などが起これば、いっぺんに日本人は餓死に追い込まれる。また経常収支が恒常的に赤字に陥ったり、資金循環が海外借り入れに頼るようになったりすると、日本は食料買い入れ資金に窮する事態となる。日本の財政赤字があと数年続くとこうした事態が現実化する。
あと数年以内に起こる可能性がある日本の食料危機に備えるため、今回は日本で最大である110万ヘクタールの耕地面積を持つ北海道の農業の再生策について考えてみたい。
1 北海道農業の特色
① 耕地面積の大きさと生産コストの安さ
【表1】
農業経営体当たりの経営耕地面積は28.9ヘクタールと耕地面積が大きく、専業農家の割合が72.9%と多い。それらに起因して1経営体当たり農家所得は全国の6.9倍と生産コストに優位性がある。65歳未満の農業従事者も都府県に比べ多く、将来性も持ち合わせている。
② 圧倒的な農業生産物産出額と多種多様な農産物
【表2】 【図1】
(出典:農林水産省「生産農業所得計」)
北海道の農業産出額は1259億3千万円と全国の13.7%。カロリーベースの食料自給率は185%。多くの農畜産物で全国1位の生産量となっており、変化に富んだ多様な食材が豊富にある。
③ 北海道産農畜産物の認知度の高さ
【表3】
訪日外国人来道者556人のアンケートおける認知度上位品目は、「カニ類:83%」「メロン:64%」「米:52%」「乳製品:51%」となっており、メロンや牛乳・乳製品は北海道ブランドが浸透している。
2 北海道農業の弱み
2-1 加工食品
① 北海道の製造品出荷額等の業種別構成と付加価値率
【図2】 【図3】
(出典:財務省「貿易統計」) (出典:農林水産省「農林水産物・食品の輸出額実績について」)
平成29年の北海道の全製造業に占める食品工業の製造品出荷額の割合は35%と大きなウェートを占めているが、付加価値率は28.2%と全国33.6%より5.4%低い。
② 北海道の食品工業の製造品出荷額内訳
【図4】
(出典:工業統計調査「経済産業省」)
水産食料品を除くと、上位は「畜産食料品」「その他食料品」「パン・菓子」「精穀・製粉」。「畜産食料品」「精穀・製粉」は原料立地・一次加工型、「その他の食料品」「パン・菓子」は道内需要に対応した食料品であり、北海道は一次加工品を都府県へ送り出し、高次加工品を買い戻している。この要因としては大消費地の近くに高次加工品業者が集積しているためである。
解決策としては道外の食品加工業の北海道への誘致や道内機械産業の食品加工業への参入などが考えられるが、設備投資や人員確保の面でハードルが高く、現実的には難しい。
2-2 農家の意欲
【表4】
平成28年度の全国の交付金支払額は6,776億円。その内の31%を北海道が占めており、補助金への依存度が高い。特に交付金割合が大きい土地利用型(米、麦、大豆など)農家の依存度が高い。
北海道の農業従事者のうち66.4%が農協に加入、また北海道の70%の農協に組合勘定が残っている。また農畜産物の約90%は農協経由 で市場などに販売している。農畜産物を生産するだけで収入が入る、商流や経営を農協に依存していることから「農畜産物を売る」という意欲が薄い。
3-3 農畜産物の海外輸出の少なさ
図5】 【図6】
出典:農林水産省 (出典:財務省「貿易統計」)
「農林水産物・食品の輸出額実績について」)
北海道の農林水産物・食料品の平成30年の輸出額は774億円(全国比8.5%)。しかし、そのうち80%が水産物・水産物加工品であり、農畜産物は150億円にとどまっている(全国比2.6%)。
海外輸出に際しての課題は輸送コスト削減と輸送中の品質維持が挙げられる。輸送コストに関しては輸出関連費用、輸出商社手数料、輸入関連費用、輸入商社手数料などがかかることから、現地の販売価格は2倍から3倍になる。輸出の増加には輸送コストを上乗せした価格でも販売できるようにするための高付加価値化が必要。
3 他国の農業について
前述の課題克服のために、農業において高付加価値化が実現できているヨーロッパの3カ国の特徴、食文化、取り組みを調査した。
3-1 オランダ
3-1-1 オランダ農業の特徴
【表5】
表6】 【表7】
国土は北海道の約半分であるが、農用地はオランダの方が多い。1経営体当たり耕地面積、農業経営体数は北海道と大きな差は無い。農業生産物輸出額は788億ドルと世界2位。上位の主な産物は施設園芸作物と畜産物。競争力のある品目に特化した研究開発・生産が行われている。
輸出先の8割がEU(欧州連合)域内。欧州最大の港ロッテルダム港、空のスキポール国際空港を有する。これらの拠点は古くからアジアと欧州との物流網ならびに域内を結ぶ道路、鉄道、河川を利用した物流網の中心地として機能してきた。関税や検疫もないうえ、陸続きであるため、農産物輸出の好条件となっている。
3-1-2 オランダの産学官連携(フードバレーの形成)
オランダは2011年、農業・食品部門と施設園芸・種苗部門を国の重点育成産業と位置付け、政府支援の下、農業・食品のイノベーションへの取り組みを強化している。オランダ中東部ヘルダーランド州ワーヘニンゲン市に「フードバレー」と呼ばれる産業集積地がある。
ここではワーヘニンゲン大学を中心とする研究センターや企業などの科学者が集結し、政府や農業協同組合と一体となってビジネスに直結する研究開発を行っている。具体的には、農産品の育種・種苗、生産、加工、流通、販売にわたるフードバリューチェーンの構築を進め、農業・食品加工業界の発展を牽引(けんいん)している。
3-1-3 オランダの農家支援体制
オランダでは農業法人に対して技術、金融、流通など多岐にわたる支援体制が整えられている。日本では、これらの支援機能を農協が無償ですべて担っているが、オランダでは、民間企業が専門性の高い支援サービスを収益事業として提供している。
また1980年代より国際マーケットでの競争力を高めるため、特定作物の補助金の減額や打ち切りを行ってきたことからオランダの畑作物の補助金割合は27%と非常に低い数値となっている。有償化や補助金削減により、意欲のある農家だけが残りオランダ農業の発展を促した。
3-2 フランス
3-2-1 フランス農業の特色
【表8】
【表9】 【表10】
農業経営体数は北海道の11倍、1経営体当たり耕地面積は北海道の2倍。農業生産額は389億ドルとEU最大。主要農産物はてん菜、小麦、とうもろこしなどの穀物、ぶどう、生乳など。海洋性、大陸性、地中海性と三つの気候により様々な作物の栽培が可能。
農産物輸出額は601億ドルと世界6位。上位の主な産物はワイン、蒸留酒など。輸出先 は7割がEU。
狭義のフランス料理は正賓に用いる厳格な作法に則したオートキュイジーヌ(宮廷料理)を指すが、フランスの各地方には一般市民に広く親しまれている伝統的な郷土料理が数多くある。例えば南フランスでは地中海の海産物やオリーブ油、山羊、ハーブなどの食材を利用したプロヴァンス料理が代表的である。
3-2-2 フランス食文化の特徴
フランスで特徴的なのは食文化の普及促進(特に海外輸出)にあたり、商品については「ブランド確立」を重視すること、輸出拡大促進については乳業組合、ワイン組合等の協同組合とSOPEXA(仏食品振興会)などの輸出促進機関のような専門機関を中心として「組織力」を効果的に活用し推進されていることである。これらの団体の活動予算については、基本的に政府からの補助金や助成金に依存しておらず独立している。
SOPEXA(仏食品振興会)の主な輸出促進事業は、スーパーなどでのストア・プロモーション、PR イベントの開催・食品フェアへの参加(見本市への出展)、広告キャンペーンの実施などがある。
SOPEXA には、ボルドーワイン協会などが背後から支えており、例えば展示会などにワインを提供する際には、ワインの展示だけではなく、ソムリエや専門家などがさまざまな解説・情報提供を行える体制を取っている(食材と解説〈情報提供〉のパッケージ戦略)。
3-2-3 原産地証明の導入によるブランド確立
フランスは、世界の中でも相当早くから地理的表示保護制度に取り組んできたとともに、ワインやチーズなどの産品の品質向上や高付加価値化に最も成功した国の一つある。このため、EU の同制度もフランスの制度を参考としている。
フランスでは、古くより地理的表示保護制度の一つであるAOC の考えがあり、1935年、ワインの産地偽装が横行していたことなどを背景に原産地呼称を保証するために法律が制定され、現行制度が確立された。続いて1955 年にチーズを対象とする法律が制定され、1990 年にはその他の農産物や農産物加工品、畜産物や水産物にも対象が広げらた。1992 年からはEU 共通の保護制度(PDO 及びPGI)が運用されている。
【表11】
(出典:欧州議会・理事会規則(EU) No 1151/2012および欧州委員会ウェブサイト)
例)シャンパン、ボルドー、ブルゴーニュなど
【表12】
3-2-4 長期的視野に立った投資
フランスのフォアグラメーカーは、無料で海外の料理学校などの講師を招き、フォアグラに関する研修を施すとともに歓待する。その返礼として帰国後に、各料理学校でフォアグラの講義を行うとともに、将来シェフになる学生にフォアグラのメニューやレシピ開発を義務づける。このようにフォアグラの消費拡大を狙った長期的な投資を実施している。
3-2-5 世界各国におけるフランス料理人の人材育成(ル・コルドン・ブルー)
ル・コルドン・ブルーは、1895年パリで設立された料理教育機関。現在では20カ国・35余校以上のネットワーク、国籍の数は100以上。毎年、2万人を超える生徒が教育を受けており、これまでの卒業生の累計数は約30万人に上る。(日本人は約8千人程度。)同機関のミッションは正しいフランス料理を世界に広めることであり、講義内容は料理のほか、菓子、パン、ワイン、チーズなどがあり、最近ではワインの輸出入やレストランマネジメントなどの経営学も含まれている。
このように世界各国にフランス料理人を育成することで、フランス食文化の輸出に成功している。
3-3 イタリア
3-3-1 イタリア農業の特色
【表13】
【表14】 【表15】
農業経営体数は北海道の25倍も、1経営体当たり耕地面積は8ヘクタールと北海道の3割。農 業生産額は371億ドルで世界16位。主要農産物は小麦、トマト、オリーブなど。イタリアの農産物輸出額は412億ドルで、世界第11位。
輸出の7割は、EU域内の国々へ。輸出品目では、ワイン、チーズ、マカロニなどの加工品が上位。ピザやパスタなどに使う食材が多く輸出されている。
イタリア料理の食文化は郷土食豊かであり、それぞれの土地に農産物やワイン、調理法などが異なっており、「サグラ」と呼ばれる村や町の食の祭りが郷土料理継承の役割を担っている。
3-3-2 スローフードの確立・浸透
1986年、イタリア北西部のピエモンテ州ブラでファーストフード による食の画一化に対する危機感を背景に、食材選び、調理法、食べ方について本来の自然な姿に立ち戻ろうという運動が起こった。
1989年に設立した非営利組織 NPOのスローフード協会(本部イタリア) を中心として、消えつつある郷土料理や質の高い食品を守り、質の良い素材を提供してくれる生産者を守り、消費者全体に「味の教育」を進めることを推進しており、イベントの開催、書籍出版、学校プログラムの活動など各知育で様々な活動を展開している。
スローフードでは「おいしい(地域の中で守られてきた味)」、「きれい(環境に良い)」、「ただしい(生産者に対しての公正な評価)」を基本理念・哲学としている。
主な成果として、スローフード運動は現在150 カ国以上・10 万人以上の会員を持つまでに世界的な広がりを見せており、また代表的イベントである「食の祭典」には、世界各国の各支部などから数十万人規模の参加者が来訪している。
「食の祭典」:中小の生産者と消費者の交流を通じて、消費者に生産者(漁師、農家、酪農家など食に関わる全ての生産者)の存在を知らしめ、中小生産者の市場参入をサポートし、消費者の食についての知識を豊かにすることが目的。参加者は生産者であることが重要であり、卸問屋や小売店は参加できない。
3-3-3 食文化継承・普及の取り組みが輸出拡大に繋がった事例
① 食科学大学の設立
スローフード運動の高まりは、研究機関も立ち上げた。ブラ郊外の小さな街、ポッレンツォに、イタリア政府公認の食科学大学がある。世界初の食科学を専門とした大学は、2004年の設立以来、12年間で2100人の食のスペシャリストを輩出した。
最新の公表データによると、卒業生の85%がすぐに就職し、大学に残ってシェフや専門的な研究を志す人が4%、すぐに働かずに1年後に仕事に就く人が7%という高い就職率を誇っている。
② 外国人のためのイタリア料理研修機関
イタリアのスローフード運動を背景に、イタリアの食文化を国外に伝えることを目的として、1991年に「外国人のためのイタリア料理研修機関(ICIF=Italian Culinary Institute for Foreigner)」が設立。
ICIFの事務所は現在、ブラジルやカナダなど世界27カ国にあり、研修生の出身国は実に多彩。卒業生はすでに5千人を超えている。日本人も増えており、彼らの多くは、卒業後、日本国内のイタリア料理専門店で働くという。
この学校では、イタリアで伝統的に使われている食材や調味料などに触れ、その味や香り、原産地、加工方法などを学ぶことで研修生たちがイタリアの食文化に関する知識と舌を養っていく。ICIFのこうした授業には以下のようなイタリアの「食の戦略」が潜んでいる。
1.研修生たちが母国に帰ってICIFで学んだ料理をつくる
2.その料理をつくるためにイタリアの食材やワイン、加工品を買い求める
3.彼らがつくった料理を食べた客がイタリアに観光に来る
4.観光に来てイタリアで学んだ食文化や料理、歴史を自国に持ち帰り伝える
このような形でスローフードは、このような形でイタリア経済にインパクトを与えている。
4 結論
他国の農業との比較から今後、北海道の弱みを解決し、強みを生かしていくためには北海道ブランドの浸透・市場拡大による付加価値向上、輸出力強化と農家の自立促進が必要である。そのためには、北海道食文化と併せて北海道産品を世界に発信することで、北海道産品の海外における需要を広げることが重要。
1. 北海道食文化の発信のために取り組むべきこと
・北海道食文化の理念・哲学の確立を図る(イタリアのスローフードに学ぶ)
例)季節感、健康、多様で新鮮な食材、素材の味を活かす調理技術など
・認知度向上に向けた国際認証・国際規格の導入・取得推進(フランス・イタリアに学ぶ)
例)GI制度やGAP認証、HACCAP認証の取得。
・生産者と消費者が直接交流できるイベントの開催(イタリアに学ぶ)
例)イタリアの「食の祭典」のような卸問屋や小売は参加できないイベントを海外で開催
・海外で北海道食・食材を説明できる人材、料理人の育成(イタリア、フランスに学ぶ)
例)海外の料理学校において北海道食講座を開設。外国人留学生の日本料理学校への受け入れ
2. 農家の自立促進
・国としては交付金の削減や交付金支払い品目の見直しによる農家自立と意欲拡大の促進(オランダに学ぶ)
・2015年の農協改革による地域農協の選択により、組織の一部を株式会社や生協などに組織変更できる規定を置かれた。現在15の地域農協が株式会社化しており、JA北海道も検討すべき課題と考える(オランダに学ぶ)
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